きまぐれ愛犬ラナのおうち

18歳と5日で虹の橋に旅立った初代ラナ、その後迎えた2代目ラナのブログです。

ラナと出会って育犬期間

2012-01-25 11:59:44 | 姉ラナ旅立ち-ラナとの出会い
6月12日、ドキドキしながら向かいました。
譲ってくださる方のお家についてびっくり!!
ラナの生まれたお家は神社でした。
なぜか幸せな気分になった、私とラナパパ。
ドキドキしながら向かいました。
玄関に入り、雌犬4匹を連れてきてくれました。
きゃー小さいのが4匹も
1匹は姉妹に踏まれても動じることなくすやすや寝てる子、1匹は必死で鳴いてる子、後の2匹はモジモジ動いてる子、この4匹でした。
私とラナパパは悩みながらも、1匹づつにこんにちは、と挨拶をしました。
私の目には、すやすや寝てる子、必死で鳴いている子、この2匹が最初から気になっていました。
なかなか決めれない私に、おうちの人はこちらでゆっくり決めてください、とお部屋に通してくれました。
20分たっても決めれず、私は爆睡してる子、必死で鳴く子が、ずっと気になっていました。
譲ってくれる人が、モゾモゾしてる二匹はちょっと茶色入ってて、よく鳴いてる子は、一番白くて、寝てる子は一番茶色ですね。と言うてくれました。
ラナパパと二人、必死でアピールして鳴いている子にしようかと相談していると、爆睡している子が目を覚ましました。それでもまだ悩んで、こんだけアピールしてるし、この鳴いてる子にしようか、と思った時、寝ていた子に目をやると、うっすらと靴下を履いていました。
姉ラナが旅立った時、ラナパパが『次生まれ変わるときも、靴下をはいてくるんやで』と、姉ラナに伝えた言葉を思い出しました。
ほかの子は、靴下はいてない。
いきなりそのこが鳴き始めました。
ラナパパに靴下はいてるよこの子、姉ラナかなと伝えました。
『この子にします』と腕に抱いた瞬間、そのこはまた眠りにつきました。
譲り主さんにお礼を伝え、産んでくれたママ犬ちゃんにおやつを渡し、神社を出ました。
車に向かう道、腕に抱いた子を見て涙あふれました。
『来てくれてありがとう』と伝えると、自然に涙が出ました。

神社を出てから、ずーっと寝たままです。
ラナパパと相談し、名前をどうしようかと…私は姉ラナの名前を引き継がせたかった、そして、姉ラナのように、大人しくて賢くて、落ち着きのある愛らしい女の子に育ってほしいと言う願いをこめて、二代目ラナとして、ラナとなずけました。
友達のおうちに挨拶をして、家に帰り、maikさんが来てくれました。
それでもまだ寝てる。

帰ってすぐ姉ラナの祭壇に『姉ラナ、妹やで』と報告し、手をあわせました。
ラナは上を向いて寝るのが定番でした。

姉ラナが旅立って以来、久しぶりに我が家に笑いが生まれました。
姉ラナ、私もパパもあなたの生まれ変わりやって信じてるからねと、姉ラナに伝えました。
この日から、ラナは我が家の娘になりました。
大変な育犬生活の始まりでした
でも、姉ラナに笑顔で語りかけれた、嬉しい日でもありました。


