昨年11月にオープンした阪急西宮ガーデンズ。その一角に、かつての阪急西宮北口駅・西宮球場の歴史を伝える、「阪急西宮ギャラリー」があります。
以前から行きたいとは思っていたのですが、オープン直後で人がやたら多い気がしたこともあり(実際多かったようですが)、昨日になって行ってきました。
甲子園から今津で乗り換えて、西宮北口へ。
この駅名版、つい数年前までは(阪急西宮ガーデンズ前)ではなく、(阪急西宮スタジアム前)と書いてありました。
西宮球場が閉鎖されて、その文字は消えていたのが、今回入れ替わった形です。
球場跡に建設された、阪急西宮ガーデンズ。その5階に、かつての歴史を物語る「阪急西宮ギャラリー」があります。
正面には、阪急ブレーブスの一員として野球殿堂入りを果たした人々のレリーフが並んでいます。
世界の盗塁王、福本豊。当たり前ですが、若い!
サブマリン山田。この人1人だけでもすごいのに、佐藤、山沖、今井、星野、アニマル……本当に豪華な投手陣です。
上田監督。私にとって阪急ブレーブスと言えば、上田監督です。
阪急ブレーブスが勝ち得たペナント・選手のトロフィーなどが展示される中、かつて西宮北口をまたいで活躍した名車・920系と800系の模型もありました。
特に手前の800系は、戦後すぐ開催された「アメリカ博」の宣伝用塗装という、非常に貴重なものです。
壁面には、阪急の歴史をたどるパネルがいくつもあります。
そんな中、一番の目玉は、1980年代前半の西宮北口駅周辺を再現したジオラマです。
西宮北口にかつて存在した、神戸線と今津線の平面交差、「ダイヤモンドクロス」。
神戸線が開通してから1984年まで存在した、非常に珍しいポイントです。
ダイヤモンドクロスを抜けて今津に向かう、810系電車です。
京都と神戸を結ぶ特急として活躍した元エースも、当時はすでに終焉期を迎えていました。
今津からダイヤモンドクロス手前で信号待ち中の1010系。阪急最初の量産型高性能車として、高度成長期を支えました。
バスがあり得ない新しさなのと向きが逆(この付近は北行き一方通行)はご愛嬌
ダイヤモンドクロスを渡って三宮に向かうのは、5000系。現在はリニューアル工事を受け、外観もかなり変わっています。
梅田行き特急は、当時最新鋭の7000系。まだ輝いていた頃の阪急特急です。
もちろん、西宮球場も再現されています。満員のスタンドが見守るのは、当時黄金期を迎えつつあったライオンズとの一戦。
当時完成したばかりのアストロビジョン。ちゃんと映像まで流してくれているのが嬉しいですね。
ちなみに、スタメンデータベースで見た限り、こういうオーダーの試合は見つかりませんでしたが、まぁイメージは出てますね。
1980年代前半の西宮北口。阪神沿線に住む幼いぼくにとって、羨ましくも憧れのあった、阪急電車と、阪急ブレーブス。
それから、もう10数年。
かつてここには、球場で毎年開かれた2000人の吹奏楽(のちの「3000人の吹奏楽」)にちなんだ記念樹が植えられていました。
ここに据えられていた、小さな小さなレリーフ。今はどこに行ってしまったのでしょう。
スタジアムがあった頃の名残を偲ばせる、臨時改札口のシャッター。
かつてはここもシャッターで、阪急ブレーブスのユニホームをまとった選手のイラストが描かれていました(当時の画像)。
しかし、今はそれを見ることができません。
誤解されたくないので書かせていただきますが、西宮球場跡の再開発に際し、過去の遺産を展示するギャラリーを建設したのは、間違いなく素晴らしいことです。
近鉄にこれができるか? オリックスは? (ブルーウェーブも消されたのです。どうか皆さん、心の片隅にでも置いておいてほしい)
そう考えれば、よくぞ作ってくれた。心からそう思います。
だけど、これを見て、どうしても思ってしまったのです。
ぼくの阪急は、もう戻ってこないのだと。もうぼくの手の届かない、遠い遠いところへと去ったことを。
そして、その名残もいつか消えてしまって、生きた形ではなく、すでに命を失った「歴史」として、見ることしかできなくなることを。
「それほど過去のことではないけれど、
はるか彼方に行ってしまった
あの無限の星、美しい星!」
(トイヴォ・リュー『創世記』、栗田ひろゆき訳)
昨日は本当に寒くて、見に行ったのは屋内のギャラリーだけ。屋外の展示は、さすがに見る気になりませんでした。
暖かくなったら、外も見に行くと思います。ぼくが大好きだった阪急に、最後のさよならを言いに。
以前から行きたいとは思っていたのですが、オープン直後で人がやたら多い気がしたこともあり(実際多かったようですが)、昨日になって行ってきました。
甲子園から今津で乗り換えて、西宮北口へ。
この駅名版、つい数年前までは(阪急西宮ガーデンズ前)ではなく、(阪急西宮スタジアム前)と書いてありました。
西宮球場が閉鎖されて、その文字は消えていたのが、今回入れ替わった形です。
球場跡に建設された、阪急西宮ガーデンズ。その5階に、かつての歴史を物語る「阪急西宮ギャラリー」があります。
正面には、阪急ブレーブスの一員として野球殿堂入りを果たした人々のレリーフが並んでいます。
世界の盗塁王、福本豊。当たり前ですが、若い!
