あちらはいかがですか、たかちゃん?

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スマホを変えなくては、、

2021-10-25 06:00:00 | 日記
スマホの調子が悪い。
iPhoneにすればと何度か言われたけれど
一から覚える自信がない。
私のはアンドロイド。

2年前に、
スマホが熱くなり
バッテリーが膨らんで
誤作動で勝手に電話をかけていて
ずいぶん迷惑をかけた。

一番最後に電話をかけた人に
勝手に電話をかけていたスマホ。

あなたは私の手の離れたところで
勝手気ままに何をしてるんですか、、

まるでスマホが生きてるみたいで困った。

深夜にもかけてしまうので、
まるでわたしが嫌がらせをしているみたいで
丁寧に謝罪した。


3日前から
また熱くなり
今度は
ブログの入力ができなかったり
消えたりした。
最近、ブログのフォローを
増やしたことが原因かと
全部フォロー解除して
それは無くなった。

多分、古型で容量が小さいのだと思う。
また恐ろしいことが起こるかもしれない。
スマホが勝手に電話を、、
こんなことが起きたら大変、、


時代についていけない私は
新しいものを取り組むのに抵抗を感じる。


4年前にスマホを変えて
その2年後にバッテリーがおかしくなって
同じ機種の新しいものに変えた。

また2年が過ぎている。
今日こそ行ってこなくては、、

今日こそスマホを変えてこないと、
と思っている。

こんなことで、一人どうしようかと悩むのである
ずっと変わらず
ずっと同じものが
願いなのだが。


たかちゃんが亡くなってからは
この思いは強くなり
ちょっとしたことで
大変なことのように感じてしまう。

自分の不得意分野だとなおさら、
困った困ったと一人悩むからでもある。


他の人に話す程でもないことだから
余計困ることなのだと思う。

「どうしようか」
「大丈夫だよ」
こういうことを言ってくれる人が
側にいない。
背中を押してくれる人がいない、、

ほんと
こんなことで
日々悩む、、

たかちゃん依存症が
その相手がいなくなると
こんなことになる。

なんとか
もう7年もやってきたのに、、

年取ると、
面倒だなも加わって、、
街はあまり好きではないこともあって、
コロナでいっそうで出不精に、、
いろいろ自分に理由をつけて、、



「早く
機種変してこいよ」(たかちゃんの声)



だよね、、、
行けばいいことなのにね。


近くの公園のイルミネーション、
もう、こんな季節になっているのですね。
一人で見るのも慣れたけど、、


犬のシェルポ君、私の同志

2021-10-24 06:00:00 | 日記
犬のシェルポ君は
たかちゃんが、
病気になり入院する9ヶ月前に来た。
生まれて3ヶ月の子犬だった。

今は
12月で10才になる。
人間でいうなら50代から60代、、
昨日の山登りで
何人かの人に、
「今、何歳?」
と聞かれて、知らない人が撫で撫でしてくれた。

シェルポ君が1才2ヶ月の時に
たかちゃんは入院した。

シェルポ君のご主人様は
たかちゃんだった。
私は、多分シェルポ君の召し使いだったようだ。

シェルポ君は
たかちゃんを尊敬していた。

たかちゃんが帰ってくると、
30分は一緒に遊ぶ。
ボールやぬいぐるみの奪い合いをするが
たかちゃんは決して手加減はせず
シェルポ君は負けばかり。
犬なりに、勝てないたかちゃんを
すごいと思っていただろう。

私は、勝たせてあげるから
順位としては
私は、下だったのだろう。



たかちゃんが
ガン末期で家にいると、
たかちゃんはシェルポ君のことを
「毎日のお友達」
と、言っていた。
たかちゃんのベットにいて、いつも一緒だった。

たかちゃんが亡くなる前日になると、
たかちゃんは、ずっと寝ていて、
起こしても起こしても
起きない。
もう、意識はなかった。
シェルポ君は異変を感じて、
たかちゃんの撫でてくれた手を
ずっと舐めていた。


たかちゃんが家で亡くなった後、
冷たくなっても、シェルポ君は
たかちゃんの側にいた。

葬儀やさんが来て、
シェルポ君はサークルに入れられた。
たかちゃんの側には
シェルポ君の代わりに
ドライアイスが山ほど入れられた。

翌日、
シェルポ君は、動物病院に預けられた。

一週間後、
シェルポ君が家に帰ると、
たかちゃんは居なかった。
リビングのたかちゃんのベットの代わりに
三段の白い布の棚があって
たかちゃんの写真と白い箱があった。

