ベンチから登場するだけでどよめきが巻き起こる。緊迫感をいやがおうにも高める「スカイ・ハイ」が響く中、その男の名前がコールされれば、球場全体が歓声に包まれる。
ファンに「神様」とまで呼ばれたその男の引退の日が、ついに来てしまいました。
八木裕。1986年、ドラフト3位指名で入団後、阪神タイガース一筋に駆け抜けた男。
しかし、彼のプロ選手としての野球人生は、チーム同様苦難に満ちたものでした。
低迷するチームの中で、掛布の跡を継ぐ長距離砲として期待されながら伸び悩んだ若手時代。
92年、初めての優勝争いのさなかに放った「幻のサヨナラホームラン」…ホームランであったはずがエンタイトルツーベースに覆った判定。勝ったはずの試合を結局取り戻すことはできず、その後は悪夢の大ブレーキで、手中にあった優勝すら失ってしまいました。
そして96年には、左ひざの負傷により半月板の手術を受けることになり、1軍での出場試合数ゼロという危機を迎えます。
ところが翌97年、彼に転機が訪れます。代打で起用されるようになるとこれが大当たり。この年には代打成功率が4割に達するなど、脅威の勝負強さを発揮し始めたのです。この年以降はさすがに率こそ落ちたものの、ここぞという場面では代打の切り札として活躍を続けました。この頃から、ファンは八木のことを「代打の神様」と呼ぶようになります。
しかし、依然としてチームは泥沼から抜け出せないままでした。迫り来る衰え、年齢との闘い…それでも何とか、何とか八木のいる間に優勝してほしい、どうしようもないチームの中で苦闘を続けた八木に、優勝の喜びを味わってほしい…
2003年、そんなファンの願いがついに叶う時が来ました。この年の八木は代打打率こそ1割台と低迷したものの、スタメンでは逆に活躍をみせます。そして9月15日、いつしか「代打の」という枕詞の取れた「神様」は、入団以来17年間待ち望んだ優勝を果たしました。
多くの阪神ファンにとって、優勝そのものの喜びは例えようもないものでしょう。しかし、その優勝の場に八木がいた、八木のいる阪神で優勝できた、このことが何より嬉しかった、そういう方も少なくないのではないでしょうか。
その八木も今季は起用自体が減り、思うような仕事ができなくなっていました。そして昨日、最後の打席を迎えることとなったのです。
本来引退試合の予定は8日でしたが、雨天中止となり昨日10日の代替試合に変更。しかし、そのおかげで「神様」の最後の舞台には絶好の天気が用意されました。
この日の入場券は全席当日発売。8日なら満員だったので、球団側にとっては痛いところでしょう。ただ甲子園球場には徹夜組もふくめ48,000人の観客が詰め掛けました。私も朝から並んで何とかレフトの席を手に入れ、その舞台を見届けることができました。
試合は完全に阪神ペースで進みました。打線が制球に苦しむ久保から2回までに6点を取ると、先発三東は5回1失点の好投。
その後6回には阪神が2点を加えますが、讀賣も7回表、1死1,3塁から代打野村の犠飛と仁志のタイムリーで同じく2点を返します。
この日は讀賣にとって公式最終戦。また野村(カツノリ)にとっては戦力外通告された讀賣での最後の試合でした。打席に立ったカツノリには阪神ファンからも応援の声が飛んでいました。
さて、この後迎えた8回裏。先頭の藤本が倒れ、1死走者なし、バッターは安藤の場面。ついに、最後の「代打八木」のコールがされ、神様が打席に立ちます。
球場全体から応援歌が響く中、八木は投手南が投げた3球目、外角のストレートをはじき返します。すると打球はライナーでライトへ!神様は、最後の打席まで神様でした。
その後、9回には1塁の守備につき、(G)矢野のゴロを処理する場面も見ることができました。代わった所に打球が飛ぶとはよくいいますが、まさにその通りの展開に球場はまた盛り上がります。そして、その後の三浦はショートゴロ、吉川はピッチャーゴロ。久保田からのウイニングボールを八木がミットに納めて試合終了です。
試合終了後には引退記念のセレモニーが行われました。まず、ジャイアンツ副選手会長の仁志とタイガース選手会長の今岡から、そして八木の子供たちから花束が贈呈されました。
この時、阪神ファンと巨人ファンの垣根はありませんでした。昨年の甲子園TG最終戦では阪神ファンからも原コールがわきあがっていましたが、今日はジャイアンツの応援団やファンが八木コールに加わっていました。
共に八木への声援を送っていただいたジャイアンツの応援団、ファンの皆さまには、心から感謝しています。
花束贈呈の次は、神様のスピーチです。
「あこがれの甲子園球場のバッターボックスに立つことは、もうありません。」
神様はそういうと涙で声を詰まらせましたが、すぐに言葉を続けました。そして、語ってくれました。
