あちらはいかがですか、たかちゃん?

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ブログ中断します。老後の不安に対処する方法の一つ、介護保険

2021-10-30 06:00:00 | 日記
今回も長々としたものになりますが、
最後まで読んでいただけたら
うれしいです。

今回でブログを一旦中断させていただきます。


短い間ですが(1ヶ月と20日間)、、
こちらに載せていただき、
夫との死別後のどうしようもない気持ちを
吐かせていただき、
ありがとうございました。

心配していただいた方にも
フォローしていただいた方にも
読んでいただいた方皆様に感謝しております。

初めてのブログで、
文章が稚拙であったり、誤字脱字が頻繁で
読みづらかったと思います。
それと、
ありのままを吐かせていただいたので
気分を害する内容、
不快にさせてしまったことも
あったと思います。


それでも書いていて、
まだまだ死別を自分なりに消化できてない
自分を知り、
未だに感情の起伏に悩み、
そんな日々であることを改めて知りました。

私は、現在ワンコと一緒ですが、
一人暮らしです。

前職のストレスと死別の悲しみで
精神が病んでいますが、
なんとか行動しているので
多分、変わらず
どこかの空の下と家とで往復していると思います。

ワンコも年老いてきており、
娘は近くに来るように再三言われていますが、
娘との同居は無理ですし
娘の近くも、、、
夫の墓近くが落ちつきます。
隣の市に住む息子も落ちつきまして
あとは
できることをして
私一人と向き合うだけです。




一人暮しの不安は
夫が亡くなってからずっとあります。
皆様も多分、一人であっても、そうでなくても
あると思います。

私は前職で
介護保険に関わった仕事をしておりました。
この愚痴を言ったら、
公務に関わるので控えました。

ただ、
一人暮しの私にとっては、
これから年老いていく中でとても役にたちました。

それで、
お役に立てばと思って載せさせていただきます。




年老いてきた老夫婦、
配偶者に先立たれた人、
ずっと一人者の人、
さまざまの人達が老いてきてからの
生活の自立が難しくなってきます。

腰を痛めて、掃除も買い物もできない

お風呂も一人では不安。

入院したが退院後の一人での生活が不安だ、

配偶者に先立たれて、家がごみ屋敷になってしまった。
一人で病院にいけない、どうしよう、、などなど。

脳血管疾患で麻痺が残ってとか、糖尿病で目が見えなくなりつつといった、
重い病気でなくても、
生活の支障に困っている、


そういう方でも、
介護保険料を払っていれば、
頭だけしっかりしていれば、
なんとかなります。

ただし、使える年齢が65才以上。
特殊な病気のみ、40才から64才まで使えます。
それと、病院受診している、
ということが必要です。

写真下記参考



(読みずらくてすみません
お近くの地域包括支援センターにあります
ほしい方はもらえます。)

65才までまだまだという人が多いと思いますが
頭の片隅にでも
入れておいたら
年老いた一人暮しも少しは安心だと思います。

私は、夫を自宅で看とり、その時も
この制度に助けられました。
40才から64才までの
癌末期の枠で使えました。

私は、自分が重い介護が必要になったら
子どもではなく、
施設にいきたいと思っています。

でも、その前段階として
この介護保険で、一人暮しを
家で過ごしたいと思っています。
いや、家にしがみつきたいと思っています。

仕組みについて


料金は収入に応じて、
全料金の1割から3割です。
タダではありません。
お財布と相談して
家族や知人に気をつかって頼むよりは
良いと思います。

年老いた親をおもちの方も
考えてみてください。

離れて住んでいるなら、
週2回のデイサービスに行ってお風呂に
いれてもらうとか、運動機能の向上だとか、、
家のお掃除、看護師さんに来てもらう
、、などなど。

まずはお住いの市役所や区役所に相談してください。
お近くの地域包括支援センターを紹介してもらい
相談の電話からしてみてください。

健康保険料に介護保険が含まれ
毎月払っているかと思います。
保険料は年々上がっています。

年々、介護保険で使われる金額が国の財政を圧迫して、
問題になり、審査も厳しくなっていますが。

ぜひ、老人じゃない、
なんて言わず、
使える年齢になって必要なら
不安がらずに
それで一人暮しの不安を少しでも和らげて、
生活の質が保たれればと思います。

死別で心痛めているのですから、、

勝手にこんなことを載せさせていただきました。
(経年で変更される事柄があります。)
これで私の得するものなどありません。
自分もこれで一人暮しを少しでも長くできるかと
思っています。