長文に付き合っていただきありがとうございました。

ラナとの出会い

2012-01-24 20:00:54 | 姉ラナ旅立ち-ラナとの出会い
姉ラナを亡くし、前に進もう、ラナパパと49日を迎えたら、新しい犬を迎えようと決めました。
泣く日々は変わりません。
私たち夫婦の願いは、里親で子犬を見つけること。
姉ラナの亡骸に、『必ず我が家に帰ってきてほしい』と何度も伝えました。
ラナパパは『次に生まれてくるときも、靴下を履いてきなさい』と。
里親掲示板を毎日見ました。
けど共働きの私たち夫婦には、動物愛護団体からの譲渡は難しく…。
5月24日、いつものように里親掲示板、動物愛護団体のHPをまわっていました。そのとき、今まで見たことのなかった掲示板を見つけました。
そこに『5月末に出産予定の雑種子犬』が載っていました。
家も近く、私はラナパパに相談もなく、メールをしていました。
メール後すぐ、ラナパパに走って伝えに行くと、ラナパパは『よかった、姉ラナの生まれ変わりかもな』と言われました。
工場のパソコンで、慌ててメールをした私。
返事が気になり、その夜工場へと向かい、受信ボックスを開くと、今日生まれましたと、写メ付でメールをくださいました。
夫婦で涙が出ました。夫婦で感激しました。
新しい命に感動しました。
18年前、私に姉ラナが教えてくれた命の誕生、命の大切さ、姉ラナの元へ逝きたいと思う気持ちはありますが、自分から命を絶つのは、姉ラナが教えてくれた、この命の大切さを壊すことになる、自分の考えの甘さに気づきました。
新しい命の写真を見ながら、泣きました、でも悲しみではなく、新しい命に出会えた感動、そして姉ラナに対しての感謝の気持ち…。
私は帰って、初めて涙なしに姉ラナに語りました。
『49日を迎えたら、犬を迎えます。ママもパパも、姉ラナの生まれ変わりだと思ってるからね』と。
その日から、メールがくるのが楽しみでした。
楽しみにしてる反面、本当に新しい犬を迎えてもいいのだろうか、姉ラナを助けられなかった私が、新しい命を預かってもいいのだろうか、姉ラナが怒らないだろうか、姉ラナは自分を忘れられたとおもわないだろうか、私に犬を飼う資格があるのだろうか、そんな不安ばかりを考えていました。
本当に、不安定な心理状態。さっきまでのことが急に不安になる、そんな毎日でした。

毎日祭壇で姉ラナに問いかけました。
maikさんと友人に相談しました。
『姉ラナちゃんは怒らないと思うよ、ラナママの泣き顔より笑ってる顔みたいと思うよ』と、その文面を見て泣きました。
姉ラナが旅立って、毎日泣き顔ばかりしか見せていない私、姉ラナの気持ちを忘れていたから。
よし!姉ラナに笑顔を見せれるように頑張ろう!そう決めました!
譲渡は6月下旬か7月上旬、それまでに元気にならねば。
そう思っていたある日、夢を見ました。
優しいまぶしい光に包まれた姉ラナがお座りしていました。
姉ラナの後ろからは、光が差していました。
そして姉ラナが、『私生まれ変わるからね。』と言ったのです。
生まれ変わった姿を、見せくれました。
が!あほな私は、生まれ変わった姿を覚えてなかったんです…。
茶色っぽいワンちゃんしか…。
ラナパパにも、こんな夢を見たよ、と伝えました。
案外生まれ変わってるかもな~とラナパパは言うてました。
友人からは、『姿わからんくても、姉ラナに出会えるよ』と言われました。
6月に入り、子犬ちゃんを譲ってくれる人からメールをいただきました。
目が開いたので見に来てください。その時に、どの子がいいか決めていただけたら、と。
もう、待ちに待った瞬間です。嬉しくて、嬉しくて、慌ててラナパパに言いに行きました。行く日にちを、6月12日の日曜日と決めました。
姉ラナの祭壇に手を合わせ、『姉ラナ、どの子か決めるよ、姉ラナを探すから、ママとパパにアピールするんやで。』と伝えました。
6月10日、メールが来ました。
母犬ちゃんの母乳が出ずらくなり、ペーストをあげているけど問題ないので、よければ12日に決めて、そのまま連れて帰ってほしいと。
連れて帰ると返事をしました。
しばらくして、姉ラナの49日が終わってないこと、49日前に連れて帰ったら姉ラナが怒ってうんやないやろうか、急に不安になりました。
このころの私は、まだまだ情緒不安定‥。
でも、泣く日々にいいかげんサヨナラせんと、姉ラナが心配してしまう。
友人に相談しても、姉ラナは怒らないよと言ってくれました。
病院の先生からは、まだ母犬から離すのは早いから、待ちなさいと言われまた悩みましたが、泣く日々にサヨナラしたい、早く会いたいその気持ちのありました。
ラナパパともいろいろ話し、早いのも承知の上、姉ラナの49日が終わってないのが気にかかるけど、連れて帰ろう。
姉ラナの祭壇を前に、夫婦で骨壷を抱き『49日が終わってないのにごめんね、でも、姉ラナを忘れるためではないよ。あさって姉ラナに妹ができるよ』と伝えました。
姉ラナの生まれか変わりやと信じていました。
11日の夜は、ドキドキして眠れませんでした。

