■ 特集 稲尾和久さん死去(西日本新聞)
■ 稲尾和久公式サイト
西鉄ライオンズで一時代を築いた稲尾和久さんが、今日未明悪性腫瘍のために亡くなりました。当時のチームメイトやライバルたちを中心に、その突然の死を悼む声が次々と上がっています。
西鉄はおろか福岡時代のライオンズの記憶すらない私にとって、現役時代の稲尾さんは「伝説」という以外のなにものでもありません。むしろ、オリオンズの監督として活躍された時のイメージの方が、具体的ものとして沸いてくるぐらいです。
稲尾さんがオリオンズの監督を引き受けたのは、ライオンズが去ってプロ野球の灯がいったん消えた福岡に、オリオンズが移転するという条件でのことでした。
ただ、結果としてオリオンズが福岡に来ることはなく、代わりに現れたのは南海の流れを汲む福岡ダイエーホークスでした。
以前稲尾さんは日経新聞に連載を持っていましたが、そこではかつてのライバル球団であるホークスが福岡に来ることに戸惑いも感じたものの、福岡にプロ野球チームをという思いが叶ったことへの喜びが綴られていたのを思い出します。
日刊スポーツの特集に、稲尾さんのこんな一言があります。
「オレたちが戦った平和台はなくなってしまったし、球団もライオンズではなくなったけど、福岡には野球ファンがいる。オレには福岡にプロ野球チームとファンがいることが一番なんだよ」
(ニッカン・鉄腕稲尾特集第49回「九州移転条件にロッテ監督」)
地元で愛される野球チームがあることこそが大事なのだ―これは稲尾さんのみならず、野球を愛するものそれぞれに共通する思いではないでしょうか。
冒頭でご紹介した画像は、先日松山への遠征で乗ったフェリーのフリーペーパーに掲載されていたものです。
大分・別府の海で育ち、幼い頃に船員への憧れを抱いた稲尾さんは、球界での活躍ののちに関西と別府を結ぶフェリー航路「フェリーさんふらわあ」の名誉船長に就任されました。
また、先月には別府市民球場に「稲尾記念館」が完成したばかり。さらにはマスターズリーグ・福岡の監督業と、古き良きパ・リーグの生き証人としてまだまだ活躍の機会はたくさんあっただけに、残念でなりません。
ご冥福をお祈りいたします。
■ 稲尾和久公式サイト
西鉄ライオンズで一時代を築いた稲尾和久さんが、今日未明悪性腫瘍のために亡くなりました。当時のチームメイトやライバルたちを中心に、その突然の死を悼む声が次々と上がっています。
西鉄はおろか福岡時代のライオンズの記憶すらない私にとって、現役時代の稲尾さんは「伝説」という以外のなにものでもありません。むしろ、オリオンズの監督として活躍された時のイメージの方が、具体的ものとして沸いてくるぐらいです。
稲尾さんがオリオンズの監督を引き受けたのは、ライオンズが去ってプロ野球の灯がいったん消えた福岡に、オリオンズが移転するという条件でのことでした。
ただ、結果としてオリオンズが福岡に来ることはなく、代わりに現れたのは南海の流れを汲む福岡ダイエーホークスでした。
以前稲尾さんは日経新聞に連載を持っていましたが、そこではかつてのライバル球団であるホークスが福岡に来ることに戸惑いも感じたものの、福岡にプロ野球チームをという思いが叶ったことへの喜びが綴られていたのを思い出します。
日刊スポーツの特集に、稲尾さんのこんな一言があります。
「オレたちが戦った平和台はなくなってしまったし、球団もライオンズではなくなったけど、福岡には野球ファンがいる。オレには福岡にプロ野球チームとファンがいることが一番なんだよ」
(ニッカン・鉄腕稲尾特集第49回「九州移転条件にロッテ監督」)
地元で愛される野球チームがあることこそが大事なのだ―これは稲尾さんのみならず、野球を愛するものそれぞれに共通する思いではないでしょうか。
冒頭でご紹介した画像は、先日松山への遠征で乗ったフェリーのフリーペーパーに掲載されていたものです。
大分・別府の海で育ち、幼い頃に船員への憧れを抱いた稲尾さんは、球界での活躍ののちに関西と別府を結ぶフェリー航路「フェリーさんふらわあ」の名誉船長に就任されました。
また、先月には別府市民球場に「稲尾記念館」が完成したばかり。さらにはマスターズリーグ・福岡の監督業と、古き良きパ・リーグの生き証人としてまだまだ活躍の機会はたくさんあっただけに、残念でなりません。
ご冥福をお祈りいたします。
2005年のある日の晩、ラジオで福岡ドームの鷹檻戦の解説をなされていたのを偶然聴視したのが最後になってしまいました。
シーズン最多の42勝を稼いだり数々の輝かしい伝説を残し、福岡に行けば地元の紳士服屋のキャラクターに選ばれていたり、地元からもパ・リーグからも愛されていただけに、残念です。
謹んでご冥福をお祈りします。
だからこそ地元での人気もあったんでしょうね。
仰木さんに続いて、西鉄黄金時代の立役者が去っていったと思うと、時代の流れを痛感します。
父や年輩の野球ファンに聞かされた、稲尾氏や杉浦忠氏の現役時代のエピソード。子供心にも『そんなの不可能だ!』と思ったことをまぎれもなく成し遂げてきた伝説の野球選手にして、引退後も野球に携わり続けた野球人。そして九州を愛し、九州の人から愛され続けた人だったのですねえ……
来月、マスターズリーグで香川にいらっしゃるのを楽しみにしていました。西鉄、野武士軍団を体現する方がまだ高松にいらっしゃるので、ちょっと油断していたところがありましたよ。
稲尾氏には仰木氏や関口氏、三原監督と、あちらで野球談義に花を咲かせてほしいですね。
「あと10年だけ時間を下さい」と神様に祈ったそうです。
(「豊田泰光のオレが許さん!」より)
それが、まさか稲尾氏が先に亡くなってしまうとは、誰が考えたでしょうか…。
あのときはまさかこんなことになるなんて・・
もっと稲尾さんの解説をしっかり聞いておけば良かったです・・
福岡のメンバーやファンも、さぞショックなことでしょう。
私自身も、まさかという思いがまだ消えていません……
「西鉄ライオンズは今日で終わった」という一言がありましたが、パファンとしても同じような、
なにか1つの時代の終わりを感じずにはいられません。
確か私がドームで観戦した試合だと思うんですが、
分かっていたら、携帯用のラジオでも何でも持ち込んでいたものを……