私は働いている時、
この制度を知らない人に広める
月1回のつどいをする役目もありました。
でも、この時間を取るのも
なかなかできないくらい、
忙しいのです。
これを広める人が
他の業務で忙しすぎるのです。
老齢人口が増える一方で忙しいのです。
愚痴になりそうでやめます。

介護保険を払っていても
制度を知らないと使えません。
地域によって介護保険料は異なり
今、月5000円台でも、
数年後には7.8千円と
なるのは時間の問題です。

ぜひ、
必要になったら
活用してください。
また、必要とされている人がいたのなら
教えていただけると
その人も助かります。

電話で相談する、
この行動だけで
いろいろな人が関わってくれて、
大変な事務手続きも代行してくれます。

老後の不安を解消できるものの一つに
なることを
願っています。




働いて知識を得たり
行動して心を解放させたりと
年老いても
何かは向上するものですね。


いろいろしなければならないこと
娘の発達障害の子や小麦アレルギーの子、
吃音の子、
間接的な手伝いですが
できる時にできる範囲でと思っています。

ブログが
尻切れトンボになってしまうので
一旦中断いたします。

きっと旅がないと
生きていけないので、
どこかで、フラフラしてるでしょう。

死別を経験した者として、
より良い生活ができるように
自分もなりたいし
皆様もそうなるように
願っています。

つたない文章でしたが
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
m(__)m


回想:死別者との出会い②死別10年後の再婚

2021-10-29 06:00:00 | 日記
(今から4年4ヶ月前)