苦しいとき、プレッシャーに押しつぶされそうになったとき、ファンの声援が力となって支えてくれたと。
球団と選手が一丸となって、来年からすばらしいシーンを、感動的なシーンを、提供してくれるはずだと…
その後、六甲颪の大合唱の中、トラッキーとともに神様が場内を一周します。ライトスタンドからは紙テープも投げ込まれ、別れを惜しむ声があちらこちらから聞こえてきます。
そしてマウンドに戻ってくると、待ち構えていた阪神の選手たちによって、神様は宙を舞いました。
こうして、「神様」と呼ばれた男、八木裕は、甲子園のグラウンドから去っていきました…
さようなら、神様。18年の間、お疲れさまでした。ありがとう。本当に、ありがとう。
あなたには、どんな逆境でもチャンスは巡ってくることを、そしてそのチャンスをつかむ気持ちを忘れなければ、苦しい状況でも逆転できることを、教わったような気がします。
そして八木さん、いつの日にか、縦じまのユニフォーム姿のあなたに再会できる日を、私は待っています。
ファンに「神様」とまで呼ばれたその男の引退の日が、ついに来てしまいました。
八木裕。1986年、ドラフト3位指名で入団後、阪神タイガース一筋に駆け抜けた男。
しかし、彼のプロ選手としての野球人生は、チーム同様苦難に満ちたものでした。
低迷するチームの中で、掛布の跡を継ぐ長距離砲として期待されながら伸び悩んだ若手時代。
92年、初めての優勝争いのさなかに放った「幻のサヨナラホームラン」…ホームランであったはずがエンタイトルツーベースに覆った判定。勝ったはずの試合を結局取り戻すことはできず、その後は悪夢の大ブレーキで、手中にあった優勝すら失ってしまいました。
そして96年には、左ひざの負傷により半月板の手術を受けることになり、1軍での出場試合数ゼロという危機を迎えます。
ところが翌97年、彼に転機が訪れます。代打で起用されるようになるとこれが大当たり。この年には代打成功率が4割に達するなど、脅威の勝負強さを発揮し始めたのです。この年以降はさすがに率こそ落ちたものの、ここぞという場面では代打の切り札として活躍を続けました。この頃から、ファンは八木のことを「代打の神様」と呼ぶようになります。
しかし、依然としてチームは泥沼から抜け出せないままでした。迫り来る衰え、年齢との闘い…それでも何とか、何とか八木のいる間に優勝してほしい、どうしようもないチームの中で苦闘を続けた八木に、優勝の喜びを味わってほしい…
2003年、そんなファンの願いがついに叶う時が来ました。この年の八木は代打打率こそ1割台と低迷したものの、スタメンでは逆に活躍をみせます。そして9月15日、いつしか「代打の」という枕詞の取れた「神様」は、入団以来17年間待ち望んだ優勝を果たしました。
多くの阪神ファンにとって、優勝そのものの喜びは例えようもないものでしょう。しかし、その優勝の場に八木がいた、八木のいる阪神で優勝できた、このことが何より嬉しかった、そういう方も少なくないのではないでしょうか。
その八木も今季は起用自体が減り、思うような仕事ができなくなっていました。そして昨日、最後の打席を迎えることとなったのです。
本来引退試合の予定は8日でしたが、雨天中止となり昨日10日の代替試合に変更。しかし、そのおかげで「神様」の最後の舞台には絶好の天気が用意されました。
この日の入場券は全席当日発売。8日なら満員だったので、球団側にとっては痛いところでしょう。ただ甲子園球場には徹夜組もふくめ48,000人の観客が詰め掛けました。私も朝から並んで何とかレフトの席を手に入れ、その舞台を見届けることができました。
試合は完全に阪神ペースで進みました。打線が制球に苦しむ久保から2回までに6点を取ると、先発三東は5回1失点の好投。
その後6回には阪神が2点を加えますが、讀賣も7回表、1死1,3塁から代打野村の犠飛と仁志のタイムリーで同じく2点を返します。
この日は讀賣にとって公式最終戦。また野村(カツノリ)にとっては戦力外通告された讀賣での最後の試合でした。打席に立ったカツノリには阪神ファンからも応援の声が飛んでいました。
さて、この後迎えた8回裏。先頭の藤本が倒れ、1死走者なし、バッターは安藤の場面。ついに、最後の「代打八木」のコールがされ、神様が打席に立ちます。
球場全体から応援歌が響く中、八木は投手南が投げた3球目、外角のストレートをはじき返します。すると打球はライナーでライトへ!神様は、最後の打席まで神様でした。
その後、9回には1塁の守備につき、(G)矢野のゴロを処理する場面も見ることができました。代わった所に打球が飛ぶとはよくいいますが、まさにその通りの展開に球場はまた盛り上がります。そして、その後の三浦はショートゴロ、吉川はピッチャーゴロ。久保田からのウイニングボールを八木がミットに納めて試合終了です。
