道やりませんか、3年目になりましたのでいよいよ入門編から初級編と言う形にしていきたいと思います。書籍の”道やりませんか!?”の内容に対してちょっと突っ込んだところまでお届けできるように...そういうシリーズにしていきたいと思います。
本の内容には、難しい部分もあるので、なるべく皆さんにわかりやすく優しく伝わるように努力しますので、よろしくお願いします。
今までも、”道やりませんか”と言うタイトル通り、武道に対する自分の武道観などを紹介したいという番組でしたが、3年目になって、シリーズで聴いてくださっている方に、もうちょっと深いところに手をつけて、それを聴いていただけたらと思いまして...
今日は本に沿ってやっていこうと思います。武道の役割・日本の役割という項目があります。...それについてのお話です。
どこの国にも伝統文化ってありますよね。それは、その国の風土とか歴史が培ってきた、皆さんに有効な、有益な、智慧(ちえ)の集合体だと思うんですね。その風土でしかなかなか育ってこないもの、日本は、四季があったり、お料理だったり...取れる作物であったりとか...植物では、春には桜が咲いたりとか...いろんなことがありますが、そういうことを教える集合体にしたものが伝統文化...そういうことが伝統文化の中に内包されていると思うんです。
建築とかも京都とか日本の独特の建築物ってあるじゃないですか。そういう有形文化財...形になっているものは、とても素晴らしいですが、とりわけ、無形文化財...技とか...。そういう意味では武道もその中に入るんでしょうけど...身体を使って技を学ぶもの...その中に”道”というものが内包される学習体系、稽古体系...。それらの効果は、とても深いものがあるんです。それで”道やりませんか”と言うタイトルにもなっているんですが...。
技として日本を身に付ける...日本人はもちろん、外国の方々にとっても、日本を身に付け、日本の転写をする、日本の良いところを...。
そういう意味で、日本の道とか伝統文化とか非常に有益であると...そういうことを、おいおいこのコーナーでやっていこうと思います。じゃあどういう内容なんですかっていうのこれからこの先に...。
本には、援護射撃とありますが、政治も経済もたくさんありますけど、外交の部分でも、そういう日本というものの良さを解っていただくという援護射撃...と言う意味で援護射撃と申し上げています...。
武道は身体運動であり精神文化でもあると書かれていますが...
世界の国々の文化...心身二元論...身体と心は別個に扱う、運動っていうと各国ではスポーツ、そして精神は、信じている宗教とか哲学とか、そういう学問的なもので学んで精神というものを養っていく...運動文化と精神文化が別個にあるんです。
武道を始めとして書道とか...どうしてそれをやるのかという目的の中に、精神的な事というものが身体を使って学ぶ技術の中に含まれているんです。
スポーツは精神論があるわけではなくて競技に勝つのが目的...技術的には競技に勝つための技術...それらをやる目的は、本人次第と言うことになってきます。
例えば書道、現代の中で毛筆で字を書くのはあまり意味がない...道具が発達しすぎて時間をかけて文字を書くのは意味がない...筆で文字を書くことに合理的にはあまり意味がないということになります。そうするとそれは、いらないということになってしまいます。
昔はすべて筆で書いていたので、それが、そのものだったんですが、現在は時間の無駄だし道具も特別に必要だったりするので...現代では無駄だということになってしまいます。それでは、武道は?というふうに考えますと、いわゆるスポーツとして格闘競技の中で規定すれば、技術は有効ですよね。ですけどそれを全部とっぱらって、昔は本当の武術だったので、戦場の中の技だった...でも今は戦場で武術をやる事は無い...兵器です...。良いことでは無いですけど。武道の技は、スポーツ競技の中でという定義をとったら、ただの暴力になってしまいます。
ではどうして人と殴りあうのか...意味を考えなければいけないです。打撃をしたり投げたりする意味とはなんだろうと...どうしても考えざるを得ないことになります。
そういうところから、いわゆる目的は、技を身に付ける過程...。道具が発達してしまったことによって無駄になったという事、道具が発達していなかったがために人がやらなければいけないことがいっぱいあった...現代では、無駄だといわれること...その中に、人自体を開発させるものがありました。
道具を開発したんですけど人の開発が...現代だからこそ無駄のようだけど実は筆を持って字を書くとか、技を身に付けることによってその人の身体や心に良いことが起こる...それが”道”の役立て方だと考えています...。
道具が発達していない頃の様々な技術は、人自体を発達させるものだった、それは非常に有効な学習体系だったと解ってきています。
...というようなお話でした。