翌朝は4時起床、4時半に出発。
松島の島々を輝かせて登る朝日に、思わずため息が漏れます。写真が無いのが残念。
明け方の柔らかな光の中、被災されたお寺や住宅を抜けて縄文村へ。
前日に仕込んでおいたお粥や漬物、煮物の仕上げをし、配膳の準備をします。
浜の朝は、やはり早い。
6時半開店と思っていましたが、6時には島の方々がちらほら集まり始めました。
たくさん炊いたはずのお粥も、人数分プラスαで作ったはずの煮物や漬物もどんどん減って行きます。
これはいかん、足りないぞということで、秘密兵器「チョコホットケーキ」を作りました。
この日のために買ってきた大きなフライパンで、削った板チョコ入りのホットケーキを焼きます。
行茶の時のお菓子に、と思って買ってきた大量のホットケーキミックスですが、全部朝食に化けてしまいました。
この前、元横綱の武蔵丸に会った時、もう何度も炊き出しに行ったよ、というので何を出しているのか聞いたところ「ちゃんこ鍋とクレープ」と言っていました。
知り合いのクレープ屋さんが器材一式持っていくのだそうですが、熱々のクレープ、とても喜ばれるのだそうです。
クレープは技術がいるけど、ホットケーキならだれでも焼けます。
ホットケーキミックス、案外役に立ちます。
「泊ってくれたんだねえ、朝ごはんまで作ってもらって」と嬉しそうにいうおばあちゃん。
本当は現地に泊まりたかったのです、炊き出しに行くと決めた最初からそのつもりでいましたので。
でも残念ながら縄文村には宿泊できませんでした。
泊っていろいろと話もしたかったし、聞き役に徹して相手をしてあげたいとも思っているのですが、
たった一日いただけで心を通わせるなんて、とてもできません。
お酒の一杯でも入れば、少しはリラックスして話も出来ましょうけれど。
「元気だして」とか「一緒にがんばろう」なんて、とても言えない現実が目の前にあります。
前日に名取で会った花売りのおねえさんたちにしても、炊き出しに行った宮戸の方たちにしても、
その元気な笑顔とは裏腹に、現実に対する深い苦悩や大きな悲しみを心の中に秘めて生きているのだと思います。
最近思うのです。
私たちが作った炊き出しの御飯を食べていただいて、それがいっときの気晴らしになれば、それで十分、と。
「元気を配達に来ました~!」「私の歌で元気出して~!」
これもまた支援の一つのかたちでしょう。歌の力、笑いの力も確かにあります。
でもそういう大仰なことではなく、ただ静かに寄り添ってくれることが大きな力を生みだすこともありますし、
受ける方も気が楽じゃないのかなあ、と思うのです。
黙っていても同じ時間を過ごし、同じ空間に身を置いていれば想いは自然に伝わる気がします。
読売新聞朝刊に「陸自日誌」という記事が連載されていますが、5月29日の朝刊には次のような記事が載っていました。
「宮城県気仙沼市の大島という離島に行きました。島を歩いていると、『おれ、自衛隊に入る』という小学生に会いました。
(行方不明の)お父さんが帰ってこないかとずっと海を見ていたら、若い自衛官に声をかけられ、理由を話すと何も言わずに肩に手を置いて、しばらく一緒に海を見てくれたのだそうです。」
なんか、胸にグッとくる話です。
炊き出しの合間に大浜、月浜の集落に行ってきました。
大浜は、その昔私にまだ髪の毛があった頃、セイシュンの夏の日を過ごした場所でもあります。
つまり、カノジョと2人で遊びに来たんであります。
現場について茫然、全くの手つかず状態。忘れ去られてしまっているかのような状況です。
誰一人いない、静かな浜辺。コンテナが波打ち際に転がっています。
振り返れば、手つかずのガレキの山。
これが映画のセットだったら、どれほど良かったことか。
被災地には、眼に見えて復旧がすすむところもあれば、あの日から時計が止まって置き去りにされたようなところもあります。
被災地間の大きな格差が、厳然としてあります。これはいったい何なのでしょうか。
これでは、切ない、切なすぎる。
夕食のおかずにしていただくキュウリの漬物を作り、トマトのサラダを作って、浜ごとに人数分ずつ仕分けをすれば炊き出しは終了。
器材を撤収し、荷物や生ごみをバスや乗用車に積み込みます。
縄文村から歩いてすぐのところに大高森という山があります。宮戸島のほぼ中央にある高峰です。
山頂から観る360度の展望が「壮観」と呼ばれるほど素晴らしいとの評判を聞いて、R寶寺さんが、帰る前に一緒に登りませんか、と声をかけてきました。
途中、三角屋根の縄文村の全景を確認したり、薬師堂にお参りしたりしながら登ること1キロあまり。
ガクガクの足をやっと持ち上げて頂上に着くと、素晴らしい景観が広がりました。
まさに「壮観」です。
ブルーシートをかけた家屋や港のなかのたくさんの漂流物が無ければ、誰も震災などがあったとは思わないでしょう。
川崎のK音寺・佐藤君から後で聞いたところによると、朝夕の景色が絶景とのこと。
そうでしょう、日本三景だもの。すばらしい。言葉を忘れてしばし見とれてしまいました。
長く弓のように続く砂浜が野蒜海岸。
そしてその手前のくびれたところにあった橋が崩れたため、島は孤立してしまいました。
一日も早いライフラインの全面復旧を、みんな心から望んでいます。
今回は、宗務所始め、本当にたくさんの方の善意に支えられての炊き出しでした。
参加された方、後方支援に徹してくれた方、物心両面にわたって援助してくれた方、いろんな方々の合力で初めて行動が実を結びます。
皆さん本当にお疲れさまでした。
集まった神奈川の若い僧侶の皆さん、さすがでした。
やるときはやりますね。素晴らしい力です。今後の神奈川若手僧侶の活躍に、大いに期待するところです。
八木さんも、町内会長さんも、寺族代表S原さんも、うっちゃんも、本当にお疲れ様でした。
縄文村スタッフのみなさん、お世話になりました。心よりお礼申し上げます。
K野さん、調整役は扇の要、本当に大変でした。貴兄あっての炊き出しです、お疲れ様でした。
今後はいかにしてこういったボランティアを継続させていけるか、が課題ですね。
石巻での炊き出し同様、今回も水の大切さが身に沁みました。
「杓底の一残水、流れを汲む千億人」
この言葉には目先、口先だけの「もったいない」ではない、それ以上の意味があります。
一滴の水が多くの命を生かし、また、命を実感させてくれます。
大宇宙の中で支え、支えられて生きているわたしに気づく、ということなのだと思います。
しみじみ実感しながら帰途についた住職でした。
奥松島・宮戸島での炊き出し報告は、ここまで。