釧路を旅していた帰りの
パーキングで

ワンコを休憩させていた。

そこに私と同じ地域のナンバープレートの
車が隣に停まった。

私は関東にいた時のナンバーのまま。


ワンコをパーキングで散歩させていると、
さっきの同じ地域ナンバープレートの
男性の運転手が話しかけてきた。

男性「どちらから?」
私「前は○○市に住んでいましたけど、今は札幌に住んでいます。」

その男性と助手席の女性は、
たかちゃんとずっと住んでいた町の隣町に
住んでいた。

女性「私たち新婚旅行で来ています。

それから、話し好きのご夫婦は話し始めた。
女性は65才で、
10年前に夫を亡くされ、
家に引きこもり、しなびれていた、と
そのだんなさんが言う。

それで、食事を作ったり、外に連れ出して
助けてあげたと
自信あふれて話された。

そのだんなさんは、結婚4度目。
その奥さんは、
そのだんなさんの一番目の奥さんと同級生とのこと

そのだんなさんは
「俺が、朝ごはんに洗濯に、それで昼ごはんまで
作るんですよ。
この人、ずっと寝てるんですけどね、、」

私「そうなんですか、、、奥さん、いいですね。」

北海道の知人に
奥さんを紹介ついでの新婚旅行だそうで。

私は奥さんに
幸せですか?」と聞くと

幸せですよ。


野暮なことを聞いてしまったと思った。
そこの空気だけが華やかな感じがした。

私も夫を亡くしたことを話し、
私「もう、他人と一緒に住むなんて考えられないし、できないな。」

と話すと
男性「そういう人は再婚は無理だね。」

と、
結婚4度目の人のお言葉でした。


こんな人生もあるのだな、、
人生いろいろだし、人それぞれ。
一度きりの人生だから
好きに生きていいと思う。

今のところ、
私は自由気ままに空の下を
ふらついていれば
満足かな、、、

このご夫婦を見て、
不思議と
羨ましいという感情はなく

たかちゃんが居れば
それは最高だけど
それは無理なことで

自分が好きなことをしていれば
マイナス感情はないのかもしれない。


私は感情起伏があるけれど、
この時、何も思わなかったのは確か。

それにしても
たかちゃんが病気もなく元気な時は、
配偶者と死別した人に会ったのは
息子の高校の部活で一緒だった同級生の親御さん
だけだったのに

たかちゃんを亡くしてから
配偶者死別者に出会うのは
自分からの歩み寄りでないケースで
二桁を越えている。



あなただけではないのよ
そう教えられているのか、、


旅は
どうせ知らない人だからと
みんなリラックスして本音を話していく。
知らない人だからこそ
言える話で、、

私の場合は
話しだけでなく
心も解放され
自然に癒された。

マイナス10度位になって
雪が降ると、
手のひらに落ちた雪の結晶をはじめて見た。
この年になって
一番の感動だったかもしれないし、
見たことのない景色にも
思わず声をあげてしまう。

たかちゃんと一緒でないのは
残念だけど、
そんな大きな幸せでなく、
自分のなかの決められた範囲の中の
幸せを
幸せと感じて
いけたら、
いいのかな。

目下、
目標は感情起伏なく、淡々と生活できること。
よく眠れること。

長々の話しになってしまうが、
娘が北海道に行く前に
「お母さん、
私は新しいパパができてもぜんぜん平気だよ。
なんて言っていた。

でも、
私がKちゃん(職場の女性の友人)と食事をしていた時、
娘から電話があり、
テレビ電話で
その人を紹介してと
確認していたっけ。
笑ってしまった、、、





北海道のKちゃんに教えてもらいました。
鹿が飛び出してきたら、1頭ではなく、必ず
群れているので気をつけること。
鹿が飛び出してきて、ハンドルをきって
亡くなった人もいる。
難しいなー、、

上の写真は
釧路湿原を走るノロッコ電車
今度はそれに乗ってみたい

回想:死別者との出会い①家庭内別居の死別者の言葉

2021-10-28 06:00:00 | 日記
(今から3年半前)



北海道に移住してから
仕事が休みになると
ワンコを連れて旅していた。

オホーツク海の網走近くに
能取岬(のとろみさき)がある。
なにもないが
急に海に向かって開けていく様は
心が解放される。







いつものようにワンコとボーッとしていたら
こんなところなのに、観光バスが2台やってきた。
皆、中年から高齢者が多く
一人で来ている人ばかり。

旅行会社でひとり旅のツアーがあるが
それらしい。

ワンコを連れていると、
話しかけてくる人が多い。
この時も、バスから降りてくる人たちに
ひとり旅とあって声をかけられた。

その中の一人に、
私より一回りは上の女性がいた。

一人者の匂いがするのか、
一緒に岬を散策していると、

女性「あなたは一人で旅してるの?
私「ええ、」
女性「私は一人になったのよ。夫が死んでしまってね」

私はびっくりした。
夫が亡くなってからというもの
未亡人によく声をかけられるので、
またか、、と思った。

女性「死んでしまったってだけで
私「、、、」

てっきり自分と一緒だと思って聞いていたら

女性「私はね、結婚してから夫がいやになって、
でも、離婚ができなくて25年家庭内別居を
していたら、夫が急に死んでしまってね。」

女性「全然何も思わないの、泣きもしないの。

私「でも、長く一緒にいたから悲しくないのですか」

と、聞くと
女性「しくも何とも思わないの。

幸せな結婚じゃないと、
悲しまなくて済むのか
と、、
北海道に移住したからというもの、
自分の意思で行ったにもかかわらず、
死別と向き合って、悲しかったから、
夫を亡くした人は、皆悲しいと漠然と思っていた。