姉ラナの旅立ち2

2012-01-24 13:59:58 | 姉ラナ旅立ち-ラナとの出会い
長文です。
姉ラナが旅立った日の夕方、前日から寝てない私、泣きつかれた私は、ラナの冷たくなった手を、いつもどおり握って眠ってしまいまいした。
その時に見た夢、それは、広い草原で気持ちのいい風が吹いている場所、すごく気持ちのいい風で、見渡す限り草原ときれいな川、やわらかな日差しのその場所を、若いときのように、生き生きと走り回る姉ラナの姿、嬉しそうに走る姉ラナは、私のところに来て、飛び跳ねました。
私『姉ラナ走れてるやん!治ったんや!』と言うと、嬉しそうに私の周りを、歩いていました。
目が覚めた私の横には、眠ったままの動かない姉ラナがいました。
不思議と気持ちが少し和らいでいました。
冷たい姉ラナの手を握り、姉ラナの体を撫で、止まることなく流れる涙、姉ラナに語りました。
『ごめんね姉ラナ、ママは一人で姉ラナを逝かせてしまったよ』
『姉ラナ覚えてる?』と思い出話。
ラナパパは私が寝てる間に、姉ラナの棺になりそうなダンボールをもらいに行ってくれていました。
でも私は、今日は姉ラナと最後に寝たいからといつもどおり、布団で、私とラナパパの間に姉ラナを寝かせ、泣きながらパパと二人で姉ラナを撫で続けました。
5月5日、姉ラナを火葬場へ。
棺に入れる姉ラナを抱きしめ、謝ることしかできませんでした。
棺には、姉ラナが寂しくないように、私とラナパパの写真を2枚、姉ラナの枕元に入れました。
そして、私は、私の代わりに、自分の髪の毛を切り、姉ラナの横に入れました。
かわりに姉ラナの尻尾の毛をもらいました。
maikさんと、秀くんが最後の見送りをしてくださいました。
火葬場に着き、初めて姉ラナにありがとう、本当にありがとうと伝えられました。
火葬される姉ラナを、泣き叫び名前を呼ぶことしかできませんでした。
姉ラナは小さな骨壷になって帰ってきました。
骨壷に入った姉ラナに『姉ラナ、お家に帰るからね』と伝え胸にしっかり抱きました。
姉ラナの祭壇を作りたくて、私の姉の家に行ったら、姉の旦那さんが作った机と椅子を使って良いよと言ってくれました。
もって帰って姉ラナの祭壇を作るとまた涙が…。
この日から私は、家にいると泣くことしかできなくなりました。