シェルポ君は
たかちゃんがそのうち帰ってくるだろうと
ずっと待っていた。
でも、
待っても待っても帰ってこない。

散歩で駅の方に向かうと
時々、たかちゃんを駅まで迎えに行っていたから
たかちゃんが帰ってくるかなと
シェルポ君は思っていた。

「あっ、たかちゃんと似てる」

そうすると、シェルポ君は
私を強い力で引っ張って
その人の前まで急ぎ足で行って、
振り返る。
また急ぎ足で振り返る、また振り返る。

何度もシェルポ君に覗きこまれた人は、
何なの?とばかりに
シェルポ君と私を見るので
私は、
「家族と似てたもので」

もう、7年も経つけれど
違う場所でも
未だにシェルポ君は
たかちゃんを探している。

家で
シェルポ君に
「たかちゃんは?」
と聞くと、目を伏せるようになってきた。
7年の歳月が、シェルポ君の諦めに似た仕草に
変わってきた。

それでも、
外に散歩に行って
後ろ姿が似てる人に、
微妙に尻尾をふりながら、顔を覗きこむ。
「また違う」
そう思うと、しっぽの動きがなくなる。

いつになったら帰ってくるのかな、、
ずっとそう思って待っているんだね。


私も
たかちゃんが乗っていた仕事の車と同じ色の車が
通る度に、
運転手を見てしまう。
たかちゃんが亡くなって2、3年は
見ていた。
居るはずがないのに。

私は、
たかちゃんの幽霊でもいいから待っている、
シェルポ君は
ずっとずっと待っている。

今は、
私のベットの足元に、
いつも寝ているシェルポ君。

出来たら、
シェルポ君と一緒に死にたい。
どちらも残されるのはイヤだものね。
それは無理だろうね。

もしも、私が先に逝ったら
娘に頼んでいる。
事故に遭えば、明日生きてるかなんてわからない

娘は忙しいから、
面倒をみるのは難しいと思う。
ジャックラッセルテリアの里親制度があるから
それに登録するようにと話してある。
娘は、他人には預けられないと言っている。

この犬種を飼っている人は、
必ず声をかけてくる。
とても我が強い犬種で飼いにくいが、
飼ったら、その魅力にとりつかれる。

同じ犬種のワンコに近づくと、
「うちの犬、噛みますから
近づけないでください。
そんなことを言われることも。
自由に育てるとそんなこともある。
この犬種を飼ってる人なら頷ける
自由犬なのである。

