■ 日本ハム“アカン”は「だめだべさ」(ニッカン・2008年12月3日)
どーでもいい小ネタと言えば小ネタですが、関西に居住する以上無視するのもどうかと思ったので。
確かに、「日本ハム」「あかん」「北海道」と揃うと暗黒臭が発生するのは認めましょう。
だからと言って、禁止すれば済むって話でもないと思うんですよ。
まして、安易に北海道っぽい言葉で置き換えられるわけがない。どこかで必ず無理が出るんです。
先ほど調べてみたのですが、
・ wikipedia「北海道方言」
>「~(だ)べさ」(主に女性)、 「~(だ)べや」(主に男性)
・ 北海道方言辞書
>べさ (連語) でしょうが。ではないでしょうか。「これでいいべさ」「ここに置いたらうるさいべさ」→だべさ〈全〉
>だべさ (連語) =だべ〔女性は「だべ」より「だべさ」を好む傾向がある〕→べさ 〈全〉
北海道以前に違うイメージが生まれる気がするんですが。
言葉って簡単なものじゃないんです。小手先で身に付くような代物じゃないんですよ。
特に、方言は同じ日本語だからと安易に捉える人もいるんでしょうが、語彙をちょっと変えて、語尾をマネしただけで済むぐらいに思っているとしたら、それは非常に甘ったれた考えです。
指示対象の微妙な違い、状況や話し手に応じた語彙の使い分けなどなど、方言を使えるようにするためには、その方言の話し手ですら気づかないような課題がいくつもある。
最低でもイントネーションを合わせる努力はしないと、気持ち悪い猿真似として、かえって地方をバカにしているような印象すら与えかねないのです。
余談ですが、関東人が「関西弁」を話そうとして、かえって関西人の怒りを買うことがままあります。
単純な一般化はしづらいのですが、私が知る限りでは、イントネーションが標準語のままで気持ち悪いという場合が少なくないように思います。
極端な話、言葉遣いが完全に標準語でも、イントネーションが「関西風」なら、その方がむしろ歓迎されるような気すらします。それだけ、イントネーションは大事なのです。
話を戻して、方言の習得というのはそれだけ易しくないことではあるのですが、話はそれで終わりません。
むしろ、もっと大事な問題があります。「『北海道弁』は存在するのか?」
変に思う方もいらっしゃるかも知れませんが、よく考えていただきたい。
例えば関西の場合、大阪の人は大阪の言葉を使い、京都の人は京ことばを使う。神戸にも神戸の言葉があります。
ただ、大阪を「大阪府」と捉えれば、先ほどの大阪の言葉だけではなく、河内弁、和泉弁もある。
ほかにも、奈良、和歌山、そしてそれぞれの中の違いと、いくつもの言葉の種類があるのです。
あるいは、他地方からの転入者であれば、もともとの言葉と関西で身につけた言葉が混ざることになる。そういう人が多い地域であれば、大枠では関西風の言葉でも、中身はかなりハイブリッドになる。
私自身、鳥取からの移民三世で、香川の血が半分入っています。なので、身につけた言葉は、「関西」のカテゴリーには入るでしょうが、かなりいろいろ入り混じったものだと認識しています。
(思うところがあり、ここ2,3か月前からは、極力標準語を使えるように努めてますが)
などと考えていくと、大阪弁が存在する、京ことばが存在するというのと同じ意味で、「関西弁」が存在するとは言えないのです。
もし、存在すると言えたとしても、それは語尾やイントネーションなどに一定の共通性を持った方言の総称として存在する、というぐらいでしょう。
あるいは、他の地方から与えるレッテルとして使うことがあるでしょうし、その方が多いかも知れませんが(「東北弁」なんて言い方など、その典型でしょう)。
