

答辞を読む話
二月も後半になり、ふと思い出す事がある
息子たちが通う幼稚園
先生方と保護者で作る幼稚園方針が好きだった
我が子を預ける場というよりも
親として子供たちに寄り添う場だった
子供たちに寄り添いながら親の子育ての教育の場でもあった
子育てに不慣れで迷いながらの私にはとても適した場所だった
PTA活動に参加するようになり、
幼稚園生活に関わる事が自分の居場所のように感じていたある日
PTA会長をさせていただくことになった
当時はお父さんがPTA会長をする流れだった
女性PTA会長がまだ珍しく響く頃だった
行事はたくさんあった
入園式、PTA総会、PTA研修会、運動会、音楽会、クリスマス会、
演劇会、卒園式
今でも一番印象に残っているのは
卒園式で答辞を読ませていただいたこと
今までの私とは全く無縁の皆様の前でのご挨拶
息子の卒園だが答辞の依頼を受けた時から
どうしようと正直迷っていた
お世話になったお礼を込めた言葉を考えても
その場で読むことができるだろうかととても不安だった
卒園式といえば涙がつきもので
長男の時も次男の時も卒園式は号泣した思い出が頭に浮かぶ
三男の時には私も一緒に幼稚園を卒園していくのだと
思うだけで寂しかった
毎日幼稚園へ通い、PTA仕事をし、
いろんなお母さんたちと友達になり
言えば女性の活躍の場だった
お母さんたちの得意を引き出す場だった
ピアノが弾ける人、楽器ができる人、裁縫が上手い人、
本の読み聞かせが上手い人、お花を植えるのが得意な人、
パソコンが得意な人、英語が話せる人、、
体を動かすのが得意な人、お菓子作りの得意な人、、
お母さんの力をたくさん見せていただいた
その事を答辞の言葉にする事を考えた
一保護者として幼稚園での出会いに感謝し、
子供たちの成長を近くで見守れた事、
一緒に歌い、お誕生日をみんなに祝ってもらう喜び、
友達を作っていく喜び、
毎日、泣いたり笑ったりしていた成長の時間の感謝を書いた
幼少期は成長過程でとても大事だと思っていた私は
親として子供たちと一緒に巣立つ日になり
心からお礼と感謝を読ませていただいた
答辞の時間は泣く事もなくしっかり読めた
読ませていただく嬉しい気持ちが自分を推しているのがわかった
今でも忘れられない貴重な経験だった
一人で子育てしていかなければいけないと思い込みすぎていた自分を
周りの人たちのおかげで少しずつ変えていく経験ができた
ひとり親として歩き始めた自分を変えてくれる答辞だった
暖かい陽の光が降り注ぎ、桜の蕾も膨らみ始め、
春の訪れを感じる今日、、、
パソコンに下書きが残っている
私の思い出を大事にとっておこう
帰る場所の話
2024年末家族が揃う
息子たちはまた一つ大きくなって帰ってきた
帰る場所がある
最近のニュースで
若者の実家へ帰りたくない人が増えている
自分の時間を使いたいという理由らしい
交通費もかかるし、実家へ帰るよりも友達と
遊ぶ時間に費やしたい
年末年始の休日を自分に使いたい気持ちもわかる
実家へ帰って家族で新年を迎える事ももうわずかかなと感じたりする
おかげさまで年末年始をゆっくり家族で過ごすことができた
かつては苦い思いもあったけど今は息子たちを迎える母として
帰る場所を作って待っている自分を楽しく感じている
たくさんの荷物を持って帰ってくる
小さな玄関先には大きな靴が何足もある
カバンを広げると足の踏み場もないぐらいになる
それを見て帰る場所があるって良いなとしみじみ思う
帰る場所を作ることに一生懸命だった
私と息子たちの帰る場所を大事にしてきた
川の字になって寝ていた頃を思い出す
反抗期で顔も合わしたくない時もあっただろう
口を開けばケンカになっていた頃もあった
ケンカ後の苦笑いもあった
けれど川の字で寝るしかなかった場所
これが私たちの帰る場所
帰る場所が将来的には変わっていくかもしれない
あと何年この帰る場所で楽しめるのだろうか
一年ごとに考えていること、感じていることも変わってくる
家族でも足並み揃えることが大事なんだよと
教えてくれた友人の言葉を思い出した
