冬季オリンピックも終わりましたね。
私はフィギュアスケートのみ見ました。
ロシアのプル様を楽しみにしていて
団体戦から出ると知って、そんなにすべって大丈夫なのかな?
と、心配でしたが
団体戦だから、手は抜くよね。。。と考え
ビデオは撮らず
いざ個人戦
予約はバッチリだけどプル様は棄権
ガックリでした。
私はプルシェンコ選手が2004年頃に滑っていた
『ニジンスキーに捧ぐ』というプログラムが一番好きです。
と、いうより芸術だと思います。
見た時は衝撃でした。
まるで本物のニジンスキーがプルシェンコの身体をかりて降臨しているような
錯覚を感じました。
牧神の午後のポーズは鳥肌が立ったし
薔薇の精のポーズの時に
悲しげに微笑む姿はまるでニジンスキーの人生を
現しているような、悲しくて儚いような・・・
とてつもない衝撃を受けたものです。
この時は、プル様20歳頃なんですよね。。。
この若さで、よくこんな難しいことをできたな~って思いますが
この後から、沢山手術などをして技術的にも
できないことが増えて行ったので
このあたりが全盛期だったんだろうな~って思います。
満身創痍の中、頑張ってくれてありがとうございました。
それと真央ちゃんも良かった。
真央ちゃんの演技に感動しました
SPの時はかわいそうで
なぜだか遠い昔の事を思い出しました。
私の中学、高校の時
好きで好きでたまらなかった
新体操のビアンカ・パノバ選手。
特に中学生の時は頭の中はビアンカしかなかったし
テレビもビアンカの演技をビデオで見てばかりだった
そんなビアンカ・パノバ選手はブルガリア代表として
オリンピックに出ます。
ブルガリアの国技は新体操で
オリンピックで金メダルをとることは
ブルガリアの夢だったのです。
フロアに出てきたビアンカは
凄く痩せていて、血の気がなく
儚げに見えました。
しかも最初の種目は一番の大技が入ってる棍棒の演技から
そして1番の大技のところで失敗、運の悪いことに
棍棒はフロアの外に出てしまい大減点。
この最初のミスでビアンカの金メダルの夢は消えました。
私はショックすぎて、その夜ずっと泣き続け
次の日は、ショックのあまり熱をだし学校を休んだ記憶があります。
その頃の私は不謹慎にも、ブルガリアのライバルだったソ連の選手が
失敗することを心の中で願っていました・・・。
ですが、ロバチ選手は8回の演技すべて10点満点をだし優勝しました。
ビアンカのコーチだったネシュカさんが、失敗して怒られて
ビアンカの涙でフロアが溢れた。と言ってましたが
国技という重圧を背負い、崩れてしまったビアンカ。
当時18歳の彼女がとてもかわいそうでした。
あの時、新体操王国ブルガリアと言われていましたが
オリンピックの敗戦後ブルガリアの新体操は衰退していき
歴史的な敗北をしたままです。
今はもう新体操はほとんど見なくなりましたが
ビアンカの演技、ステップの一つ一つまで覚えた
昔の思い出は色あせることのない素敵な思い出です。
白い妖精といわれたビアンカ・パノバ選手
とても美しくて、とても大好きだった人を思い出した
オリンピックでした。
私はフィギュアスケートのみ見ました。
ロシアのプル様を楽しみにしていて
団体戦から出ると知って、そんなにすべって大丈夫なのかな?
と、心配でしたが
団体戦だから、手は抜くよね。。。と考え
ビデオは撮らず
いざ個人戦
予約はバッチリだけどプル様は棄権
ガックリでした。
私はプルシェンコ選手が2004年頃に滑っていた
『ニジンスキーに捧ぐ』というプログラムが一番好きです。
と、いうより芸術だと思います。
見た時は衝撃でした。
まるで本物のニジンスキーがプルシェンコの身体をかりて降臨しているような
錯覚を感じました。
牧神の午後のポーズは鳥肌が立ったし
薔薇の精のポーズの時に
悲しげに微笑む姿はまるでニジンスキーの人生を
現しているような、悲しくて儚いような・・・
とてつもない衝撃を受けたものです。
この時は、プル様20歳頃なんですよね。。。
この若さで、よくこんな難しいことをできたな~って思いますが
この後から、沢山手術などをして技術的にも
できないことが増えて行ったので
このあたりが全盛期だったんだろうな~って思います。
満身創痍の中、頑張ってくれてありがとうございました。
それと真央ちゃんも良かった。
真央ちゃんの演技に感動しました
SPの時はかわいそうで
なぜだか遠い昔の事を思い出しました。
私の中学、高校の時
好きで好きでたまらなかった
新体操のビアンカ・パノバ選手。
特に中学生の時は頭の中はビアンカしかなかったし
テレビもビアンカの演技をビデオで見てばかりだった
そんなビアンカ・パノバ選手はブルガリア代表として
オリンピックに出ます。
ブルガリアの国技は新体操で
オリンピックで金メダルをとることは
ブルガリアの夢だったのです。
フロアに出てきたビアンカは
凄く痩せていて、血の気がなく
儚げに見えました。
しかも最初の種目は一番の大技が入ってる棍棒の演技から
そして1番の大技のところで失敗、運の悪いことに
棍棒はフロアの外に出てしまい大減点。
この最初のミスでビアンカの金メダルの夢は消えました。
私はショックすぎて、その夜ずっと泣き続け
次の日は、ショックのあまり熱をだし学校を休んだ記憶があります。
その頃の私は不謹慎にも、ブルガリアのライバルだったソ連の選手が
失敗することを心の中で願っていました・・・。
ですが、ロバチ選手は8回の演技すべて10点満点をだし優勝しました。
ビアンカのコーチだったネシュカさんが、失敗して怒られて
ビアンカの涙でフロアが溢れた。と言ってましたが
国技という重圧を背負い、崩れてしまったビアンカ。
当時18歳の彼女がとてもかわいそうでした。
あの時、新体操王国ブルガリアと言われていましたが
オリンピックの敗戦後ブルガリアの新体操は衰退していき
歴史的な敗北をしたままです。
今はもう新体操はほとんど見なくなりましたが
ビアンカの演技、ステップの一つ一つまで覚えた
昔の思い出は色あせることのない素敵な思い出です。
白い妖精といわれたビアンカ・パノバ選手
とても美しくて、とても大好きだった人を思い出した
オリンピックでした。