そう考えていくと、あれだけ広く、生活圏も多い北海道で、統一した体系を持った方言が成立しているというのも、ちょっと考えにくいのです。
先ほど私は「~べさ」というのをネットで調べましたが、あれだって、道内で微妙に違うところがあっても不思議ではない。
他の言葉にしても、浜言葉ではああだとか、道東ではああだとか、道東でも釧路ではこうだけど網走ではああだとか、いろいろ違いが出るでしょうし、むしろそれが自然なのです。
その違いの可能性も考えずに、イメージだけの「北海道弁」を安易にマネさせたとしても、せいぜい、よそから見た北海道のイメージを再生産して、それで終わりでしょう。
そればかりか、本来北海道の言葉が持つ豊かさを無視することにもなりかねませんし、そこで違和感を持つ道民が表れたとして、その人を切り捨てることにもつながる。
つまり、上っ面で言葉をマネしても、地元に根付くことにつながるとは限らないのです。
もっとも、この記事では、「当面は公式行事、記者会見などの場での標準語、または北海道弁推進からスタート」とあります。
「または」ですから、北海道弁推進が主な目的ではないのかも知れない。あるいは、「関西弁」さえ抹殺できれば、それでいいのかも知れません。
ただ、私が言うのもなんですが、それはそれで簡単なことじゃないですし、不自然さは長い間、本当に長い間つきまとうことでしょう。
私自身、話していてうっかりイントネーションを間違えることがありますし、「が」を鼻濁音で発音することまで、どうしても意識が回らないのが正直なところですし。
まして、「北海道弁」推進……無理なんじゃないかと思うんですけどね。
どーでもいい小ネタと言えば小ネタですが、関西に居住する以上無視するのもどうかと思ったので。
確かに、「日本ハム」「あかん」「北海道」と揃うと暗黒臭が発生するのは認めましょう。
だからと言って、禁止すれば済むって話でもないと思うんですよ。
まして、安易に北海道っぽい言葉で置き換えられるわけがない。どこかで必ず無理が出るんです。
先ほど調べてみたのですが、
・ wikipedia「北海道方言」
>「~(だ)べさ」(主に女性)、 「~(だ)べや」(主に男性)
・ 北海道方言辞書
>べさ (連語) でしょうが。ではないでしょうか。「これでいいべさ」「ここに置いたらうるさいべさ」→だべさ〈全〉
>だべさ (連語) =だべ〔女性は「だべ」より「だべさ」を好む傾向がある〕→べさ 〈全〉
北海道以前に違うイメージが生まれる気がするんですが。
言葉って簡単なものじゃないんです。小手先で身に付くような代物じゃないんですよ。
特に、方言は同じ日本語だからと安易に捉える人もいるんでしょうが、語彙をちょっと変えて、語尾をマネしただけで済むぐらいに思っているとしたら、それは非常に甘ったれた考えです。
指示対象の微妙な違い、状況や話し手に応じた語彙の使い分けなどなど、方言を使えるようにするためには、その方言の話し手ですら気づかないような課題がいくつもある。
最低でもイントネーションを合わせる努力はしないと、気持ち悪い猿真似として、かえって地方をバカにしているような印象すら与えかねないのです。
余談ですが、関東人が「関西弁」を話そうとして、かえって関西人の怒りを買うことがままあります。
単純な一般化はしづらいのですが、私が知る限りでは、イントネーションが標準語のままで気持ち悪いという場合が少なくないように思います。
極端な話、言葉遣いが完全に標準語でも、イントネーションが「関西風」なら、その方がむしろ歓迎されるような気すらします。それだけ、イントネーションは大事なのです。
