どれ程の言葉を使っても今の自分の感覚を言い表すことはできない。
両手の指を祈る時の形で組んだ時にどっちの親指が上に来るか。
両腕を組んだ時にどっちの腕が上に来るか。
で右脳型か左脳型かわかるらしい。
わたしは左の親指が上に来て右の腕が上に来る。これは、インプットが右脳でアウトプットが左脳らしい。
幼なじみ曰く、当たってるらしい。因みに彼女はわたしと真逆。
自分ではよくわからんけど、文章を書く仕事を志してることを考えると、ちょうどいいのかもしれん。とは思うけど、右脳感覚でインプットしたものを理路整然とアウトプットするのは、むじゅかしい・・・・・。
音楽を聴いてね、「うーん。ピンクが強いなぁ。寒色があってもパステルな感じ」とか思ってるのを他人に正確に伝えられるわけない。
えっちい音が「ピンク」ってわけじゃないからね。それなら左脳な感じ方でしょ。
という前置きをして、昨日の続き。
何度か聞き込んで「愛の十字架」「下限の月」「Spica」「ヴェルヴェット・レイン」「追憶の雨」を聴いて、メロディメーカーとして定評があるって言われるのは、こういうところに所以するのか。と、なんだか不意に腑に落ちた。
前になんかの雑誌を読んでて、「夜の海」のことが書かれてたの。
「聴けば聴くほどしみこんでくる曲っていうのもあるけど、この曲はCMを見た瞬間、頭に入り込んできてインパクトを植えつけられた。舞台音楽は何回も聴きなおせるものじゃないからこうである必要がある。それが堂本光一にはできる」
みたいな事が書いてあった。ちょっと過大解釈してるかもしれんけど、まあ、内容はそんな感じ。
メロディメーカー堂本光一に対する褒め言葉なんやけど、そこまで言わせるのって、ちょっとすごいな。と思った。「ねぇ、ねぇ、この人アイドルってこと知ってる?」って訊きたくなる。
そいうことを考えると、剛君がソロ活動をエンドリ名義で発動したのがわかる。でもきっと、光一君はそういうやり方はしないでしょうね。やるとしたら、正当な評価を受けたいからって言う理由で完全なシークレットで名前変えるってパターンだけでしょう。でもまあ、それももうやっちゃったし、こういう音楽も作れるっていうのをこのアルバムで証明してしまったからいまさらやらんやろうな。それでももしやるなら、誰かのプロデュースする時とかかな。
しかーし!話戻すけど、「Deep・・・」とか「Addicted」とかも作れるんやもんな。そこももっと評価してほしいなぁ。って、わたしがこういう系統が好きってだけと言えばそれだけなんですけどね。
昨日書ききれなかった「Addicted」に関しては、舞台音楽で培った力と自分の趣味とそこから得た知識と技術(?)を思う存分に発揮したって感じなのかな。
曲自体は打ち込みで作ったみたいやけど、オケとかホーンっぽい音の感じとかは、舞台音楽をやった人やから思いつきそうな音やなぁ。と思ったの。や、もちろん、インスト岩田さんですけどね。でも、確実に音作りに関わってるでしょ?
あと感じたのは、たくさんの声が重ねてあるんやけど、それぞれの声が、掴み取れそう。ってこと。
たぶん、全部を掌握することは不可能やと思うけど。もしできたら、「できたよ!」って報告したくなりそう。で、「残念でした。ここにもあります」って言われんねん。――――想像(妄想?)し過ぎやな・・・・・。
なんかさぁ、もう、この曲作ったってなると、「Love me more」も実は作りました。って言われても驚かんよね。
全体通して。
この人の書いたメロディを聴く度に思うのは、
「無味無臭。無着色。温度ないなぁ」(前にも書いたかな?)
で、そのメロディにアレンジがついて、色、温度がつく。
味と匂いは、―――どうかな?
