
千葉県安房郡鋸南町保田に、倫勝寺住職が兼務する昌龍寺があることはご承知のことと思います。
このたびの涅槃会でも昌龍寺所蔵の涅槃図を、出開帳をかねて倫勝寺におまつりさせていただきました。
この保田の街中、駅の近くに福聚山観音寺という、昌龍寺が法要等の面倒を見させていただいているお堂があります。
歴史的には昌龍寺の境内外仏堂であったとのことですが、現在は保田地区の方々の手で管理運営、行事等が行われています。
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観音寺縁起 安房國保田観音寺ノ由来(境内の由来記看板より抜粋)
一、寺 号 福聚山観音寺
一、本 尊 聖観世音菩薩立像 壹尺七寸(文安以前の古佛)
伝 弘法大師御作
一、建 立 文明三年 六月十七日
一、開 基 里見義実公
安房の太守・里見義実公は、文永二年(一四四五)安房の白浜に初めて上陸し、安房一円を巡回した。そのおり、名勝鋸山を遠望し、その麓に一寺院を建立したいと発願された。
文明三年(一四七一)六月十七日、義実公は観音寺を祈願所として建立し、ここに御本尊として聖観世音菩薩を安置せられた。この聖観世音菩薩は新田義貞公の守り本尊であり、永く弘法大師の御作と云い伝えられたものを譲り受けたのであった。
里見公が「この度の戦に勝利を得させ給はば、永く尊像を守護し奉る」と願を掛け出陣したところ、まことに霊験があり合戦に勝利することが出来、そのお礼として五石の朱印を附せられた。(その頃は真言宗の寺院であったらしい)
これらのことが、世の善男善女に霊験あらたかなるを知らしめ、諸願成就の利益をうることが出来る、と宣伝された。
その後、伽藍荒廃から安永五年(一七七六)に再建、さらに大正十年(一九二一)本堂外廻りを改築修繕、翌大正十一年六月十七日境内を公園に開放し、当日を記念して盛大な祭典を行ったとの記録がある。
第二次大戦の激化に伴って、萱葺きの大伽藍であった堂宇からの類焼を防ぐため、(東隣に保田町役場があったため)昭和二十年五月解体を余儀なくされ、現在の木造瓦葺の堂宇は、昭和三十年九月に新築されたものである。
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里見 義実(さとみ よしざね、応永19年(1412年) - 長享2年4月7日(1488年5月18日))
室町時代の武士。杖珠院殿建宝興公居士。
里見家兼の孫で里見家基の子とされて、安房国の戦国大名里見氏の初代となったとされる人物である。
義実を架空の人物として義実の孫(あるいは子か)である里見義通の代に里見氏が安房を平定したとする説もあるが、関東地方の室町体制を根底から覆した享徳の乱に乗じて、里見氏が従来強固な支配体制を築いていた守護上杉氏の支配から切り離された安房国に進出あるいは平定が行われたと考えるのが現実的な見方であり、義実が安房に入国して後継者である義通との2代がかりで安房一国を支配したと考える方が妥当であると考えられている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ヘンな話ですが、初めて由来記を見たとき、へえ、ここは私の寺なんだ、と勝手に思いました。
なにしろ私の名前が、読み方は違えど「義実(ぎじつ)」なものですから。
小学校5、6年の頃、里見八犬伝を夢中になって読んだことがありますし、またNHKの人形劇になったときは欠かさずに見た記憶があります。
本当に不思議なご縁です。
さて、この観音寺ですが、安房国三十四観音霊場の番外札所三箇所のうちのひとつになっています。
※額には次のようにかかれています。
「ありがたや まことの道に手引きして ふかき縁に結ぶみほとけ」
この安房国観音霊場、普段は閉ざされている所が多いのですが、今年は12年に一度の丑年本開帳にあたり、3月10日から4月10日まですべての札所が開所されています。
以下のブログ、ホームページ等に札所の案内があります。
気候のよい春先の時期、多くの観音様にお会いに行かれてはいかがでしょうか。
安房国札観音霊場巡拝
安房国観音霊場の紹介
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さて先日、このご開帳にあわせて建立する角塔婆を書きに、観音寺にでかけてきました。
角塔婆は寺院での大法要の際に、本堂の前に建てる柱のような大きな塔婆です。法要の目的、塔婆を建てる意義や、経文や偈文、建てた年月日、建てた人の名前などが4面に書かれています。
今回は次のように書かせていただきました。
正面
大圓鏡智 恭惟茲奉祈聖観世音菩薩開扉之辰 国土安穏萬民富楽 攸
十方檀那家道興隆
左
平等性智 経曰 無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間
右
成所作智 銘曰 浄法界身 本無出没 大悲願力 示現去来
裏
妙観察智 維時平成二十一年三月十日 福聚山観音寺 焼香比丘義実 謹誌
地域の世話人さんも、荘厳準備や、多くの方を迎えるための周辺整備に汗を流します。
年に一度、十夜法要の日には開扉される観音さまですが、今回特別に、多くの皆様方にお参りいただけるよう、観音様のお姿を写させていただきました。
これまでに2度、12年前の丑年と前回の午年のご開帳のときに住職が焼香をさせていただいたときの写真が飾ってあります。
早いものです、あれからもう12年経ちましたか・・光陰矢のごとし、すべからく頭燃をはらうように修行しなくてはいけませんね。
この宇宙すべてのいのちに、観音さまのご加護がありますように。
今日はここまで。
角塔婆と観音様の御手を五色の糸で繋いだ覚えがあります。千葉のほうはどうなのでしょう。
このお寺の観音様と義実和尚さんの手もつながっていたのかもしれません。なんだか不思議ですね。
もうすぐご開帳です。そしてお彼岸ももうすぐです。……
以前のご開帳の時、参詣の方々が角塔婆にふれて「観音様と握手させてもらった」と、にこにこしながらお参りしておられました。
こんな風景はやはりご開帳ならではですね。