ムラサキシキブの花
盂蘭盆大施食会が行われました。
先にお知らせの通り、7月25日(月曜日)に毎年恒例のお盆の大施食法要(合同供養)がおこなわれました。
伊豆修禅寺の御住職・吉野真常老師に、法要前のご法話をいただきました。
修禅寺住職に就任して2年余。
以前は大本山總持寺や静岡県袋井市の可睡斎専門僧堂で修行僧の指導にあたっておられました。
若いころから曹洞宗だけでなく臨済宗・伊深の正眼寺など厳しい修行で知られる僧堂で自己の真実究明に励まれました。
永年しっかりと坐禅修行に邁進してこられただけあって、腹の据わり方が拙僧などとは大違い。
なかなかかっこいいです。
ウチの小僧がもし修行に出ることがあれば、吉野老師の所に修行に出したいなあ・・・。
法要や食事の準備があって、お話をゆっくり聞くことはできませんでした。
なんとか機会をつくって、倫勝寺講座に講師として御出仕いただけないかと考えている次第です。
さて、先日の施食会では通常の施食会の他に、東日本大震災で亡くなった方々のために、
別に一座の法要を設けて参列の皆さんに御焼香いただきました。
倫勝寺のお檀家さんは福島、宮城、秋田など結構東北出身の方が多く、今回の震災でも親戚の方を亡くした方が多かったようです。
そんなことから、教区の方々にも御協力をいただき、特別に法要をさせていただきました。
教区の方丈様方、ありがとうございました。また御参列の皆様方、御焼香いただき感謝申し上げます。
法語をお唱えしながら、つい涙が出てきそうになってしまいました。
今回は住職の友人である南三陸のお寺の副住職さんも、法要に随喜して一緒にお経をあげてくださいました。
「こんなふうに、いろんな所で多くの方々が私たちのことを心配し、悼んでくれているのは本当にありがたいです・・」しみじみ語ってくれました。
彼のお寺も沿岸部にあったため、津波の被害に遭いました。
幸い、住職さんやお母さんは危機一髪のところで命は助かりましたが、お寺や庫裡は全壊。
東京のお寺さんで勤めをしている彼は、毎週南三陸に帰って寺の片付けや今後に向けての活動に奔走しています。
今回は都合がつかず施食の御手伝いをいただけなかったのですが、
この3月まで倫勝寺に勤めていた宮城出身の秋山くんから「元気でやっていますから、皆さんによろしくお伝えください」と伝言をいただきました。
彼の長兄は東松島の野蒜海岸近くのお寺に住職していたのですが、今回の震災で寺もろとも流されてしまい亡くなってしまいました。
兄さんは地震の後、寺に様子を見に戻ったため津波にのまれてしまったのだそうです。
秋山くんも、毎日のように仙台市内から野蒜のお寺に出かけ、法要や片づけを行っています。
5月以降はなかなか被災地に御手伝いに出かけられずにいます。
そこで7月20日の土用の日に合わせて、石巻で避難所になっているお寺さんにウナギのかば焼きをたくさん送らせていただきました。
しかしそのあと、あのフラフラしていたお父さんは今どうしているだろうか、小学校に上がったばかりと言っていた女の子は元気で夏休みを過ごしているだろうか、ハエが多いと聞いているけど御飯はちゃんと食べられるかな・・・・などなど、いろんなことを考えてしまいました。
行って御手伝いをしなくては、という気持ちがつのるばかりです。
拙寺に時々お出で頂く三部さんのブログに「善意はしぼみやすい」という言葉がありました。
『善意の発火点には「かわいそう」という感情が強くあると思います。でも、感情は繰り返されることによって慣れてくるものです。「かわいそう」ではなく、「困っている」からという視点で見ると、困らなくなるまで支援は必要だと気づくことができるでしょう。』とも。
この震災が、原発災害も含めて息の長い支援が必要なことは、皆さん御承知のことと思います。
避難所での生活が長引いていることや、まったく先の見えない復興政策に、被災者の生活が荒んだりワガママになったりすることも起きているようです。
しかし、だからといって私たちが手を差し伸べることをやめてしまったら、被災地の方々の心はさらにマイナスの方向を向きかねません。
支援する私たちこそが、まけない、あきらめない気持ちを持って、傍で共に歩む姿勢を忘れないようにしたいものです。
今日はここまで。
さんぜのまなざし goo別院 1107