初版 1999年10月
著者 趙治勲 名誉名人・二十五世本因坊
囲碁ファンなら「地と模様を超えるもの」タイトルを見た瞬間"超える"ものって何???そんなものがあったのか!!!
知りたいと思うでしょう。
45年ほど前15面打ちに参加して、趙治勲さんの厳しさと思いやる気持ちが伝わってきました。
それ以来のファンなのです。
治勲さんも若く、トレーナーにスニーカーといういでたちでした。
地と模様を超える?それは「ヨミ」のことだろうか?
どんなに「地」があってもどんなに「模様」があってもヨミを間違えれば一貫の終わりとなるので「ヨミ」だなと思ったりする。
趙治勲の碁は取るものは取ってそれから敵陣奥深く落下傘部隊を投入したり、敵陣にいる部隊を動きだしたりするような棋風だったと思う。
落下傘部隊は降下したのち敵陣のいろいろなあやを活用してギリギリのところで敵陣突破するか、敵陣で陣地を築いてしまう。
そうなるのは取るものを先に取るので必然的に相手の陣形は模様がかる。
他の棋士よりも「地」の考え方が違うようだ。そこのところは本に書かれています。
そうできるのは深く広いヨミがあってこそだ。
ヨミについては私は早見えするタイプではないので「ヨミ」に対しては多少のcomplexを持っている。
「ヨミ」は残酷です。
そもそも詰碁が好きでない。「発陽論」(江戸時代の棋書)でも根気よくやれば良いのでしょうが、、、そうはならなず三日坊主に終わってしまう。
(橋本宇太郎の詰碁の本も途中^^;)
話を最初に戻して「地と模様を超えるもの」は「ヨミ」ではありませんでした。
「ヨミ」とか「厚み」「地」「模様」をそれだけを固定してとらえるのではなく流動的に相対的にとらえるものだ、と。
そのとらえ方を本書で書いています。
14年程前に西伊豆の本因坊秀和先生の生誕地を偶然訪ねる。