先日、信じるって…とご相談を受けました。
一生懸命相談にのったのに裏切られるような結果になって…と。
同じような思いを若い頃から何度も経験してきた私の意見ですが、「信じる」って『相手が』じゃなくて『自分が』だと思うのです。
自分との闘い?
どこまで相手に見返りや期待をせずに無償の愛というか無の気持ちというか布施の心(心施)で接しきれるか。
こーなるよね、こーするよねって期待するから、そのような結果にならなかった時に「裏切られた」という思いが出るのであって。
こーしたら?あーしたら?と、自分の経験値や知識からアドバイスはできるけど、選ぶのは『自分』じゃなくて『相手』なわけで。
だから、必ずしも自分が思ったような結果にはならないわけで…。
とは言え、自分が思っていた結果と違う結果を相手が選んだら、その瞬間は「ムッ!」と人間だからなりますよ
でも、次の瞬間、「ま、それもいいんじゃない?」と思えるようになりました。
でもね
それを選んだのも含めてその人なんですよ。
それが、どーしても許せないと『自分が』思ったら、自分のテリトリーからスパッと切り落とせばいいだけの話しなのですよ。
全て『自分』なのですよ。
と言うのを、パパリンから教えてもらい、風水学から学ばせてもらいました。
今日の暦・4月10日
前に前により、今日は、計画的にお過ごしください。前に進むだけが「吉」ではありませんよ。流れをよみ「今!」という時に、ちゃんと跳躍板を踏み切れるように内に内に栄養を蓄えていきましょう。
では、皆様、良い一日をお過ごしください^^
全て『自分』なのですよ。
と言うのを、パパリンから教えてもらい、風水学から学ばせてもらいました。
今日の暦・4月10日
前に前により、今日は、計画的にお過ごしください。前に進むだけが「吉」ではありませんよ。流れをよみ「今!」という時に、ちゃんと跳躍板を踏み切れるように内に内に栄養を蓄えていきましょう。
では、皆様、良い一日をお過ごしください^^