話を戻して、方言の習得というのはそれだけ易しくないことではあるのですが、話はそれで終わりません。
むしろ、もっと大事な問題があります。「『北海道弁』は存在するのか?」
変に思う方もいらっしゃるかも知れませんが、よく考えていただきたい。
例えば関西の場合、大阪の人は大阪の言葉を使い、京都の人は京ことばを使う。神戸にも神戸の言葉があります。
ただ、大阪を「大阪府」と捉えれば、先ほどの大阪の言葉だけではなく、河内弁、和泉弁もある。
ほかにも、奈良、和歌山、そしてそれぞれの中の違いと、いくつもの言葉の種類があるのです。
あるいは、他地方からの転入者であれば、もともとの言葉と関西で身につけた言葉が混ざることになる。そういう人が多い地域であれば、大枠では関西風の言葉でも、中身はかなりハイブリッドになる。
私自身、鳥取からの移民三世で、香川の血が半分入っています。なので、身につけた言葉は、「関西」のカテゴリーには入るでしょうが、かなりいろいろ入り混じったものだと認識しています。
(思うところがあり、ここ2,3か月前からは、極力標準語を使えるように努めてますが)
などと考えていくと、大阪弁が存在する、京ことばが存在するというのと同じ意味で、「関西弁」が存在するとは言えないのです。
もし、存在すると言えたとしても、それは語尾やイントネーションなどに一定の共通性を持った方言の総称として存在する、というぐらいでしょう。
あるいは、他の地方から与えるレッテルとして使うことがあるでしょうし、その方が多いかも知れませんが(「東北弁」なんて言い方など、その典型でしょう)。
そう考えていくと、あれだけ広く、生活圏も多い北海道で、統一した体系を持った方言が成立しているというのも、ちょっと考えにくいのです。
先ほど私は「~べさ」というのをネットで調べましたが、あれだって、道内で微妙に違うところがあっても不思議ではない。
他の言葉にしても、浜言葉ではああだとか、道東ではああだとか、道東でも釧路ではこうだけど網走ではああだとか、いろいろ違いが出るでしょうし、むしろそれが自然なのです。
その違いの可能性も考えずに、イメージだけの「北海道弁」を安易にマネさせたとしても、せいぜい、よそから見た北海道のイメージを再生産して、それで終わりでしょう。
そればかりか、本来北海道の言葉が持つ豊かさを無視することにもなりかねませんし、そこで違和感を持つ道民が表れたとして、その人を切り捨てることにもつながる。
つまり、上っ面で言葉をマネしても、地元に根付くことにつながるとは限らないのです。
もっとも、この記事では、「当面は公式行事、記者会見などの場での標準語、または北海道弁推進からスタート」とあります。
「または」ですから、北海道弁推進が主な目的ではないのかも知れない。あるいは、「関西弁」さえ抹殺できれば、それでいいのかも知れません。
ただ、私が言うのもなんですが、それはそれで簡単なことじゃないですし、不自然さは長い間、本当に長い間つきまとうことでしょう。
私自身、話していてうっかりイントネーションを間違えることがありますし、「が」を鼻濁音で発音することまで、どうしても意識が回らないのが正直なところですし。
まして、「北海道弁」推進……無理なんじゃないかと思うんですけどね。
と書かれているので「基本は標準語、北海道弁も同程度に推進」くらいでしょう。
わざわざ北海道弁を話せというんじゃなくて、北海道以外の人はなるべく方言を控えてね、と読むのが正しいと思いますが。
>『北海道弁』は存在するのか?
