40過ぎの女性におきた魂ごともっていかれるような存在にであった出来事を書いたブログです
詳しくは過去記事をごらんくださいね
さて3月にそれまでの6年間で起きた出来事を書き終え更新をお休みし、4月を迎えました
わたしの身に起きたのは、端的にいうと2020年初頭から世界を震撼させるあの病気への感染でした
3月の末、記事にも滲み出ていたように、わたしは心も体も疲れていました
何かとても欠落があるような、愛ごとどこかへいったような
書くことで整理をつけて手放せばいいのだろうかという気持ちもあり、なによりも仕事の面でとても疲れていましたし、感染の恐れもいつもどんなときも感じていました
だからかその恐れは突然形として現れたのです
4月にはいってそれが症状として現れたとき、それは実に数年ぶりの発熱でした
いつが最後か忘れたくらいのことで、これはおかしいとすぐにわかったのです
具体的にはかけませんが、おかしいと感じた以降検査結果が出る前に仕事を休んでいたので、わたしの周囲には幸いにして誰一人陽性となる人はいませんでした
熱や頭痛が続く中、なぜかハートチャクラだけは柔らかだったのをいまも思い出せます
そしてその熱の中でも、なぜか『愛している』という言葉がずっと浮かんで離れなかったのも感じましたが、なにしろ文字通りの熱にうかされる状態だったので、なぜそうなっていたのかはわかりません
ただこうなってみて改めて、両親としっかりと絆を回復していたこと、周囲の友人たちに連絡をとり、包み隠さず話せたこと、そしてまた職場を含めわたしは本当に恵まれていたと感じました
それもこれもSさんに出会っていなかったらいまの自分はないのだということを、その療養待機時間に何度も感じていました
とはいえ、なんども山があるような体調の変化の中で感謝と愛と不安、恐れは何度も現れ、光と闇の明滅のようでした
いつまた大きな不調がでるのかわからない中、少しずつ一日ずつ回復していきましたし、いつしかSさんのことも気にならなくなっている自分、ただ外を歩くこと、ただ生きていることへの心地よさの大切さが湧いてきました
生きることはいきること という感覚が生まれていましたし、無事帰宅したときはまだ食欲がありませんでしたから、不安はありながら回復に努めることが自分の課題だと考えていました
帰宅の数日後、仕事への復帰。そこでSさんに会いました
いつ以来かわからないくらい久々でした
嬉しくてうれしくてたまらない自分がいました
その夜、その愛に、わたし自身が自分の中に大きな愛をかかえていて、それは彼へのものでわたしへのもので、周囲へのものでその全部に安心しきっていることに気づいたのです
会えるとか会えないとかでなくただ在ることへの感謝であり、愛しているというそれだけのもので、それは高熱にうなされていた時と同じものでした
安心するーという感覚を得てから、それはちょっとずつサイズを変えながらも変化せずにずっと心を満たしてくれています
まだ体力が戻っていなくて疲れは出やすいですが、ふとした瞬間に優しい、穏やかな柔らかなエネルギーに包まれます
決して罹ることは良いことではありませんが、明らかな気づきに導かれたのは確かでした
当然日常生活に戻ればエゴも現れますし、残念ながら僅かな症状も残っていますが、必ず安心感に帰ることができます
頻繁ではなくてもSさんと顔を合わせることもあって会うたび、嬉しくなります
魂が嘘をつけないというか魂に嘘をつけないし、つく必要もないからです
わたしが罹患した頃よりもいまはずっと感染数も増えています
やるべきこと、そして会うべき人がどんどん精査され、より一層心の整理をさせられているように感じます
依存から離れ孤独を学ぶような瞬間に立ち会わされているような気分です
それでもなお、ふとした瞬間に愛でいっぱいになります
それは午前3時めがさめた瞬間で、明け方で。ときに夜で、何気ない時に ああ愛しているなあ と勝手に思うのです
会えるでも会えないでもなく、最初からそれしかなかったのかもしれない
やっとそこに辿り着いたというか帰ってきた気がします
なかなか戻ってこられないわたしにそんな形で神様が愛を示してくださったのかな
そんなきもちです