それを聞いていた70代後半の杖をついた男性が、

「俺も半年前に妻が亡くなったんだ。」
「寂しくってしょうがないよ。

私に向かって
握手してくれ」
その男性の手にはカウンター数取器、
よく入場者数を数えるものを持っていた。

私は困って
「どうしてですか?」
とおどけて聞くと、

男性「娘がね、ツアーに勝手に予約して、
1年間に70人の人と握手するようにとノルマを言うんだよ。

私「そういうことなら、協力します。」
と、握手して、
その男性はカチッと押した。


このバスツアーは
関東から来ていて、皆ひとり旅なのだが、
何度かツアーに参加して、
顔見知りが集まってると聞いた。

配偶者を亡くした人もいろいろだなー。
幸せな結婚生活だと悲しみなのに、、
幸せじゃない結婚生活だと悲しみもなく、、


旅の恥はかき捨ててっというけど、、
きっと身近な人には言えなかったのね、、
ため息、、、


あっという間にバスは去って行った。



たかちゃんとの楽しい思い出や
辛い時、一緒に乗り越えた思い出、
そんないろいろな思い出があって
今の私があるのだと思う。
たかちゃんは、もう居ないけど
一人は寂しくて悲しいけど
一緒に居られて良かったよ。
今はそう思う。

でも、この頃は
幸せな結婚が悲しくて、
幸せじゃない結婚は悲しくない?
そんなの不公平だ、
なんてわけのわからないことを思っていたかも、、




宿で飲んだこのビール、
炭酸水みたいに軽いビールだけど、
うすい水色でおいしかった。



死別4年過ぎからの私ルール

2021-10-27 06:00:00 | 日記
たかちゃんが亡くなって、
4年が過ぎた頃だろうか。
この頃は、
札幌にも慣れ、仕事にも慣れていた。

仕事で知り会った、
私より一つ上のKちゃんと
仕事終わりに
時々食事をしたり、お茶したりと
札幌を案内してもらったり。


何度か仕事を変えたが、
順調に生活していた。

なのに、
悲しみは一向に無くならなかった。
と言うより、
札幌に行ってから、
じっくり悲しみと向き合った。



仕事で仲良くなったKちゃんに
さびしくないのかと聞かれて、
そりゃー、さびしいよ、、くらいの話は
していたけど、
深い悲しみを話すことはなかった。

Kちゃんは離婚歴があり、子供も成人して
働いていて
一人暮らしであった。

Kちゃんは、
一度でいいから幸せな結婚生活をしたいと
婚カツをしていた。

「あさりさんも一緒に婚カツしようよ。」

何度か誘われたが、その度に断った。


でも、どことなくKちゃんは私と居て感じるのか

「あさりさんは幸せだったのね。
そんなにだんなさんのことを想うことができるんだからさ。
でも、悲しさは私とは違うみたいだね。」

「私は、奥さんを亡くした人はやめておこう。

私から感じたのか、
そんな事を言っていた。

幸せな結婚生活か、、、
幸せだったんだな、、
不幸にならないと気がつかないなんて、

北海道に行く前に、
四つ葉のクローバーの置物
四つ葉のクローバーのストラップ
四つ葉のクローバーを持ったクマのクリスタル
別々の人から、3つももらって、

どうして、四つ葉のクローバーばかりなの?