そのことを語るなら、現在の北海道在住者の多くは明治以降に本州から移住してきたので、北海道は「移民の国」といってもいい土地だという点は外せないと思いますよ。
本当に球団側が励行しようとしているのでしょうか。
私は選手達の方言や独特のイントネーションで
不快に思ったことないですが。
私が道民じゃないからでしょうか。
言葉遣いが乱暴だったり、間違った使い方をしていたら問題ですが、方言だっていいと思うのですけどねぇ。個性だもの。
その「北海道弁」に対してうんぬんというわけではなく、画一的に使おうとするところに、無茶な気を感じずにはいられません。
方言も標準語も交えて喋ればそれでいいのではないでしょうか。
あと、たま~に、甲子園の場内アナウンスでどうも文法的にどうかな?て時があります(@_@)
『ゴミを投げる』んです、
『手袋をはく』んです。
ちなみに道外に行くまで、この表現が
北海道特有とは気がつかないのが真の道民ですw
言葉なんて多種多様で良いんですよ、意味が通じれば
標準語にしたいという考えは元在京球団の東京至上主義の
くだらないプライドから出てるんじゃないんですかね。
北海道弁は
ここで紹介されてるのが楽しいですね。
http://www.furano.ne.jp/saladhouse/html/dictio.html
最近、小樽の商店街で「小樽弁」の書いた垂れ幕を見ました。
こんなに近い小樽-札幌間でも言葉が違うんですね。
「だべさ」も「だべや」も、そうそう使いませんが、
「そこのゴミ、投げてきてー」
「雪なげ行ってくるわー」
「手袋はいたかーい?」
は、言います。
もし、ダルが函館方面の所謂「浜言葉」を覚えて話し出したら、それはいいんですかね?
北海道弁とか標準語というよりか、敬語を使えといいたかったんでしょう。
20歳そこそこの同世代の子と、似たり寄ったりな敬語使いなので、こちらは気になりませんけど、
会社としてはそうも言ってられないのでしょうか。
地元民として勝手に考える「北海道の良さ」とは、「移住者を『よそ者』扱いしないところ」だと思っていたのですけれども。
何だか最近、道内ファイターズファン(の一部)にひどく排他的な傾向が見られるようになってきたと感じられるので……。
梨田監督や吉井コーチの関西弁がイヤだなどと言い出す人が出てきてもちっともおかしくないと、同じファンの立場ながら先入観をもって邪推しています(苦笑)。
何で関西訛りが駄目なんだろう。それじゃあ賢介がブログで博多弁を使うのも駄目? 稲田君の「なまら最高じゃけんのう」も駄目? 工藤在籍時に、彼の青森弁も耳障りでしたか?
……と、誰だか判らない「不評」の主に対して、聞いてみたい気持ちでいっぱいです。
以前に岡島が、ジャイアンツ時代に関西弁を禁止されたことがあると言っていたのを読んだ憶えがあります。ファイターズにそんな風にはなってほしくないなあ。
しかし関西弁を"NGワード化"されると関西人の気持ちとしては嬉しいものではないですね。なんでネガティブに扱われないといけないのか。「ネガティブから端を発しての標準語推進方針」に関しては賛成いたしかねます。
この記事を見た時、思わず「何で?」と呟いてしまいました。
私は道北の人間です。でも、明らかに私の使う訛りは函館とかの浜言葉とは違うし、そもそも曾祖父は広島から移住してきた人で、曾孫の私にまで少し広島弁が残っているらしいです(祖母曰く)。そもそも「北海道弁」とは、色々な所から移住してきた人たちの方言が複雑に混ざりあって出来ているものでは?全道統一された「北海道弁」がどれなのか、いまいちはっきりと自信をもって言えません。
「正しい言葉遣いをしましょう」ぐらいでよかったのではないかなと思います。自分の生まれた土地の言葉は大事にしてほしい。稲田くんが「なまら最高じゃけんのう」と言ってくれるくらいで十分です。
――ガンちゃんが現役だったらどうなっていたのか。
(ニッカン記事に「自浄努力」とありますが、「自助努力」じゃないかとおもいました)
要は北海道弁推進より、「関西弁」を控えろってのが主眼なのでしょう。
ただ、それはそれで問題がないとも思わないんですが。
>北海道は「移民の国」といってもいい土地だという点
そうなんですよね。私もウェブで「北海道弁」の語彙を見ましたが、
他の地方でも使ってるだろ、ってのが目につきましたし。
ただ移民といっても、明治から百数十年経った今では、
むしろそれぞれの土地に定着した人々と考える方がいいような。
かつ、北海道は広いですし、生活圏も異なるわけで、
今では道内の差異が重要になってるように思うんですよね。