凄いものが出てきました
小学校の修学旅行のしおり
書かれてある内容のほとんどは
なぜかしらよく覚えています
朝学校に集合と書いてあり
近くのバス停から出発ですが
そのことは全く記憶なしです
乗合バスに45名は乗れないので
多分貸切バスだと思いますが
なぜ学校から出ないのか不思議ですが
昔の道は狭かったので小学校には
バスが入れなかったかもです
汽車に乗ってからはよく覚えています
土讃線はトンネルが多いので
昔は客車に石炭の煙が充満
鼻の巣が黒くなっていました
このしおりの編集委員になっていますが
まったく覚えはありません
そのことからかどうかは解らないですが
この頃から土讃線の駅名は全部覚えています
朝出て長い列車旅をして琴平着です
15時頃から金比羅さんに参拝です
参拝したのは覚えていますが
あのきつい階段の記憶はないです
子供だったので平気だったのでしょうね
次の日は琴電で栗林公園でした
栗林公園に行ったのは覚えがありますが
あまり詳しい記憶はありません
そこから屋島に登っています
有名な源平合戦の舞台ですから
壇ノ浦、義経の弓流し、扇の的
屋島の上の各場所も記憶にあります
その後屋島の眼下の塩田の見学でした
成人してその塩田跡でゴルフでした
宿泊は高松市内の旅館でしたが
実はこの旅館にも思い出があります
体調が悪くなった子がいまして
先生を探したのに部屋には居なかったです
今考えれば旅館の人に相談すればいいのに
とにかく先生を探さなくってはと
街中に出て先生を見つけました
昔から勘が良かったかも、アハハ
高松では何度か勤務しましたが
多分これが最後かとみんなが思い
当方もそう思っていた僕の送別会
何故かこの旅館でやってもらいました
修学旅行できたことを話しますと
旅館のご主人が旅館のバッジをくれました
実はその後また最後の勤務が高松でした
今もある三越に行ったこと
古い高松桟橋駅のことは覚えがありますが
帰りの汽車以降は記憶にありません
帰って疲れて爆睡した記憶はあります
このしおりを見てみますと
小遣いは500円以内にと書いてあり
僕は使い道を書いて残してありました
絵葉書やお土産の他はお菓子類を買っています
残金が45円になっていました
特筆すべきはしおりにも書いてありましたが
お米を持参していったことです
まだまだその様な時代でしたよ
断捨離が進まないですねえ、アハハ