試合終了後には引退記念のセレモニーが行われました。まず、ジャイアンツ副選手会長の仁志とタイガース選手会長の今岡から、そして八木の子供たちから花束が贈呈されました。
この時、阪神ファンと巨人ファンの垣根はありませんでした。昨年の甲子園TG最終戦では阪神ファンからも原コールがわきあがっていましたが、今日はジャイアンツの応援団やファンが八木コールに加わっていました。
共に八木への声援を送っていただいたジャイアンツの応援団、ファンの皆さまには、心から感謝しています。
花束贈呈の次は、神様のスピーチです。
「あこがれの甲子園球場のバッターボックスに立つことは、もうありません。」
神様はそういうと涙で声を詰まらせましたが、すぐに言葉を続けました。そして、語ってくれました。
苦しいとき、プレッシャーに押しつぶされそうになったとき、ファンの声援が力となって支えてくれたと。
球団と選手が一丸となって、来年からすばらしいシーンを、感動的なシーンを、提供してくれるはずだと…
その後、六甲颪の大合唱の中、トラッキーとともに神様が場内を一周します。ライトスタンドからは紙テープも投げ込まれ、別れを惜しむ声があちらこちらから聞こえてきます。
そしてマウンドに戻ってくると、待ち構えていた阪神の選手たちによって、神様は宙を舞いました。
こうして、「神様」と呼ばれた男、八木裕は、甲子園のグラウンドから去っていきました…
さようなら、神様。18年の間、お疲れさまでした。ありがとう。本当に、ありがとう。
あなたには、どんな逆境でもチャンスは巡ってくることを、そしてそのチャンスをつかむ気持ちを忘れなければ、苦しい状況でも逆転できることを、教わったような気がします。
そして八木さん、いつの日にか、縦じまのユニフォーム姿のあなたに再会できる日を、私は待っています。
お世話になっております。
たんたんの、トラ君のかばんにお手紙ありがとございますです。
まー!なんとまー!!
みにいったですか!みにいったですのかー!!
いいなのなーーー。たんたんかてみたいわ。な。
あはは。
てれびでしたよ、たんたんは。
テレビでもなけたですので、デニーロさんは、もっとかんどうしたですよのね。たんたんたちのかわりにいってくれたですよの。ありがとです。
タテジマ一筋ですので、きっと、また、みれますよのね。ね。
ありがとございました。
賞の名前は「八木賞」とする。
年間4割の成功率と、「神様」の称号を記念するのにピッタリではないでしょうか?
でも花束贈呈がなぜ仁志だったのでしょうか?彼は例の件があったから?
実は、本当なら引退試合は8日で、チケットを取りそびれていたので見られなかったはずなんですよ。
それが10日になって、とりあえず並べば何とかなりそうだったので、行ってみたのです。
こういうときには、甲子園の地元に住んでいて良かったと思います…と、ちょっとジマン( ̄ー ̄)
八木さんは、今はまだこれからどうするか決めていないようですね。
ただ、関西にいれば新聞やテレビがかならず八木さんにお仕事をお願いすると思います。
ですから、最初は何年かそういう仕事をすることになるでしょうね。
ただ、その後はコーチとして、タイガースにもどって来てほしいですね。
それに、スタメンで出られなくても、ここぞという場面で期待に応えてくれる切り札はチームに欠かせない存在ですし、その中で特に活躍した選手への賞があってもいいですよね。
そんな賞として、これほどふさわしい称号もないと思いますよ。
ちなみに昨日の花束贈呈ですが、讀賣の選手会長はケガでスタメンを外れているようですね。
ですので、その代わりに仁志が、となったのではないでしょうか。
しかし3年前の和田引退+長嶋最終試合、去年の原退任試合といい、TG最終戦には何か思い出に残る出来事が絡みますね。
>TG最終戦には何か思い出に残る出来事が絡みますね。
2002年のG胴上げ阻止試合が思い出深いです。
あの頃も4位だったけどネバサレだったなあ(号泣)
始球式は息子さんだったんですか?
(昨日は息子さんは運動会だったのでハードスケジュールだとラジオで神様が語ってらっしゃいました。)
幸せな幕切れで良かったです。
昨日の試合、生で観戦されたのですね。
羨ましい限りです!
昨日の試合は和田コーチ以来の盛大な引退試合でしたね。
八木選手が現役を引退してしまった今、タイガースは新しい代打の神様を誕生させることが急務となりました。
『あー、八木が現役を続けてればなぁ』なんて心配をファンにさせないようにしてほしいだなんて、これはワガママでしょうかね。
とにかく八木選手というプロ野球界の神様に出会えることができて、心から良かったって思ってます。
これから、このブログにちょくちょく遊びにきたいと思います!
