はみだす緑と、はみだす人生

街角のちょっとした隙間にはみだす緑を愛でる筆者が、はみだす緑と、筆者自身のはみだす人生について綴るブログ

自然と醸成される、意図せぬ美

2020-03-31 18:24:37 | はみだす緑
今回の投稿では、なぜ「路上園芸」に興味を持つようになったのかを書こうかな、と思います。

実家のすぐ横が山で、子どもの頃は毎日のように山で遊んでいたり、中学高校時代は植林のボランティアに参加してみたりと、何となく植物とつかずはなれずの関係でいましたが、特に積極的に鑑賞したり育てたりするわけではありませんでした。

大学・大学院時代に所属していたのは経済地理学のゼミ。研究テーマは企業の海外進出で、ここでも植物関係なし。
ですが地理学は、“いろいろ頭で考えて計画したりしても、結局土地とか場所などの物理的な問題と折り合いをつけながらやっていくしかない”、という現実的なところに目を向けているのが好きで、そこは「モノ」を「モノ」として見る路上観察とも、根底で通ずるところがあるのかな、と感じます。
地図を見ながら歩くという、今でいう「ブラタモリ」的な授業もありました。授業でシムシティやったりもしたな・・・。

卒業後はとあるメーカーに就職。営業職でした。ここでも植物関係なし。
給料は高く、新人を手厚く研修してくれたとても良い会社でしたが、いかんせん売っているものに一ミリも興味が湧かなかった・・・ので、2年弱で退職。当時特に叩かれていた「3年続かない若者」まっしぐらでした。

私に突然「植物期」が訪れたのは、退職後にフリーランスやアルバイトとして様々な道を模索していたさなか。
誰が計画して作り出したわけでもなく、そのままの存在で美しい「植物」って尊いな、とズドーンと強烈に思ったわけです。



デザインそのものも美しいことはさることながら、古来から衣食住や言葉、芸術、文学、それはもうあらゆるものに密接に関わり、知れば知るほど奥深い。
なんなんだ、「植物」って。

いったん猛烈に気になるともうノンストップで、「植物」で何か仕事できないかな、と思い始めました。

最初トライしてみたのは、デザインからのアプローチ。
商業施設やオフィスの中を鉢植えで装飾したり、設置された植栽を管理するアルバイトをする傍ら、一年間職業訓練校に通い、園芸装飾技能士の国家資格を取得。
いけばなの教室にも通いました。

そんなこんなで「植物」を使って空間を作る仕事に挑戦しましたが、徐々になんか違うな、と思うように。
(そもそもズボラでペーパードライバーなので、朝早く起きて、時に軽トラを使いこなさねばならない仕事ってなんか無理だな、と及び腰になってしまったという点はさておき・・・)
室内用の装飾として使われる植物は、設置された時点が100%なんですね。
どうしても屋外と比べると日照にも風通しにも限りがあるので、そこからどんどん元気がなくなっていったり、虫が湧いたりするという状態を、しょっちゅう見ていた。

「路上園芸」に目が行くようになったのは、そんな時でした。
植木鉢という、自然からは切り離された状態なのは室内装飾と同じなのに、妙に元気でたくましい路上の植物(太陽光も風も水もあるから当たり前ですが)。
何よりも、路上に並ぶ植木鉢が作り出す意図してないデザインがたまらなくいいな、と思ったんです。

生活空間をささやかに彩ろうと、思い思いに置かれた植木鉢。
鉢のデザインもバラバラだし、手入れされていたり放置されていたりするけど、それが年月を経ると味わい深い風景となり、街の緑の景観の重要なパーツになる。

自然と醸成される、意図せぬ美。
職人芸が生み出す盆栽や造園の背筋が伸びるような美しさも好きですが、市井の無名の人びとが生活とともに軒先でつくりだす植物の風景も、同じくらい美しい。

そんな風に思ったわけです。
最初は自分ひとりで粛々と携帯のカメラに撮りためていたわけですが、前回記事で書いたように外に発信してみると、また新たな切り口から楽しみを見出すことができたり、別の視点で「世界」を切り取り楽しんでいる人に出会えたり。

そんな無限ループで今に至ります。



路上園芸・最初の一枚

2020-03-30 15:33:11 | はみだす緑
街角のちょっとした隙間に置かれる植木鉢の群れが、妙に気になるようになったのは、10年ほど前。
パソコンに入っている路上園芸の写真の中で、一番日付が古いものが、2010年5月に撮影したこの写真です。


当時住んでいた家の近所で撮影した写真です。
道端に何気なく置かれたプランターの中で茂る植物。そのまん中で不敵な笑みを浮かべる、色あせた狸。
なんで写真を撮ったのかは細かく覚えていませんが、なんか気になる、と当時使っていたガラケーで撮影しました。

今見ると、おそらくプランターの中の植物は、そのほとんどが、植えたものではなく勝手に居着いたものに見えます。
プランターの中で存在感を放つ狸の置物も、なぜ地面ではなく、わざわざプランターの上に置かれているのか謎です。
いや、きっとわざわざではなく、何の気なしに置かれたのでしょう。

