いよいよ最終日、3日目は宇治周辺のお参りです。平等院の駐車場にバスを停めて、徒歩で興聖寺に向かいます。
道元は宋からの帰国後、寛喜2年(1230年)から、深草(現在の京都市伏見区深草)の安養院に滞在していた。
天福元年(1233年)、道元は、深草にあった藤原氏ゆかりの大寺院である極楽寺の跡に観音導利興聖宝林禅寺(興聖寺)を開創する。
安養院、極楽寺とも現在の京都市伏見区の宝塔寺付近にあったと推定されている。嘉禎2年(1236年)には伽藍を整備し、僧堂が開かれた。
興聖寺は、比叡山延暦寺の弾圧を受け、寛元元年(1243年)、道元が越前に下向して以降荒廃し、住持4代で廃絶した。
その後慶安2年(1649年)、淀城主の永井尚政が万安英種を招聘して5世住持とし、朝日茶園のあった現在地に復興したのが今ある興聖寺である。
(以上 フリー百科事典 ウィキペディアより)
下は興聖寺総門にある石の門標。
下は僧堂。
雲水さんはそう多くはないそうですが、ちょうど前日に新しく掛搭僧(入門願いに来た僧侶のこと)が1名着いたばかりとのことでした。
40歳を越した方だそうですので、体力的にもきついだろうなと思いますが、初発心を忘れず精進していただきたいものです。
住職が導師を務めさせていただいて拝登諷経をさせていただいた後、雲水さんの案内で諸堂を拝観させていただきました。
永平寺で雲水だった頃、初めてお邪魔して抹茶団子をいただいたことはまるで昨日のように覚えています。
雲水さんの案内に、皆熱心に聞き入っています。
江戸時代、現在の場所に再興された興聖寺。修行の人数が少ないので、なかなか草取りや掃除の手が回らないのが悩みと言っていました。
それでも、道元禅師初開の道場としての気概をもって、雲水さん達は精進を重ねているそうです。
1時間余りの拝観の後、また宇治川を渡って平等院へと向かいます。
下左は宇治の川風に吹かれて本を読んでいた女性。
きっと源氏物語、宇治十帖のどれかを読んでいるに違いない、と勝手に想像する拙僧は、バカなオヤジです。
平等院鳳凰堂は、やはり端正な美しさがあります。
今回参加した最高齢の方は、死ぬまでに絶対平等院をお参りしたい、と思っていたのだとか。
平等院にいったら、宝物殿にかわる鳳翔館にはぜひ足を運んでみてください。鳳凰堂内部の雲中供養菩薩などが展示されていて、間近で拝観することができます。
さて、3日間の京都祖蹟巡拝の最後は同じ宇治の万福寺さま。禅宗のひとつ、黄檗宗の本山です。
明朝の禅僧、隠元禅師さまが開山のお寺だけあって、いたるところに中国の様式がみられます。
日本のお寺とは、全く違った感じがしますね。
場所によっては、あの独特な長い線香をお供えしたりしているので、中華街の関帝廟にお参りしているような感じもします。
上左は隠元禅師さまの「通元」の書。
大らかで、どっかん、とした感じの書風。いいなあ、いつかこんな字が書けたらなあ。
その隣は卍をくみあわせた手すり。山内のいたるところに崩し卍などがみられます。
法堂にある円坐は礼拝のときに使用するもので、坐ることはない、と案内の僧侶の方がおっしゃっていました。
こんなところも、日本の感覚とは違うところです。
その隣は韋駄天様。イケメンです。こんなイケメン韋駄天さんは初めて拝観しました。
でもやっぱり、万福寺と言えば布袋さまでしょうね。万福寺では弥勒さまと呼ばれていました。
内部には弥勒菩薩の化身とされる布袋像を安置する。この像は日本で著名な半跏思惟形の弥勒菩薩像とは全く異なり、太鼓腹の布袋像として表わされている。
他に堂内左右に四天王像、布袋像の背後に韋駄天像を安置する。これらの像は来日していた明の仏師・范道生の作で、いずれも中国風の様式でつくられている。
(フリー百科事典 ウイキペディア より)
心の中にはいつもお釈迦さまがいらっしゃるのだ、ということを現わすために胸の中を開けて見せているラゴラ尊者の像など、
日本の他の寺には見られない、独特の雰囲気が万福寺にはあります。
お昼は万福寺山内の精進料理をいただいてきました。
普茶料理とよばれる大皿で取り分ける形が一般的ですが、今回は松花堂弁当でのお食事。
美味しいです。結構ボリュームもあります。
中華風精進ですので油っこいと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、そんなに油ギトギトということもなく、けっこうあっさりしています。
昨晩の祇園で二日酔い気味の胃袋にも優しい精進料理。
針生姜のお吸い物が美味しかったですね、それとやはり名物、「梅干しのてんぷら」。
甘めの梅干しを塩出しして、てんぷらにしてあります。これは節分のお膳でも使えそうです。
ゴマ豆腐は、曹洞宗系のものとは違い、ゴマを炒って作ってあるのでとても香ばしい感じです。
「淡さ」を出すため、炒らずに白いままのゴマで豆腐を作ることもあるのですが、万福寺さんではしっかり炒ってつくってあります。
同じ精進料理でも、宗派が違うとこんなにも違ってくるのですね。
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万福寺さまで充分満腹になって、宇治から高速に乗りました。
京都に別れを告げ、帰路横浜を目指します。3日間めいっぱい歩きましたので、帰りのバスの中はみんな熟睡していたようです。
(今回はまさに遠足、かなり歩いています。住職は3日間で約5万歩。一緒に行った家族からは、参加者の年齢を考えたら歩きが多すぎます、と叱られました。)
今回の旅行は天気にも恵まれ、また、さしたるトラブルもなく、おかげさまで無事に過ごさせていただきました。
親睦を深め、新しい発見をし、本当に楽しい旅になりました。
住職も、27,8年ぶりで祖蹟をお参りさせていただいたことで、初心にかえってこれからも仏道に励まねばと思っております。
お手配いただきました鳳友ツアーズさん、ありがとうございました。
また、天台観光さん、運転手さん、ガイドさん、お疲れ様でした。
今度は道元禅師の御跡を慕って木の芽峠を拝登し、白山にも登ってみようか、などと愚かなことを考えている住職であります。
今日はここまで。
一番好評だったのは、舞子さんのようでしたが・・・(^^ゞ