GW開け、周りを心配させてくない私は、涙をこらえ、できるだけ明るく振舞いました。
でも自然に出てくる涙…コンタクトの調子が悪いと嘘をついて涙を流していました。
でも周りは気づいていたみたいですが。
家に帰ると、扉を閉めた瞬間あふれる涙、祭壇の前に行っては骨壷を抱いて、戻ってきて、と泣きくれる日々、夜は睡眠薬なしでは寝れなくなりました。
姉ラナが旅立って3日後、骨壷を抱いて寝てしまった私、姉ラナが近くにいるようですごく安心して睡眠薬なしでうたた寝ができました。
帰ってきたラナパパに、今ラナママの背中に、いつもみたいに姉ラナが背中合わせて寝てたわ、と言われました。
安心して寝れた理由がわかりました。
人はこんなにも涙が出るんやなと思うくらい泣きました。
台所にも立てなくなりました。
台所から見える和室、姉ラナがいなくなった和室を見ると、動悸がして涙が止まらなくなるから、リビングの扉を開けると、姉ラナの大好きなソファーに姉ラナがいないから、扉を開けるのもいやでした。
祭壇の前に行っては毎日骨壷を抱いていました。
このままでは、姉ラナが心配するから、姉ラナのためにも立ち直らないと、と思いながらも、あふれる涙。
私は新しく犬を飼おうとラナパパに告げました。
姉ラナの変わりといったら次に来る子がかわいそうやけど、姉ラナのいなくなった空間を埋めたいと。
maikさんは、心配してくれて、姉ラナにと写真たてを作ってくれたり、本当に支えてくれました、自分を責めないでと、メールを頻繁にくれました。
友人も、姉ラナの話したくなったら、夜中でも良いから電話して、飛んでいくから、とメールをくれました。
前に進まないといけないと言う気持ち、姉ラナはいないのに、何で私は生きているんやろうと思う日々、毎日が辛かった…。
そして、どうしても納得のできない姉ラナの死。
私は毎日仕事の合間にパソコンで姉ラナの症状を調べました。
そして…誤嚥性肺炎…姉ラナとまったく同じ症状でした。
吐いたものが肺に入ってしまう、嘔吐がある場合注意が必要、前庭疾患で疑う病気にも入っていました。
パソコンを前に声をあげて泣きました。前庭疾患だけではなかった。
前庭疾患で死亡率はほぼないこと、これが私の納得できない理由でした。
ラナパパは、パソコンを前に怒りをぶつけていました。
ただ症状が似てるだけ、誤診の証拠はないけれど、やはり誤診に近いと私たちは思っています。
聴診器さえあてず、姉ラナに触れたのは、宙に浮かせたときだけ、私が姉ラナを殺してしまった…その日から私はまた、自分を責め続けました。
もっとちゃんと見てください、と医者に言えばよかった、ちゃんと姉ラナの症状を、私が伝えれてなかったかもしれない、あの時もっと先に症状を調べておけばよかった、私が姉ラナを殺してしまったかもしれない、あの病院に連れって行った私が姉ラナを…毎日そればかり。
姉ラナに対しての罪悪感ばかり、姉ラナは本当は助かったかもしれない、と言う思い。
『姉ラナの元へ逝きたい』それが、私の口癖でした。
たまたま持った包丁が滑って手首を切った私。
心配するラナパパを横目に、私はもう少し左なら血管切れてたから、姉ラナのとこいけたかも知らんのにな、と正直思いました。
今思えば、こんなこと姉ラナが喜ぶはずもないのに。
そのときの私には、姉ラナがすべてでした。
毎日姉ラナは夢に出てきてくれました。
睡眠薬が抜けずに朝はふらふらでしたが、姉ラナが夢に出てきてくれるのが嬉しかった。
毎日毎日泣きました。
こんなに涙はでるんやとほんま思うくらい泣きました。
家にいると夫婦でため息ばかり、完全に5月4日から、笑いが消えました。
我が家で飲み会をしていた、友人は姉ラナのために皆で時間を合わせて集まってくれました。
maikさんは私の、暗いメールを毎回受け止めてくれて、励ましてくれました。
高校からの友達も、頻繁にメールをくれました。
このままやったらあかん、前に進むために頑張らないと、そう思いました。


姉ラナの旅立ち

2012-01-24 13:18:15 | 姉ラナ旅立ち-ラナとの出会い
長文です。姉ラナの旅立ちを書きたいと思います。
最後に姉ラナの最後(亡骸)の写真を載せますので、苦手な方はスルーして下さい。
最後の写真を載せるのは、18年5日を生き抜いた姉ラナの最後の姿を、最後まで頑張った姉ラナを見てほしいからです。