よろしくお願いします!!!
あの頃も4位だったけどネバサレだったなあ(号泣)
ありましたね。暴投サヨナラ負けで胴上げというあの試合が(笑)
あの日は土壇場で濱ちゃんの同点ソロなどがありましたし、同じ4位でも勢いの違いを感じましたね…
>始球式は息子さんだったんですか?
(昨日は息子さんは運動会だったのでハードスケジュールだとラジオで神様が語ってらっしゃいました。)
長男の亮介君が始球式をしていましたよ。しかも、わざわざ八木さんが打席に立っての始球式でした。
普通なら打者は仁志になりそうなものですが、讀賣もこういう時は気の利いたことをしてくれますね。
おっしゃる通り、八木に代わる新たな右の代打の切り札を、来年に向けて備えておく必要がありますね。
基本的には、今いる右打者から選んで鍛えるということになると思われますが、勝負強い打者となるとなかなか難しいですね。
この際ですから、秋季キャンプに右打ちのベテランをあえて同行させて、適性を見極めるのも方法ではないかと思います。
最後の打席で安打を放ち、そしてウィニングボールを自分のミットで納めるあたり、勝負の神様も「トラの神サマ」にイキな計らいをしてくれるもんだと感慨にふけっておりました。
もう八木選手の姿を観られないのは寂しいですが、きっと指導者として再びタテジマにソデをとおしてくれるでしょうから、そのときにまたあたたかく迎えてあげましょう。
私も仕事がなければ行きたかったですわ、ホンマ・・・。
始球式で、息子さんが父親と同じユニフォームで出てきた時から、うるっと来ましたね。
最初から阪神ペースのゲーム、そして8回裏、ピッチャーの打順に回った時に「今だ!」という、なんともいえない期待と興奮、そして実際にベンチから八木選手が姿を表わした時の地鳴りのような歓声といったら!
ワンアウト、ランナーがいない場面ではありましたが、そこはさすが八木、自分の花道は自分で飾りましたね。
(そのあと守備に入ったのは監督やコーチの粋な取り計らいだったとか)
最後のセレモニー、挨拶、胴上げ、と、スタンドも選手も、涙と笑顔が溢れていました。
読売応援団の方が、最初のスピーチで阪神ファンにも挨拶し、今日が「ジャイアンツが散々苦しめられてきた八木選手の引退試合ですね」と敬意を示した、そしてセレモニー中ずっと残って、八木のHMや八木コールに手拍子で音頭を取り、感動を分かち合ってくれたことが印象的でした。
夜中の「虎バン」も八木引退特集でしたが、始球式からセレモニーまで、高校時代から阪神時代を通じて八木のライバルであり、引退後は阪神タイガースの広報に勤める横山さんの心遣い溢れる演出だったとか。
タテジマひとすじ18年。優勝を経験し、選手寿命を全うし、このような舞台、花道を用意してもらい、ファンの涙と歓声に送られて、なんて幸せな人生でしょう。
ファンも幸せです。八木選手、感動をありがとう。
トラックバック頂きましてありがとうございます。
本当に私も甲子園に行きたかったですよ。
なかなか難しいです。横浜からですと
やっぱり遠いですから、、、
ですが何とかサンテレビの録画を手に入れる事が出来ましたので
後ほどじっくり感涙に浸りたいと思います。
10日はとても良いお天気だったようですね。
関東地方はずっと雨が降っていたんですよ。
3人のお子さんに見送られるなんて
本当にすばらしいですよね。
自慢できるお父さんかぁ。カッコイイなぁ。
ともあれ、神様に代わる右の代打をどうするかは大問題です。また新たなヒーローが現れることを期待したいですね。
9回表には飛んできた打球に慌てるシーンがありましたが、それもご愛嬌です(その時はスピーチをどうするか考えていたようです)。
おっしゃる通り、八木さんはいつか戻って来ると思います。その時には歓迎したいですね。
私もレフトで讀賣応援団の様子を見ていましたが、非常に印象的なシーンでした。記事にも書きましたが、彼らには心から感謝したいですね。
で、帰宅後私も「虎バン」を見て、思わず涙が出てきました。
特に「代打の神様」になってからは、八木さんの一振りで消えかかった希望が蘇る試合が多かったので、引退されるのはどうしても寂しいです。
ですが、本当に素晴らしい舞台が用意され、しかも自ら花道を飾った八木さん。
そんな選手を見ることができた私たちファンは、本当に幸せですよね。
10日は雲1つない天気で、日中は暑いくらいでした。
8日でしたら空模様を心配しながらの試合でしょうし、途中から雨になれば最悪何もできなくなった恐れもありましたから、今から思えば中止になってかえってよかったと思います。
最後はいい天気の下で…という、野球の神様の計らいかも知れませんね。