今までは私がしっかりと土台作りをしなければと思っていたが
この度の一緒に過ごす時間の中で感じたことは
息子たちも一緒に土台を作ってくれている気がしている
私が思ってきたこと、考えてきたことが伝わっているのだと感じた
心も体も休みに帰る場所を私は今後も作り続けていきたいと
思う年末年始でした
ひとり親家庭から成長し足並み揃う家族という名のチーム作りをする
私でいたい
四人五脚の話
私は30代でひとり親になりました
三人の息子たちに恵まれ
五人家族で幸せな日々を過ごせると思っていました
夫婦で家庭を作っていく難しさを知りました
大家族の同居を経験、
農作業含めて日々の楽しさ追求する私でしたが
根本わがままな私は自分の甘さに気がつきました
孤独、すれ違い、思いのズレを修正できませんでした
しかし息子たちのおかげで今の私があります
どんな時も私のそばにいてくれたことへ感謝しています
サザエさんの終わりの歌の映像が好きでした
自分を重ねた時
五人家族、私が先頭で子供たちが真ん中で
後ろは子供たちの父親が理想でした
ひとり親になり私が先頭で三男を背負い、
長男、次男の順番になる
しっかりと息子たちを繋ぎました
次第に三男が一番後ろになりました
私はこれで真っ直ぐに進んで生きていくと決めました
楽しく、わがままに生きていくと決めると
楽になった自分がいました
先頭になった私は常に後ろを確認します
毎日大きくなっていく息子たちは横道にそれようとする時もありました
しかし繋いだ線があったのできちんと元に戻りました
真っ直ぐな平坦な道ばかりではありませんでした
長くて暗いトンネルが続く時もありました
たどってきた道を振り返ると
不思議と楽しいものばかりになっていました
最近気づきました
私が先頭で繋いできた線が四人五脚になっている
横に並んで肩組んで一緒に歩幅合わせて歩いているように感じました
これは成長というのかな
縦に並んでいた事が横に並び一緒に歩いている感覚が好きになりました
嬉しく感じました
若い子たちの力を信じ、
私は足がもつれないように結んだ片方の線が緩まないように
足腰をしっかり鍛えておかなければいけないなと真剣に思いました
私のやるべきことはまだ先にたくさんある
楽しいことを追求する自分でいたいとやっぱり思う
四人五脚で進んでいることに感謝する日々
お墓参りとお仏壇の話
私の実家にはお墓がありません
父が生前とても元気だった頃
うちは娘ばかりだからお墓は持たない事にする
永代供養にすると言いました
自分の骨は海に撒いてくれとよく言っていた
私はそうなんだと特に深く考えていなかった
先日母の実家のお墓参りへ行った
いつも叔父がお墓の事はしてくれている
綺麗な花が花立に入っていた
お参りを済ませると
母は後何回ここに来れるかなと言う
母も色々思う事があるんだなと感じた
高台にあるこちらの墓地は
坂道を登り急な階段があるが眺めが良い
墓石の数も多い
しかし手付かずの墓石も目立つようになってきた
墓石は傾き、花は枯れて、墓石の周りに草が生えている
手入れの時間が取れないのだろうか
それとも墓地へ来る家族がいなくなってしまったのだろうか
高台の後ろには小高い山があるために動物も出てくるようになり
花を食べたり、お供え物を食べる被害が出ていると言う
それぞれのお家が墓石を簡素化されていた
あまり手を加えなくても良いように工夫されていた
花立もお線香を置く場も減っていた
遠く離れて住んでいると度々見に来れない事情もある
墓地事情を目の当たりにした
幸い母の実家の墓地は叔父が近くで見てくれている
私たちも気兼ねなくお墓参りができている
父はお墓は作らないがお仏壇は自分で気に入るものを購入した
父の想いのこもった木目のお仏壇
実家へ帰った時には花の入ったお仏壇に手を合わせ
お線香をあげると気持ちが落ち着く
そして背中を押してもらう気持ちになる
父が亡くなり30年近くになろうとする今
永代供養を選んだ意味がとてもよくわかる
お寺に遺骨を預けいつまでも見守り続けていただく
そして私たちは時折お寺へお参りさせていただく
生前の父の気持ちに感謝している