2011年5月3日、その日はGWで、私もラナパパもお休みでした。
何の変わりもなく、いつもの毎日、もちろん姉ラナも元気でした。
その日の夜、姪が来ていたので、夕飯に焼きそばを作り、いつものように姉ラナも食卓を囲み、大好きな焼きそばにテンションの上がっていた姉ラナ、本当に元気でした、私の食べるのを横取りした時に、私のお箸を折ってしまうくらい元気でした。
23時頃でした、突然寝た姉ラナ、起きようとしてもなかなか起き上がれず、起き上がっても同じ方向に回っていました。
痴呆になってから、同じ方向に回るのは毎日のことやったので、いつもと同じ光景。
日付が変わった2011年5月4日午前0時過ぎ、一度吐きました。
でもしんどそうではない、いつもなら寝てる姉ラナが、寝かしたら起き上がるを繰り返しました。様子を見ていましたが一向に寝ません。
しんどそうな気配すらなし、普通でした。
夜中2時半くらいにもう一度吐きました。
そのとき鼻からも吐いたものが出たので、私が鼻を吸い、吐いたものを出しました。
寝かせても起きるを繰り返し、明け方5時頃、突然普段鳴かない姉ラナが泣き出しました。抱くと落ち着き、下ろすと鳴く、5時過ぎから姉ラナを抱いたまま、部屋中を歩きました。
かかりつけ医に電話しましたがつながらず、留守電にメッセージを残しました。
9時前豪快に吐いた姉ラナ、口からも鼻からも大量に液体を吐きました。
慌てて病院を探し、祝日でもしている病院に電話を入れ症状を話しました。
ゼイゼイ言う姉ラナ、慌てて病院に連れて行き、かなりの人やったので、先に先生が車まで姉ラナを見に来てくれました。
症状を話し、鼻からも吐いたので、器官に入ったりしているかもしれないと伝えました。
先生は『見た感じ大丈夫です、今すぐ診察するほどでもないので順番を待ってください』
私『死んだりはないですか?』
先生『見た感じそんな死ぬどうこうはないですよ、昨日寝てないから寝てるだけです』と言われ、安心して泣いてしまいました。
しばらくして、姉ラナが目を覚まし、また鳴き始めました。
目を見ると眼振が、眼振は初めてではなかったので、もう一度先生を呼びました。
先生『前庭疾患ですね。眼振で目が回る、だから吐くんです。』
私『この子普段鳴かないんです。鳴いてるのは?』
先生『あのね、世界が回ってるんです。怖いんです。寝れないのもそのせいです、人間でも回ってたら怖いでしょ!』と言われましたが、以前の眼振のときは鳴くことはなかったし、その時も前庭疾患と言われたけど、こんな感じではなかった…。
順番になり、私は先に『先生この子かなり吐いたので脱水症状が心配です。吐いたときにも鼻からも出たから器官に入ってるかもしれへんし』と何度も伝えました。
先生から『前庭疾患ですね、右回りに回ってたでしょ?』 
私『この子痴呆で歩くときは回るから、どっちにまわってかって言われたら両方です。』
先生『首を下にしてたり、首がお尻のほうに言ってたでしょう?』
私『言ってたけど痴呆になってからそんなポーズはずっとしてました』
先生『前庭疾患は脳からきてる場合もありそうなると麻酔をして…(説明続く)』
私『先生この子はもう18歳で麻酔に耐えれるかわからへん、だからとりあえずこの吐き気と苦しいとこあるならそれを取り除いてあげてほしい』と言いました。
すると先生いきなり姉ラナを両手で持ち上げ、姉ラナを宙に浮かし左右にゆっくり振り始めたのです。そのとき姉ラナの鼻から液体が出ました。先生は汚いものをよけるように、自分の体を後ろにずらし、姉ラナを宙に浮かしたまま前に出しました。私は悲しいのと怒りがこみ上げました。
看護師さんも診察台についた姉ラナの液体を姉ラナの枕で使っていたタオルで拭きました。
診察室に入り20分以上治療は行われず、前庭疾患についての説明だけ、先生は明日これるか?と言われたので、明日連れてこれるけどかかりつけ医があいてたらそちらに行くと伝えました。
すると先生『かかりつけ医の先生も、前庭疾患やからこれが最善の治療ですと言うはず、腎臓の数値も高いから。かかりつけ医に言ったら、もう間違いなく前庭疾患ですと言われます、明日も点滴に来てほしいですど、明日かかりつけ医に言ったら前庭疾患と言われましたというください』と言われました。