サブマリン山田。この人1人だけでもすごいのに、佐藤、山沖、今井、星野、アニマル……本当に豪華な投手陣です。
上田監督。私にとって阪急ブレーブスと言えば、上田監督です。
阪急ブレーブスが勝ち得たペナント・選手のトロフィーなどが展示される中、かつて西宮北口をまたいで活躍した名車・920系と800系の模型もありました。
特に手前の800系は、戦後すぐ開催された「アメリカ博」の宣伝用塗装という、非常に貴重なものです。
壁面には、阪急の歴史をたどるパネルがいくつもあります。
そんな中、一番の目玉は、1980年代前半の西宮北口駅周辺を再現したジオラマです。
西宮北口にかつて存在した、神戸線と今津線の平面交差、「ダイヤモンドクロス」。
神戸線が開通してから1984年まで存在した、非常に珍しいポイントです。
ダイヤモンドクロスを抜けて今津に向かう、810系電車です。
京都と神戸を結ぶ特急として活躍した元エースも、当時はすでに終焉期を迎えていました。
今津からダイヤモンドクロス手前で信号待ち中の1010系。阪急最初の量産型高性能車として、高度成長期を支えました。
ダイヤモンドクロスを渡って三宮に向かうのは、5000系。現在はリニューアル工事を受け、外観もかなり変わっています。
梅田行き特急は、当時最新鋭の7000系。まだ輝いていた頃の阪急特急です。
もちろん、西宮球場も再現されています。満員のスタンドが見守るのは、当時黄金期を迎えつつあったライオンズとの一戦。
当時完成したばかりのアストロビジョン。ちゃんと映像まで流してくれているのが嬉しいですね。
ちなみに、スタメンデータベースで見た限り、こういうオーダーの試合は見つかりませんでしたが、まぁイメージは出てますね。
1980年代前半の西宮北口。阪神沿線に住む幼いぼくにとって、羨ましくも憧れのあった、阪急電車と、阪急ブレーブス。
それから、もう10数年。
かつてここには、球場で毎年開かれた2000人の吹奏楽(のちの「3000人の吹奏楽」)にちなんだ記念樹が植えられていました。
ここに据えられていた、小さな小さなレリーフ。今はどこに行ってしまったのでしょう。
スタジアムがあった頃の名残を偲ばせる、臨時改札口のシャッター。
かつてはここもシャッターで、阪急ブレーブスのユニホームをまとった選手のイラストが描かれていました(当時の画像)。
しかし、今はそれを見ることができません。
誤解されたくないので書かせていただきますが、西宮球場跡の再開発に際し、過去の遺産を展示するギャラリーを建設したのは、間違いなく素晴らしいことです。
近鉄にこれができるか? オリックスは? (ブルーウェーブも消されたのです。どうか皆さん、心の片隅にでも置いておいてほしい)
そう考えれば、よくぞ作ってくれた。心からそう思います。
だけど、これを見て、どうしても思ってしまったのです。
ぼくの阪急は、もう戻ってこないのだと。もうぼくの手の届かない、遠い遠いところへと去ったことを。
そして、その名残もいつか消えてしまって、生きた形ではなく、すでに命を失った「歴史」として、見ることしかできなくなることを。
「それほど過去のことではないけれど、
はるか彼方に行ってしまった
あの無限の星、美しい星!」
(トイヴォ・リュー『創世記』、栗田ひろゆき訳)
昨日は本当に寒くて、見に行ったのは屋内のギャラリーだけ。屋外の展示は、さすがに見る気になりませんでした。
暖かくなったら、外も見に行くと思います。ぼくが大好きだった阪急に、最後のさよならを言いに。
球場がなくなったあとはなんのアナウンスもなかったんですが、
また新たな呼称が加わったことになりますね。
関西だと、大阪球場跡の難波パークスにも展示はありますけど、
藤井寺はもうどうしようもないですし……
こうしてかつての栄光を偲ぶ場所ができたのは、本当に良かったです。
「次は西宮北口、西宮球場前、この電車は次まで。神戸、大阪、今津方面はお乗り換え下さい」というアナウンスも、記憶の彼方にしまい込む日が来たのですね…。
私が初めてプロ野球に触れたのは西宮球場なのですが、スタジアムがなくなっても、こうして過去の栄光の歴史を資料館として今の世に伝えられることは、どれだけ幸せなことでしょうか。
私も是非早いうちに機会を見つけてこの資料館に足を運びたいです。
今はマリーンズファンとして過ごしている私も、プロ野球ファンとして産声を上げたのは、阪急西宮スタジアムなんです。
今までパリーグファンとして帰る場所の亡かった私ですが、帰る場所が出来たことに、喜びを感じています。
1981年ってのがアレですが(アストロビジョン登場は翌年)、
まるっきり根拠がないってわけではなかったんですね。
>スコアボードの「Hankyu」のロゴ
やはり、そんな気がしますよね。
他の企業の広告を見ても、最近のものに見えるのがちらほら。
>2000人の吹奏楽の記念樹
関テレはともかく、主催者にそこまでの余裕があったかどうかは疑問ですね。
小さいプレートだったので、誰かどこかに保管してくれてるといいのですが。
>ブレーブス後援会
確かに、いまだに残ってたってのは驚きです[;;0J0]
けっこう楽しかった。
・早見優の声が欲しかったなぁ(81年はデビュー前です)
・スコアボードの「Hankyu」のロゴ、もっと最近じゃないの?
