
7年前の9月11日朝6時に、たかちゃんは逝ってしまった。


ワンコは片時も離れず、たかちゃんのベットの足元にいた。
ワンコもたかちゃんの様子が変わってしまったのを気づき、意識のないたかちゃんの手足を舐めていた。
亡くなる前日の朝まで、たかちゃんはどうにか意識があったが、午後には意識がなくなり、ずっと横になったままだった。
2、3日前から食べるものもプリンや梨を少し、尿パックの量も少なくなっていた。

亡くなる2日前に会いたい人に会った翌日から、ずっと眠るばかりとなっていた。
9月11日の朝3時頃から呼吸が乱れ、肩で息をするようになった。
痰(たん)がからむのか、苦しそうで、これを取り除いたら楽になるかと、訪問看護ステーションに電話をして吸引器をお願いしようか迷っていた。
死を迎える小冊には、痰がからんでも、その時はもう苦しさは感じなくなっていると記載されていた。

この時はまだ大丈夫と思っていたが、ますます呼吸が荒くなりもうダメなんだなと思い、寝ていた娘を起こし、隣の市にいる息子に電話をかけた。
「お父さん、もうダメみたい、来て」
息子が駆けつける頃になると、顎を上下させる呼吸に変わっていた。
娘と息子と私が見守る中、2時間くらいだったのだろうか、最後には
「もういいよ、たかちゃん、がんばったものね、もうがんばらなくていいよ」
心の中で何度も言っていた。
いよいよ最期になると、
耳だけは聞こえているから話しかけてねと言っていた訪問看護師の言葉を思いだし、
娘と私で
「お父さん、ありがとう、今までありがとうね」
娘も私も泣きながら声に出して何回も言っていた。
息子はずっとだまりこんで、壁にからだをもたれかけていた。
ありがとう、
この言葉は、闘病と療養していた1年8ヶ月に言いたくても言えない言葉だった。
これを言ったらもう終わり、そんなことを何度も感じていた。
最後にはゆっくり呼吸して、だんだん呼吸が小さくなり、呼吸が途絶えた。
たかちゃんが逝ってしまった、
そう思った瞬間、全身の力が抜けて涙が延々と流れた。
たかちゃんの顔を見ると、両方の閉じた目から涙が流れていた。
きっと、ありがとうが聞こえて、
一人で逝くんだな、もうみんなといられないんだな、、
そう思ったんだよね。
一人ぼっちが嫌いだったたかちゃん。
たかちゃんは、子どもができてからは、私をお母さんと呼び、
お母さんとお父さんに捨てられたたかちゃんにとって、私は、妻であり、お母さんであった。
子どもたちが大きくなってからは、名前で呼ぼうねと言っても、いつもお母さんだった。
訪問看護ステーションにたかちゃんの死を告げると、時間がかかるが時間外の医師が行きますから待っているようにと指示があった。
前もって、何があっても救急車を呼ぶことはしないで下さい、と説明されていた。
いつもの在宅の医師ではなく、時間外の医師が来るまで、、
この後すぐに、わけのわからない家族けんかが勃発してしまった。
これが、これから始まるたかちゃんの居なくなった世界の始まりなのかと思い、
ため息がでた。
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