僕は覚醒剤依存症です。

覚醒剤依存の実態と、実体験をノンフィクションで僕の感じたままに書いていきます。

わからない

2022-01-01 00:37:38 | 日記

最近、頻繁に死にたい感情に襲われる。
やる気も起きなくて、覚醒剤ばっかりやってる日々だし、ふと死にたくなるし、俺の存在価値って何だろうと思う。
それでずっと更新できずにいた。

覚醒剤やってよかったことなんてひとつもないし、一時的な逃げでしかなかった。その逃げられてる瞬間のためにどれだけ犠牲にしてきたのかわからない。
日々の記憶も薄れていってるし、記憶が抜けてる日もたくさんある。
それでも辞められない。辞めないといけないって頭では分かっていても、体が求めるし、脳も有効成分を求めてる。
毎日戦ってるつもりだけど、もう遅かったのかもしれない。


いつ終わってもいいかな。
というより、終わらせるのはもう確定事項でいいとして、時期を考えないと。
義理がある人にはそれなりに返して、自分で決めた時期までに死のう。


覚醒剤依存症になっていくまでを書くブログにしようと思ってたけど、死ねるその日までの日記だったり捌け口として使うようにする。


もし現在進行形で覚醒剤常習者が周囲にいる人とか、自分がそうなら、引き返せるところで踏みとどまってほしい。

俺のくだらない人生を書いていくから、俺なんかよりまともな生活を送ってほしい。

就職する

2021-12-20 00:44:29 | 日記

自分で言うのも照れ臭いのですが、物覚えがよく、人当たりもいい方なので、周りからは面倒を見てもらえて助けられました。

営業回りを始めて3日間契約を獲得できず、上司からは「明日取ってこなかったらクビ」と言われました。

4日目にして契約1件とか思ってたら、あれよあれよと契約してくださる方々が出てきて、それからは毎日順調に取れるようになりました。周囲よりは頭ひとつ飛び出たくらいにとれるようになり、やればできるものだと思いました。
自分は周りより優れていると考えるようになり、いい気になりました。


それが数ヶ月続き、急に契約を取れなくなり、気分はだんだんと落ち込んでいきます。

久し振りに連絡をしてきた知り合いから、「良いのあるんだけど買わない?」と聞かれます。
コカインと大麻を売りたかったようで、コカインと大麻と追加でMDMAを買いました。

仕事でお客さんと会う前とか、朝起きてからコカインをやると思い通りにことが進んで、契約件数で表彰までされました。

刑務所から出てきて

2021-12-13 23:26:23 | 日記


25歳のもう秋になったという時期に仮出所が認められ社会復帰しました。

今回出てきてからは地元の友人には連絡をしませんでした。
服役中に心配して面会に来てくれたり、手紙や差し入れをしてくれた数人にだけは連絡をしました。

少年院から出てきても犯罪に手を染めたのは、環境が悪いせい、周りの人の影響だと思っていました。
今回こそは再犯しないと思い、出所してきてから過去の環境とは決別したつもりでいました。
でも、結果としては黒い仕事に手を染め、裏稼業の人たちと積極的に関わっていました。

環境や人のせいにして、自分自身の本質から目を逸らしていました。


本当に大切な人ができて、家族、友人の言葉より重く感じられる相手ができました。

刑務所から出てきて、1ヶ月以内に詐欺、違法薬物に手を染めました。
詐欺と言っても、おじいちゃんおばあちゃんを騙すのではなく、悪巧みをしている人に便乗するように見せかけてお金を奪うような詐欺です。



出所後の仮釈放期間は月に一度、薬物検査をしていました。
その日が近付くと、身体から抜くために半身浴したり水分を多く取っていました。

検査キットを口にくわえて唾液で検査をするのですが、陰性反応の遅い部分などがあると毎回ヒヤヒヤしていました。
実際に使用していた大麻のTHCに線が出ないと、どうしたんですかね?とかすっとぼけてましたが、内心陰性反応を祈っていました。



そうこう過ごしているときに、ネットで知り合った女の子と遊ぶことに。その女の子が大切な人です。

当時は、そこそこのルックスの女の子でもセックスできれば何でもいいと考えていました。


冬になって、刑期満了を迎えました。
まだ仕事が見付かっていない僕にしびれを切らし、兄が仕事を紹介してくれました。
現在休職をさせていただいている会社です。


営業職として働き始めました。
商材についての研修を終えて、ようやく現場で営業することに。


初めてときっかけ

2021-12-12 21:03:58 | 日記

初めて覚醒剤を経験したのは17歳の冬でした。
その日は先輩の家で集まってるからと行くことに。初めてお邪魔する先輩の家でしたが、到着してすぐに異変に気づきました。すぐに帰ればよかったのですが、今さら考えても過ぎ去ったことなのでここでは触れません。
テーブルには注射器と半透明の結晶。他にはタバコとか、記憶が曖昧で思い出せないけど大麻とかがあったはず。