腎臓の数値が高いのは毎日飲んでる、薬の副作用と言うのも伝えましたが、この医者は私たちの話はすべて無視して前庭疾患と決め付けました。
そして脱水症状の出ている姉ラナに治療が始められたのは、診察室に入って30分以上経過してからでした。診察中聴診器すら、姉ラナの体にあてることはありませんでした。したのは血液検査と鼻から出た液体を調べただけ。
その間も鳴き続ける姉ラナ。輸液の点滴、抗生物質、吐き気止めを打ちました。
診察室から出るとき、抱いた姉ラナは首がダランとしていました。
病院から出て帰りの車の中で、前以上に苦しそうにゼイゼイ声を出し息をはじめた姉ラナ、薄目を開けていたので、目を閉じようと触れたとき、異様に冷たく、硬直して目が閉じれない、口も閉じれない。
『ラナパパ!姉ラナが死後硬直みたいに冷たくて固まってる!』と叫びました。
家に着き、先ほどの病院に連絡を入れて、こんな状態で目も閉じません。
と伝えると、
先生『目のとこに手をやると目を閉じるので』と言われました。
そんなもんとっくにしてるわ!頭にきた私は『もうね、息は苦しそうにしてるけど、死後硬直みたいに冷たくなって固まってるんです!だから今からまた行きますから診てください。』と泣きながら言いました。
すると…先生『もうかなり危険な状態ですね。でも連れてこられても困ります、うちではきちんとした治療をしたのでこれ以上できることはありません』と。
頭が真っ白でした。苦しんでる姉ラナを前に何もできない自分。
もう一件電話しましたが、そこも診てはくれませんでした。
泣き叫び、ラナパパと二人、『姉ラナ!頑張って!!逝ったらあかん!!』と体をさする事しかできませんでした。
姉ラナが吐きました。
それと同時に…呼吸が止まりました。
心臓は動いている、慌てて私は鼻から空気を送りこみました、呼吸を再開した姉ラナ、泣き叫び姉ラナの体をさすり数分後、心臓呼吸ともに止まり、ラナパパと心臓マッサージと空気を送り込むと、動き出した心臓、呼吸も再開、
『姉ラナ頑張って!逝かんといて!』と何度も泣き叫びました。
大きな深呼吸をして再び心臓と呼吸が止まりました。
心臓マッサージをしようとする私の手を握り、ラナパパは『もうやめたり、姉ラナはやっと今楽になれた…』
私『いやや!!姉ラナ逝ったらいやや!!私も一緒に逝く!姉ラナ一人では逝かせへん!!姉ラナと逝く!!』と何度も泣き叫びました。
ラナパパは『そんなん言わんといて…一緒に逝っても姉ラナはよろこばへん、そんなん姉ラナは望んでない、姉ラナよく頑張ったな』と泣いていました。
泣き崩れ、叫ぶ私、姉ラナにすがり『姉ラナが逝ったらママはどうやって生きていけばいいの、一緒に逝く』と繰り返す私に、ラナパパは『姉ラナは、頑張って生きた。俺らが看取れる日を選んだんや、やっと楽になれたんや、姉ラナに心配かけるようなこというな』と言われました。
2011年5月4日13時40分頃享年18歳と5日姉ラナは、私とラナパパに看取られて虹の橋へと逝ってしまいました。
姉ラナを抱きしめ、泣き崩れました。
お世話になった友達に姉ラナが旅立った事をメールしました。
電話をかけたmaikさんは、夕方、お花とお供えを持ってきてくれました。
泣く私を落ち着かせてくれました。姉ラナに手を合わせてくれました。
夜。
前に働いていた職場の友達と、高校からの友達が来てくれました。落ち込んでる私たち夫婦のために夜中まで姉ラナの思い出話を聞いてくれました。
和室には姉ラナの亡骸、いつものように寝てるみたいで涙が止まりません。
友人が帰ってからラナパパが、『ソファーにな、元気な頃の姉ラナが丸まって寝てるねん、姉ラナがなって話す度に顔上げてこっち見て不思議そうにしてたねん、姉ラナ帰ってきてるよ』と言われました。和室の亡骸にすがって泣きました。
姉ラナ最後の写真です。苦手な方は見ないでください。

















姉ラナはお花に囲まれて、大好きな食べ物に囲まれて、大好きなふかふかのお布団に寝かし、姉ラナの大好きやった毛布をかけて、永遠の眠りにつきました。
目は頑張って閉じさせようとしたのですが、開いたままでした。
最後に苦しませてしまったこと、病院で痛い思いをさせてしまったこと、それが一番辛いです。
苦しませた…それが本当に辛い。
姉ラナごめんね。姉ラナ…ほんとにごめん。