あしたの土曜、仕事休みだとおもってたら、勤め先から連絡がはいって
出番となった。 日雇いの身分だが、本当はやすみにしてほしかった。
ところで、ねるまえに、webのコピペメモをのぞいていたら、
カーソン・マッカラーズのエッセイの翻訳がでてきた。 とてもいいとおもうので、
著作権上このままここにコピペは、まずいかもしれないが。まあ、 一部分だけ コピペしちゃおう。
https://www.shinchosha.co.jp/book/507181/ ← コピペもと
花ひらく夢――創作をめぐるノート
カーソン・マッカラーズ
(小澤身和子 訳)
自作について、南部の作家であること、小説が生まれる時……1959年発表のエッセイ
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『心は孤独な狩人』を書き終えようという時、近くの町で聾唖者の集会があると夫が知らせてくれた。彼は、きっと私はそこに行って聾唖者のことを観察したがるに違いないと思ったのだ。でも私は彼に、そんなことは絶対にしたくないと言った。すでに自分のなかの聾唖者に対する見方は固まっていたし、それをかき乱されたくなかったからだ。海外で暮らして、再び故郷を訪れることはなかったジェイムズ・ジョイスも、同じ気持ちだったのではないかと思う。彼は自分のなかにあるダブリンは確固たるものだと思っていたのだろうし、それは実際にそのとおりなのだ。
作家の真の強みはその直感力にある。だからあまり多くの事実を知りすぎると、直感の邪魔になる。作家はたくさんの事柄について知る必要があるけれど、知らなくていいことも多い。作家は人間のやることについて知らなければならない。たとえそれが、いわゆる「健全」ではないことだとしても。
私は毎日、「ニューヨーク・デイリー・ニュース」を読む。それもとても真剣に。刺傷事件に関して、刺された恋人が住んでいた通りの名前を知ったり、「ニューヨーク・タイムズ」が決して報じないような詳細を知ったりするのは面白い。スタテン島で起きた未解決の殺人事件においては、医者と妻が刺された時、ふたりともモルモン教の寝間着を着ていて、それが七分丈だったというのは興味深い話だ。うだるように暑い夏の日に父親を殺したリジー・ボーデン(注 リジー・ボーデン(1860―1927)は、1892年8月4日、米国マサチューセッツ州で父親と継母を斧で殺害した疑いで起訴されたが、無罪となった。)が、その日の朝に食べたのは、ひつじ肉のスープだった。いつだって詳細は、どんな一般論よりも思考を刺激してアイデアを引き出してくれる。キリストは左側を槍で刺されたと言うほうが、単に槍で刺されたと言うよりも感動的だし、想像力をかきたてる。
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テネシー・ウィリアムズに、どんなふうにして『ガラスの動物園』の発想を得たのかと尋ねた時、彼は(牧師をしていた)祖父の教会区の信者の家で、薄い透けるカーテンを見て思いついたと言った。それが後に彼が追憶の劇と呼ぶものへと発展していったのだ。どうして薄い透けるカーテンの思い出が、彼の少年期の記憶にしっくりと当てはまったのかは、彼にも私にもわからないが、無意識というものは簡単に理解できるものではない。
コピペ終わり
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