先輩から腕を出すように言われ、言われるがままに差し出すと、注射されました。あまり覚えていないのですが、当時嫌だったことを思い出して死にたくなるような気分になりました。
先輩から睡眠薬を渡され飲みました。睡眠薬で無理やり落として、起きたときには効果が切れてるという状態になります。
何時間寝ていたのか分かりませんが、起きると体がダルく、とてもじゃないが帰れるような状態ではありませんでした。


先輩からもう一回打つことを勧められてやってもらいました。
すると、今回は羽根でもはえたかのように体が軽くて、多幸感に包まれた気分になりました。でも、僕はこのまま続けたら確実にハマると思い、そのまま帰りました。

記憶は曖昧ですが、このときの気持ちよさはその後も思い出していました。


18歳のときに逮捕され、少年院に行きました。

本来なら少年刑務所に行ってもおかしくない重罪を犯した僕は、21歳の夏まで少年院の中で過ごしました。

出てくると逮捕前によく遊んでいた友人たちが大麻、LSDなどをしていました。
大麻を受け入れた僕は、頻繁ではないものの仕事に支障がある程度には常習化していきました。週に3日か4日はブリブリで、その内1日はLSDで曲がってもいました。

どんどんハマっていき、22歳になったころにはMDMAとコカインまでしていました。仕事もせずに裏稼業の人たちと一緒にいることが多くなり、さまざまな犯罪に荷担しました。
便宜上、フロント企業で働いていることになっていました。本当は仕事もしていないのに、わずかなお金で脱税の手助けをしていたことになります。



22歳の冬に再度逮捕され、25歳の秋まで刑務所にいました。初期のころはフラッシュバックと不眠がひどく、幻聴幻覚に苦しめられる日々でした。

拘置所では睡眠薬や精神安定剤をもらっていました。飲む際に監守さんから受け取って、しっかり飲んだか口の中を見せるのですが、それが甘かったので飲んだふりをして溜め込んでいました。
コップにいっぱいいっぱいになるまで溜め込んで、一気に飲んで自殺しようとしました。
記憶はありませんが、自殺に失敗した僕は寝たきりの日々がしばらくありました。

拘置所から刑務所に移送されるころには落ち着いていて、刑務所では更生するためのプログラムなどにも参加しました。
そのプログラムが役立ったのかは分かりませんが、すくなくとも刑務所にいた期間は僕にとって必要だったのだと思います。

はじめまして。

2021-12-11 23:28:00 | 日記

はじめまして。
突然ですが、僕は覚醒剤依存症です。

...
ってなりますよね。

初めて薬物に手を出したのが17歳の冬。そこから合計6年間くらいは少年院と刑務所に行っていたので、小刻みに間の空いた3年そこそこしか外にはいません。

今回刑務所から出てきたのが昨年9月。
そこから数週間で大麻を吸い、半年後にはコカインなどをやるようになりました。

今回覚醒剤に手を出したのは、今年の6月でした。毎日使用していて、仕事に手が付かず休職。
現在薬物依存症専門の病院に通っています。


では、きっかけは何だったのだろうと考えたとしても、はっきりしたことは分かりません。というより、ほとんど覚えていません。

退屈しのぎ。はたまた、仕事が順調にいっていたとは言え、ストレスを抱えていたのか。理由なんて考えればいくらでも出てきます。
そんなことは、もうやってしまったのだから、今さら僕には関係のないことだと思います。
むしろ、そこから抜け出そうと思ったきっかけの方が大事です。


このブログは、そんな僕の過去を書いていこうと思います。
読者の方には不快に思われたりするかもしれませんが、こんなバカもいるんだと呼んでいただければ幸いです。



18歳の頃は大麻だけでした。
それが、次第にエスカレートしていき、最終的に現在では覚醒剤にまで手を出してしまいました。



人の名前などは、全て仮名としてあります。内容には脚色を付けず、僕の感じたありのままを書こうと思います。




もし、このブログが今違法薬物に手を出している方に届き何かのきっかけになればと、書き残していこうと思います。
また、現在ご家族、大切な人、友人などが違法薬物で苦しんでいるという方の理解を深めることに繋がればとも思います。

現在、僕はまだ覚醒剤をやめられていません。やめる努力はしていますが、魔が差して買ってしまいます。
情緒不安定で不定期の投稿になったりするかもしれませんが、あたたかい目で呼んでいただければと思います。

なるべく、厳しいご意見やご質問にもひとつひとつ、僕なりの考えで応えていこうと思っておりますので、何か思われた方は、ぜひコメントに残していただきたいです。
その言葉が誰かを突き動かすかもしれません。


それでは、次はいつの投稿になるか分かりませんが、よろしくお願いいたします。