そして歌詞がついて風景が見えてくる。
ほんの少しの、何のかはわからんけど明かり(月明かりではない。あ!星の明かりかも!)だけのパーティの終わった後のお屋敷の部屋とか、一寸先も見えない汗ばむ温度の暗闇とか、朱色と碧に支配された熱帯とか。
いろんな人の手が加わって、ひとつだけでない感情が流れてくる。
音楽というものがそれを映して伝えてるのね。
やっぱこの人のつけるタイトルって好きです。
歌詞書かなくなってタイトルに「おお!」って思う機会がなくなってしまって残念がってたけど、まだ残ってた。よかった。
そういや、今日からツアー、スタートでしたね。
身体に気をつけて、みんなが楽しんでいることを祈ります。
両手の指を祈る時の形で組んだ時にどっちの親指が上に来るか。
両腕を組んだ時にどっちの腕が上に来るか。
で右脳型か左脳型かわかるらしい。
わたしは左の親指が上に来て右の腕が上に来る。これは、インプットが右脳でアウトプットが左脳らしい。
幼なじみ曰く、当たってるらしい。因みに彼女はわたしと真逆。
自分ではよくわからんけど、文章を書く仕事を志してることを考えると、ちょうどいいのかもしれん。とは思うけど、右脳感覚でインプットしたものを理路整然とアウトプットするのは、むじゅかしい・・・・・。
音楽を聴いてね、「うーん。ピンクが強いなぁ。寒色があってもパステルな感じ」とか思ってるのを他人に正確に伝えられるわけない。
えっちい音が「ピンク」ってわけじゃないからね。それなら左脳な感じ方でしょ。
という前置きをして、昨日の続き。
何度か聞き込んで「愛の十字架」「下限の月」「Spica」「ヴェルヴェット・レイン」「追憶の雨」を聴いて、メロディメーカーとして定評があるって言われるのは、こういうところに所以するのか。と、なんだか不意に腑に落ちた。
前になんかの雑誌を読んでて、「夜の海」のことが書かれてたの。
「聴けば聴くほどしみこんでくる曲っていうのもあるけど、この曲はCMを見た瞬間、頭に入り込んできてインパクトを植えつけられた。舞台音楽は何回も聴きなおせるものじゃないからこうである必要がある。それが堂本光一にはできる」
みたいな事が書いてあった。ちょっと過大解釈してるかもしれんけど、まあ、内容はそんな感じ。
メロディメーカー堂本光一に対する褒め言葉なんやけど、そこまで言わせるのって、ちょっとすごいな。と思った。「ねぇ、ねぇ、この人アイドルってこと知ってる?」って訊きたくなる。
そいうことを考えると、剛君がソロ活動をエンドリ名義で発動したのがわかる。でもきっと、光一君はそういうやり方はしないでしょうね。やるとしたら、正当な評価を受けたいからって言う理由で完全なシークレットで名前変えるってパターンだけでしょう。でもまあ、それももうやっちゃったし、こういう音楽も作れるっていうのをこのアルバムで証明してしまったからいまさらやらんやろうな。それでももしやるなら、誰かのプロデュースする時とかかな。
しかーし!話戻すけど、「Deep・・・」とか「Addicted」とかも作れるんやもんな。そこももっと評価してほしいなぁ。って、わたしがこういう系統が好きってだけと言えばそれだけなんですけどね。
昨日書ききれなかった「Addicted」に関しては、舞台音楽で培った力と自分の趣味とそこから得た知識と技術(?)を思う存分に発揮したって感じなのかな。
曲自体は打ち込みで作ったみたいやけど、オケとかホーンっぽい音の感じとかは、舞台音楽をやった人やから思いつきそうな音やなぁ。と思ったの。や、もちろん、インスト岩田さんですけどね。でも、確実に音作りに関わってるでしょ?
あと感じたのは、たくさんの声が重ねてあるんやけど、それぞれの声が、掴み取れそう。ってこと。
たぶん、全部を掌握することは不可能やと思うけど。もしできたら、「できたよ!」って報告したくなりそう。で、「残念でした。ここにもあります」って言われんねん。――――想像(妄想?)し過ぎやな・・・・・。
なんかさぁ、もう、この曲作ったってなると、「Love me more」も実は作りました。って言われても驚かんよね。
全体通して。
この人の書いたメロディを聴く度に思うのは、
「無味無臭。無着色。温度ないなぁ」(前にも書いたかな?)
で、そのメロディにアレンジがついて、色、温度がつく。
味と匂いは、―――どうかな?
そして歌詞がついて風景が見えてくる。
ほんの少しの、何のかはわからんけど明かり(月明かりではない。あ!星の明かりかも!)だけのパーティの終わった後のお屋敷の部屋とか、一寸先も見えない汗ばむ温度の暗闇とか、朱色と碧に支配された熱帯とか。
いろんな人の手が加わって、ひとつだけでない感情が流れてくる。
音楽というものがそれを映して伝えてるのね。
やっぱこの人のつけるタイトルって好きです。
歌詞書かなくなってタイトルに「おお!」って思う機会がなくなってしまって残念がってたけど、まだ残ってた。よかった。
そういや、今日からツアー、スタートでしたね。
身体に気をつけて、みんなが楽しんでいることを祈ります。
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