2000人の吹奏楽の記念樹、管理は阪急だけど所有者は関西テレビか実行委員会になると思います。
だからそこが移設費用を出さなければ阪急の一存で移設は難しいかと。
「阪急ブレーブス子供会」の記念碑は百貨店南側のタクシー用ロータリーのそばに、アメリカンフットボール記念碑が山手幹線を越えた南側にそれぞれ移転。
http://nishinomiya-gardens.com/gallery.html#FooterBox
だから費用さえ出してくれれば阪急側としては場所を提供することくらいはできたでしょうし。
ブレーブス子供会の記念碑の周囲には「ブレーブス後援会」が2008年11月の西宮ガーデンズオープン時に植樹してます。
実際に行ってみると「バットの木」アオダモでした。
阪急はともかく後援会としてはまだ野球に未練があるようで…というか、まだ後援会が残ってるのか!
私鉄沿線ごとに文化が違うというのは、しばしば言われますね。
プロ野球球団もそんな例の1つと言えたのかも知れませんが、
それも3つが消えてしまったわけで、文化的には寒い状況です。
>北海道
実際、スワファンのブロガーさんもままいますもんねぇ(笑)
用事でもない限り、なかなか足が向きませんよね(苦笑)
昔、南海ホークスファンだったという関西出身の知人が、ホークスが九州に行ったことを嘆いていたので、
「でも、関西には阪神もオリックスも近鉄もあるじゃない」といったら「他のチームはあるけど…それにブレーブスはもうないしね」。そのときは「そうなんだ~」とあまりピンとこなかったのですが。
知人は南海電車や沿線の思い出も話していて、4つの私鉄が長く球団をもっていた関西は、鉄道・沿線である意味地域密着していたのかな、それが参入歴が比較的新しい西武だけ(東急は参入期間が短かったし、国鉄は全国展開だし)の関東のプロ野球文化との違いかも、と今にして思います。
余談ですが、ハムが移転する以前は、巨人ファンばかりだったといわれる北海道ですが、年配者には基幹産業だった国鉄つながりでスワローズ、港町出身者には大洋つながりでホエールズ(ベイ)ファンという人も結構いたと聞いています。
軽くフラッと寄れないという、まさに記憶もろとも場所さえも近くて遠い藤井寺です。
それに福本さんも、「ボクには帰るところがない」って言ってました……
栗橋さんの呑み屋は、一度行ってみたいんですよね。
ただ、休日が休みらしいので、なかなかそうもいかず(苦笑)
「伝統を消したから弱くなっていった。」と。
近鉄バファローズの生きた証としては、バファローズOBの栗橋茂さんが藤井寺球場跡近くにて飲み屋を営んでおられるので、一応ある事はあります。
この記事に先駆けて、昨年クライマックスシリーズの後で日生・大阪・藤井寺の3球場跡を巡りましたけど、やっぱり寂しいですね。
おっしゃる通り、西宮ギャラリーは阪急の資料館なので、
対象はあくまで「阪急ブレーブス」です。
オリックス・ブレーブスとブルーウェーブは、ひょっとしたら、
消滅したことすら分かってもらえなくなるのかも知れません。
「なんであんな会社に球団を売ったんだ!?」
その思いが消えることはないでしょう。
西宮にこのようなモニュメントが作られていたのですね。
ブレーブス(~ブルーウェーブ)ではなくあくまでも「阪急」が対象なのでしょう。
とすると、オリックスという会社(オーナー宮内氏と言ってもいいかも)が日本のプロ野球に与えた功罪について考えさせられます。