今見ると、それなりに味わい深い一枚ですが、それまではこんな風景、目にすら留まらず素通りしていました。
しかし一旦気になりだすと、目に入ってくるもの。以来、街を歩いて植木鉢を見つけるたびに、写真に撮るようになりました。





いずれも2010年に撮影。
植木鉢のサイズも植えられている植物もバラバラなのに、そしてときには半分放置されているのに、なんだか妙な存在感。気になる。

気にはなり、写真に撮ったりするものの、別にわざわざ誰かに言うでもなく、携帯の写真フォルダに延々画像をストックする程度でした。

そんなある時。
いとうせいこうさんがMCをされていた「PlantsプラスTV」という、植物について語るネット番組に出演する機会がありました。
友人・井上太郎氏が毎回出演しており、太郎氏と音楽仲間だった私は、「植物好きの友だち枠」としてスタジオに遊びにいったんですね。
番組冒頭でいとうせいこうさんと太郎氏とセッションしたりと、今思えばかなり貴重な体験。
太郎氏に、「何か話すネタ持ってきて」と言われていたので、冒頭の狸の写真を含め、携帯に保存していた路上の植木鉢の写真を何枚かプリントアウトして持っていき、せいこうさんたちにお見せしたのでした。

せいこうさん、さすが言葉のプロ。
私が「なんか気になる」程度だった風景にも、バシバシと様々な切り口からツッコミを入れ、「そうそう、そう!こういうところが面白かったんだ〜〜」と、解像度が一気に上がりました。

今振り返ってみると、「なんか気になっていたこの風景、やっぱり面白い!」と明確に意識するようになったのは、この体験が大きなきっかけだったように思います。
表に出してみるってめちゃくちゃ大事ですね。

興奮冷めやらぬ状態で頭を整理し、出演直後、当時やっていたブログにこのようなことを綴りました(更新が年単位で滞ったこのブログ、現在は削除済)。
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住宅街をぶらぶら歩いていると、無造作に並べられたプランターから、四方八方にわさわさと生えた植物に出くわすことがあります。

おそらく最初は持ち主の方も「ガーデニング」として、小さな苗をプランターに可愛らしく並べるとこから始めたのでしょうか。
それが今や、持ち主の意図を離れ、思いもよらぬデザインを生み出してしまっているのです。
そこに、なにか「ガーデニング」という生ぬるい言葉では収まりきらない、人間の思惑を超えた、生き物としてのダイナミックさを感じてしまうのです。

最初は人間側のゲリラ的活動だったのが、徐々に植物たちのゲリラ的生命活動にとって代わられていくような・・・まさに「まちかどゲリラガーデニング」!

なあんかこの無秩序な感じに惹かれてしまい、ついつい見つけるたびにカメラに収めてしまいます。
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こうしよう、という計画や意図に収まりきらず、植物とせめぎ合いつつ成長していくような街中の園芸。
いま読み返してみても、路上園芸のどういうところに惹かれるかの核たる部分は、当時と今とでほとんど変わりありません。

次回は、そもそもなんでこういう風景が気になるようになったかについて、ちょっと掘り下げてみたいと思います。

はじめまして

2020-03-20 16:46:24 | 自己紹介
はじめまして。
皆さんお元気ですか。
私はというと、少し鼻がムズムズして眠いですが、おおむね元気です。

私はSNS等で「路上園芸学会」名義で、街角で好き好きに営まれるインディーズガーデン「路上園芸」の魅力を、好き勝手に発信している者です。



こういうやつですね。

「学会」と名乗っているので、たまに団体だと思われて「どうやったら入会できますか?」と聞かれることがありますが、会員は小生一人。
SNSのアイコンが、アロエに水をやるおじさんなので、たまに男性だと間違われますが、中の人は、30代後半の女です。



夫がおり、猫を2匹飼っています。

「路上園芸学会」名義のアカウントを作った当初は、例えば名前や性別、年齢、来歴、顔など、そういう自分のパーソナルな部分は極力伏せようと思っていたんですが、だんだんと活動していくうちに、そういった部分を出さないと逆に不自然なことも出てきました。
例えば、動画コンテンツやインタビューで自分の顔を隠すと、警察の潜入操作動画とか風俗嬢みたいに、逆に意味ありげな感じになってしまったんですね。

なので最近は、パーソナルな部分を小出しにするようになりました。
とはいえデイリーポータルZさんの動画コンテンツに参加させていただいた際、自分の顔がサムネイルで出まくり(さすが人気サイト)、AVに出てしまったような取り返しのつかない気持ちになったりと、まだまだ心のなかでは葛藤の日々を送っている次第です。

ですが考えてみると、そんなに開陳をもったいぶるような顔でも人生でもないので、このブログでは、私が興味を持つ「路上園芸」とともに、私自身のサエない人生についても、少しずつ書き綴っていこうと思う所存です。

以後お付き合いのほど、よろしくお願いします。