たかちゃんは噛むことだけはしないように
しつけた。
人を噛んで保健所行きになったワンコを
知ってるから。




趣味が合ってよかった。
シェルポ君も山や野原が大好き。
旅が大好き、
目が輝く。

同じ時を過ごす限り、
どうぞよろしく、シェルポ君。

筑波山(つくばさん)、登ってきました。

2021-10-23 11:39:00 | 日記
朝、5時半に出発して、
茨城県の筑波山の麓のつつじヶ丘に到着。
7時45分登山開始。



筑波山は女体山と男体山からなる、
百名山の一つ
877m

女体山と男体山の麓に
各々ケーブルカーが行き来していて
すぐに行かれる山。
頂上まで
1時間20分の予定だけど、
体力ない私は、
多分2時間、かかるかな、、

子供たちが、小学校の時に、
遠足で登っている山。
石がゴロゴロして、
膝にきそうなところです。






所々、神社が祭られていて
山の神様がいるのでしょうか、、

最後の頂上は、
ケーブカーの方もいて
大混雑。




女体山のケーブルカー乗り場の
展望台から見た男体山。



遠く南西に
富士山が見えました。



帰りは
シェルポ君が足を切ってしまったので
ケーブルカーで
たった6分で降りてきました。


東には霞ヶ浦が、見えました。
雲が切れたら、
遠くに太平洋も見えるかもしれません。


今日は
土曜日とあって、
家族連れがいっぱいですが、
私には、今は
ワンコのシェルポ君が家族でしょうか、

車の助手席でぐったり寝ています。


今のところ、
残りの人生の相棒です。


北海道でのことが書けない

2021-10-21 06:00:00 | 日記
北海道に行ってからのことが書けない。

書いてもアップさせ続けるのに
抵抗を感じる。

ずっとどうしてなのか
考えてみた。

一番悲しかった時を過ごしたからなのか、、
甥っ子はいたが(一緒には住んでいない)、
一番強く、死別に向き合っていたことを
書くのが嫌なのか。

たかちゃんの死から
7年経つけれど
まだまだ気持ちを消化することが
できないようだ。


たかちゃんが亡くなってすぐに

友人からの連絡で
友人の癌治療に寄り添い、
友人の死
母の施設通い、
母の死、
息子と共に仕事をこなし、
娘の結婚と出産、
目まぐるしい一年半だった。

その後、北海道に移住。
北海道に行く前も
十分、たかちゃんとの死別に
向き合ったつもりだったが、
本当に向き合ったのは
北海道に行ってからかもしれない。

覚えているのは、
たかちゃんが亡くなって3年が過ぎる頃、
たかちゃんが亡くなってすぐの頃と
3年経った頃で
悲しさが変わらない、
そう思ったこと。

うすら寒い心を
どうにかしたいと
ワンコをずっと抱きしめていた日を
思い出す。

北海道が寒いからではない。
北海道の暖房は、関東より暖かくて
セーターをたくさん持っていっても
ベストぐらいしか着ないで
家の中は、
春のような長袖Tシャツだけで過ごせる。
毎日吹き荒れる風もなく、
防寒さえしていれば思ったより寒さは感じない。
吹雪だけは、さすがに大変だったけれど
数えるくらいしかなかった。