わたし、不幸なんだと初めて気がついた。

たかちゃんが亡くなって一年半年が過ぎた頃だった


たかちゃんに、
幸せですか?なんて聞いてないから
どうだったのかはわからないけど、

新婚の時より、
年を重ねた40代に近づくにつれて、
子どもたちも手が離れて
たかたゃんとは、いつも一緒で
仲良しだったと思う。

だから、
たかちゃんが亡くなってからは
どうしようもなく一人で立っているのが
頼りないというのか、
所在ないようになってしまった。




たかちゃんが亡くなって
いつ頃までだったか、、

一人になって泣き出すと延々泣いていた。
札幌にいた頃が一番ひどかった。

この繰り返しを何百回、
数えきれないくらいだった。

でも、延々何も変わらない。

そう気がついたのは、何年も過ぎた頃の
札幌にいた最後のほうだったと思う。



泣くのは30分にしよう、

もう、グチャグチャわけわからない状態は
終わりにしたい、
そう思った。

今でも、
たかちゃんを想って泣く時は
30分、、



泣く私と
客観的にそんなことを考える私。

私は、二重人格なのか、、



今は
死別7年を過ぎて、
あの頃のように泣くことは
本当に少なくなった。


想いは変わらないけれど

諦め、
何をどうしても
変わらないこの事実の諦め、
なのだろうか、、


泣くのは30分。
いつもキッチリとはいかないけれど、
そのうち
時計を見なくても
「終わり終わり」
と自分に言い聞かせて、30分泣くことは
ないと思う、


こんなことを
きっちり決めてるわけではないが、
これで
崩れてしまう自分を守っている気がする、

泣くのを抑えるみたいだけど、
短時間で涙ボロボロで泣けば、気が済んだ。



悲しいルールだなと書きながら思う。

しかたないよね、、

未だにこんな言葉しかでない。



私のスマホのラインには
たかちゃんのラインがある。
たかちゃんのスマホは解約したから
ラインを送っても既読にならない、

でも、悲しかった時
送ったラインがいくつかある。
決して既読にならないけど、
想いが届くといいのにと。


上の写真は
札幌の旭山記念公園から札幌を見渡した景色
よく映画のロケにも使われ、私にお気に入りの場所。
遠く石狩平野、石狩の海や帯広方面の山々も見えて
夜景もきれいなところ。
札幌に行ったら、ぜひ行ってほしいと思う。
雪の季節は閉鎖されているのでご注意を。

新しくなったスマホ

2021-10-26 06:00:00 | 日記
やっとスマホを変えた。
使った容量が、いっぱいいっぱいで
作動するのがやっとの状態だった。

今度のは、今までの3倍の容量

4時間もかかってしまった。

移行するのに、
IDだの、パスワードだの
一度家に帰って、
それが書いてある物を取りに行った。
くれぐれも同じような人は、下準備を。

びっくりしたのは、
スマホサイズのものが、二重になって
本を開くように2倍の大きさになる。
画面が大きくなり
老眼の私にはいいなと思うが
値段も大きい、25万円。
それと反対に、折り畳みで
二分の一に小さくなるのも、、
日々進歩してるのね。

無難な7万円台くらいのを
分割払いにした。





帰りは真っ暗になってしまい、
ママちゃりを走らせながら
晩秋のこの季節にやられてしまった。
帰り道で

「なんで一人でこんなことをしてるんだろう」

「この先も一人で、、、」

と思ってしまったら、
気持ちが寒々しくなってしまって、、
早い時間に帰るようにしなくては、、

夜遅くまで働いていた頃は
あたりまえの時間だけれど。


スマホを変えて、
毎月2700円増しの36回払い、
3年もつと言われた。
貯金崩しの生活、(遺族年金と家を貸してるお金が
あるが足りない)
長生きするとお金はない。
もう2年働いてない、
この先もないかと思う、、
いろんなものから耐えられなくなってしまった。
(働いてないと、負い目がありますが)

ヒンシュク者かもしれないが
お金が無くなったら、
たかちゃんと私で築いた家を
この手で処分するつもり。
子どもたちは、それぞれ家を構えているし
住まないと言った。

今も、たかちゃんと住んだ家には住めないと
思う。
たまに、その家の近くに行くけれど
とても悲しくて、いたたまれない。
一人では大きすぎる。

きっと、親の寿命からすると
良くて
あと20年位。
そのうち、健康でいられるのは
どのくらいか、、(もういろいろと問題ある身体)

施設に入るお金も考えないといけないのに、、

たかちゃんには悪いけど、
たかちゃんの知らない、今のおうちに帰ろう。
狭いけど、暖かいから、なかなかいいよ。

帰ると、
ワンコが迎えてくれた、
この生活もいつまでかな、、、
そんなことを考えてしまう。


何も永遠はないものね。


昨日は
晩秋の物寂しさに
うちのめされてしまった日でした。