今回の投稿では、なぜ「路上園芸」に興味を持つようになったのかを書こうかな、と思います。
実家のすぐ横が山で、子どもの頃は毎日のように山で遊んでいたり、中学高校時代は植林のボランティアに参加してみたりと、何となく植物とつかずはなれずの関係でいましたが、特に積極的に鑑賞したり育てたりするわけではありませんでした。
大学・大学院時代に所属していたのは経済地理学のゼミ。研究テーマは企業の海外進出で、ここでも植物関係なし。
ですが地理学は、“いろいろ頭で考えて計画したりしても、結局土地とか場所などの物理的な問題と折り合いをつけながらやっていくしかない”、という現実的なところに目を向けているのが好きで、そこは「モノ」を「モノ」として見る路上観察とも、根底で通ずるところがあるのかな、と感じます。
地図を見ながら歩くという、今でいう「ブラタモリ」的な授業もありました。授業でシムシティやったりもしたな・・・。
卒業後はとあるメーカーに就職。営業職でした。ここでも植物関係なし。
給料は高く、新人を手厚く研修してくれたとても良い会社でしたが、いかんせん売っているものに一ミリも興味が湧かなかった・・・ので、2年弱で退職。当時特に叩かれていた「3年続かない若者」まっしぐらでした。
私に突然「植物期」が訪れたのは、退職後にフリーランスやアルバイトとして様々な道を模索していたさなか。
誰が計画して作り出したわけでもなく、そのままの存在で美しい「植物」って尊いな、とズドーンと強烈に思ったわけです。
デザインそのものも美しいことはさることながら、古来から衣食住や言葉、芸術、文学、それはもうあらゆるものに密接に関わり、知れば知るほど奥深い。
なんなんだ、「植物」って。
いったん猛烈に気になるともうノンストップで、「植物」で何か仕事できないかな、と思い始めました。
最初トライしてみたのは、デザインからのアプローチ。
商業施設やオフィスの中を鉢植えで装飾したり、設置された植栽を管理するアルバイトをする傍ら、一年間職業訓練校に通い、園芸装飾技能士の国家資格を取得。
いけばなの教室にも通いました。
そんなこんなで「植物」を使って空間を作る仕事に挑戦しましたが、徐々になんか違うな、と思うように。
(そもそもズボラでペーパードライバーなので、朝早く起きて、時に軽トラを使いこなさねばならない仕事ってなんか無理だな、と及び腰になってしまったという点はさておき・・・)
室内用の装飾として使われる植物は、設置された時点が100%なんですね。
どうしても屋外と比べると日照にも風通しにも限りがあるので、そこからどんどん元気がなくなっていったり、虫が湧いたりするという状態を、しょっちゅう見ていた。
「路上園芸」に目が行くようになったのは、そんな時でした。
植木鉢という、自然からは切り離された状態なのは室内装飾と同じなのに、妙に元気でたくましい路上の植物(太陽光も風も水もあるから当たり前ですが)。
何よりも、路上に並ぶ植木鉢が作り出す意図してないデザインがたまらなくいいな、と思ったんです。
生活空間をささやかに彩ろうと、思い思いに置かれた植木鉢。
鉢のデザインもバラバラだし、手入れされていたり放置されていたりするけど、それが年月を経ると味わい深い風景となり、街の緑の景観の重要なパーツになる。
自然と醸成される、意図せぬ美。
職人芸が生み出す盆栽や造園の背筋が伸びるような美しさも好きですが、市井の無名の人びとが生活とともに軒先でつくりだす植物の風景も、同じくらい美しい。
そんな風に思ったわけです。
最初は自分ひとりで粛々と携帯のカメラに撮りためていたわけですが、前回記事で書いたように外に発信してみると、また新たな切り口から楽しみを見出すことができたり、別の視点で「世界」を切り取り楽しんでいる人に出会えたり。
そんな無限ループで今に至ります。