時間の経過とともに
たかちゃんの死も
もっとやわらぐものと思っていたけれど、
そうでもなかったから、
3年という月日が経った時に、
そう感じたのだと思う。


ずっと北海道にいたわけでもなく、
2か月に一度は関東に来ていたし、
たかちゃんの命日や盆や正月にも往復していた。


それなのに、
たかちゃんとの死別の想いは、
なかなか晴れるわけでもなかった。

関東に戻ろうと
思ったわけは、
息子が早くに一人で仕事をこなせたこと、
それと、
用事で関東に来て
また札幌に戻る飛行機で

たかちゃんのお墓の場所の上空を通った、
その時、

お墓にたかちゃんはいないけれど
たかちゃんのお墓の側にいたい
そう思ったから。

たかちゃんが
もう帰ってこいよと
そう思わせたのかもしれない。

今、お墓に一番近い町に住んでいる。
自転車でも墓参りは行くことができる。
無宗教で
墓にたかちゃんを感じることもないけれど、
月命日には行っている。


ブログを始めた当初は
北海道でのことも
想いもすべて書いて
前向きに生きていけたらと
思ったけれど、

結構、根が深くて
ここでつまづくとは
自分でも思っていなかった。

死ぬまで死別を達観することは
できないのかな、、
つまづいて、
後ろ向きに考えてしまったら、
そんなことも思えた。


ゆっくり
北海道でのことは
とりとめもなく書けるようになったら
ボチボチ書いていこうと思う。

北海道に住んで
死ぬまでにしたいことの一つは
達成されたのだから
これはこれで
自分の中で
納得のいくことでもあったと思う。



昨日のワンコの散歩で

「こんな時期に
たかちゃんが元気な時の最後の旅行で、
伊東に行ったな、、
もう、9年も前か、、」

いっつも、
たかちゃんにくっついていれば良かった、
何も心配することもなく、
たかちゃんが運転で
私は、助手席で、、

もう2度と
あんなに安心していられることは
ないんだな、、



北海道での
シェルポ君。
初めは寒がりで雪に尻込みしていたけれど
バッチリ防寒したら
新雪が降ると喜んでいた。


心療内科の経過と選択

2021-10-20 06:00:00 | 日記
初めての受診から
2週間後の
2回目の受診日。

先生「いかがですか?」

私「ほぼ1日中、眠くて何もできません。

先生「薬が効いてくるまで、1ヶ月は必要な期間なので、あと2週間続けてみてください。」
先生「睡眠がとれる薬を変えますね。また、2週間後来て下さい。」


前回、薬の効用について説明があった。
風邪薬のようにすぐに効くものでなく、
最低3週間から1ヶ月経過して、
効果を診るという、
忍耐がいる治療なのである。

しかしである、
眠くて眠くて仕方ない。
食事と、必要最低限の家事と
犬の散歩、買い物以外は
横になってるか、
寝ているか
のどちらか、、

眠剤を飲むのをやめよう、

勝手に眠剤はやめて、
治療薬だけを飲んでいた。

しかし、
これでも眠くて仕方ない。
日にちが経てば、からだが薬に慣れるとも
先生は言っていたけど、、
ほぼ1ヶ月寝て暮らしていたと言っても
過言でない。



3回目の受診

先生「いかがですか?」

私「やはり、眠くてどうしようもありません。」

先生「合わないと思いますから、薬を変えますね。」

今度の薬は
幸せホルモンのセロトニンを
増やすだけでなく、
意欲ホルモンのノルアドレナリンも
増やすものになった。
今度は1ヶ月後の受診となった。

この1ヶ月間も、
からだが慣れるまでの辛抱だと
飲み続けたが、
寝太郎ではなく、寝ばばになっていた。


4回目の受診も
いつものやり取りで、
薬が変わったが、
この頃は気持ち的に、どうでもよくなっていた。

これでずっとこの調子なら
治療をやめよう、
そう思っていた。

やはり、からだが薬に慣れないのか、
それとも体質的に合わないのか、
ずっと寝ていた。
合計3ヶ月を
ほぼ寝て暮らした。

患者とは
からだの状態が良くなれば、良い先生。
悪くなれば、ダメ先生になる。
私にとっても、
その先生を信頼する気持ちは、
低下していた。

腐った気持ちが芽をだし
「先生は鬱の薬を飲んで副作用を経験したわけでもないし


以前、
頼まれて一年ほど、
内科クリニックに夕方週2回だけパートをしていた。

その内科医は
患者にはバンバン薬をだすが
自分は体調を崩しても、
決して薬を飲まなかった。

薬には、どんなものでも副作用がありますからね、、」

私は、ちょっとちょっとそれはないでしょ。
せめて風邪薬くらい飲んで、自分で試してみてよと思ったものです。

この心療内科の先生も
抗うつ剤なんて飲んだことはないのではと思う。

八つ当たりはしてはいけない。
心療内科の先生は
標準的な治療をしていたのだから。
ネットで、それは確認していた。


確かに、
悲しいとか空しいとかの気持ちは
遠のいていたように思う。
でも、生活の質は最低に近い。
「これじゃ、生きているのか死んでいるのか
わからないような生活だ。」

私は、
パニック障害と睡眠障害を治したい。

パニック障害と鬱は、同じような経緯で
起こるらしい。

これでは私が目指すものではない。
この時、
死別であることが頭にはなく、
自分の生きたい、それも元気に活動したい
ということを
自分が求めているものなのだと気づいた。



薬を飲んで、
悲しみや空虚感がなくて
寝て暮らすか

薬を飲まないで
悲しみや空しさを感じていても、
からだが動ける生活をするか、

私は、後者を選択した。


心療内科を受診して
3ヶ月後の4回目の受診の日、

先生「どうでしょう、
薬がからだに慣れましたか。

私「パニック障害について良くなったかはわかりませんが、悲しいとか空しい気持ちは感じません、それは良くなっていると思います。

私「先生は1年間薬を続けなければいけないとおっしゃいましたが、
あまりにも眠くて行動が制限されるので、一度、薬を切ってもよろしいでしょうか

先生「いいですよ。睡眠の薬はどうしますか?

私「よく眠れていますが、1ヶ月分だけお願いします」

先生「一度こちらにかかっていれば、急な受診も電話すればできますから、その時は来て下さい」

私「ありがとうございます。」


私のからだがどうなっているのかは
わからないが、
どうにも薬は合わず、
治療は断念してしまった。
あれから心療内科は、
一度も受診はしていない。

パニック障害については、
アラ治療ではないが、
避けるのではなく、
大丈夫と思えるときに、挑んでいる。

今は前ほどのひどいパニックにはならないが
渋滞を避けたり、人混みを避けたりしている。

睡眠障害は
なるべくからだを動かし、
平穏な日々を心掛けている。

相変わらず薬は使ってない。
眠れない日もあるし、
眠れても3回も起きるときもある。
深夜に起きてそのまま朝を迎えるときもある。
このブログを始めたのも、
いつも朝早くから起きているからでもある。



決して、
私の体験は参考までに。

心療内科で良くなっている人もいるし、
通うことによって仕事ができている人もいると思う。

私は、この時、仕事を辞めた後なので
家でゴロゴロできた。
ただ、この期間、
の子育てを手伝うことはできなかった。



札幌の藻岩山に登っていた時、
年老いたお兄様がよく言っていた。
「病院にいるより
山にいた方が病気にいいよなー。」

あながち、
これは否定できないかもしれない。
自分の都合よく、解釈している。

肺がんで、山に登っていた人もいた。
かなり苦しそうに見えたが、
最後まで好きなことをしたいんでね、
と、話していた。

上の写真は
道の駅しもごうからの風景です。