今更な話だが、私は阪神沿線で育った。
昔祖父と祖母が関西に出てきて、甲子園に住み、その甲子園で父が育った。その後父が母と出逢い、私が生まれ、私も甲子園で育つことになった。
祖父も、祖母も、父も、歩いて行ける球場にあるチームに強い関心を持つのは極めて自然な話。私はそんな彼らに、阪神タイガースのファンとして育てられ、彼らが求める通りに育った。これも今更な話。
甲子園球場は聖地でも何でもない、近くどころか家の窓から見える球場だった。
タイガースもまた、関西や大阪の名物でもなければ、反東京・反権力・反骨の象徴なんて大それたものでもなかった。私には、あくまでも「近所の野球チーム」だった。
そんなある日、もう小学生、たぶん低学年だった頃としか思い出せないが、学校の帰りにとあるポスターを見た。阪神・阪急・近鉄・南海の4監督のイラストが描かれたポスターだった。
それが何を宣伝しようとしていたのか、今となっては記憶をよみがえらせる術はない。ただ、それまでまともに認識したことがなかった「関西の他球団」が、この時初めて私の中で存在感をもったことは確かだろう。
阪神電車にタイガースがあるように、阪急電車にはブレーブスがあり、近鉄電車にはバファローズがあり、南海電車にはホークスがある。
なら、阪神電車の近くに住む自分たちが阪神ファンであるように、阪急電車の近くの人は阪急ファン、近鉄電車の近くの人は近鉄ファン、南海電車の近くの人は南海ファンなのだろう。
年端のいかない子どもの考えることである。文字通りナイーブな考えである。そしてあろうことか、私は成人してもなお、このおそろしく単純きわまる考え方から抜け出すことはなかった。
それどころか、「そうじゃないとおかしい」とすら思っていたふしはある。
しかし、このときすでに、阪神沿線の文化に浸かりきり、それ以外を身につけなかった私の感覚では「おかしい」ことに、関西はなっていた。
在阪メディアによって煽られる阪神人気。一方で南海は野村退団以後の低迷が完全に定着し、阪急は勝っても勝っても客が入らない。それでも新旧の名門たる2球団に対し、近鉄はさらに目立たない。
そして1988年、南海電鉄はダイエーに球団を譲渡。続いて、遠くの球場で死闘が行われている時に、阪急電鉄も球団を見切ったことが報じられる。
それでも、関西にはまだ近鉄が残っていた。翌年リーグ優勝を決めた時に思ったのは「ええなぁ、勝てる球団は」。
考えてみれば、私はブレーブスに対しても、バファローズに対しても、ブルーウェーブに対しても、「ええなぁ、勝てる球団は」と思っていた(ホークスには申し訳ないが……)。
野球とは勝ち負けを競うスポーツであり、勝ち負けよりも「人気」がときに重要になることがどうしても理解できなかった私には、勝てるチームがただただ眩しかった。翻って阪神を見ては、情けない思いがした。
ええなぁ、阪急電車の人は。
ええなぁ、近鉄電車の人は。
阪神沿線の阪神ファンとしての思考しかなかった私には、つまりは関西の、大阪の阪神ファンですらなかった私には、ただ、他の沿線に住んで、強いチームを抱える人たちが、ただ羨ましかったのだ。
むろん阪急は先ほど述べた通り球団を切り捨て、新たな親会社に支配されることになり、やがては西宮を捨てて行った。
しかし、その先で生まれたのが、イチローというあまりにも強烈なヒーロー、そして「頑張ろうKOBE」であった。
「めざせ4割、イチロー打率、阪神勝率」
当時を端的に表した言葉である。ここでもまた、「ええなぁ、神戸の人は」。それしか思えなかった。
それから何年も何年も続いた暗い夜がようやく明け、阪神にもついに朝日が差してきた。智将野村克也すら立て直せなかった阪神が、闘将星野の下でついに蘇った。私は、それで生き直すことができた。
しかし、阪神に差した日は、関西に残る2球団に、これまで以上の影を落とした。そして、2つの球団は、その影から抜け出せないまま、死に追いやられた。
私が、ええなぁええなぁと思っていた、眩しかったはずの球団は、すべて姿を消してしまった。私にとって情けない存在であり、他に選択肢がないから、というレベルの球団の、まさにその存在によって。
かつて関西では4つの私鉄がそれぞれの球団を持っていた。私はそのうちの1つの沿線に住んでいて、だからこそその鉄道の球団のファンとして育て上げられた。
「阪神沿線だから阪神ファン」という図式は、「阪急沿線だから阪急ファン」、「南海沿線だから南海ファン」、「近鉄沿線だから近鉄ファン」という並行する図式があって、はじめて意味を持つ。
もちろん、どんなところにも少数派はいる。甲子園球場をその校区に含む学校にも、クラスに1人ぐらいは巨人ファンがいた。
が、それはそれ、これはこれ。少なくとも、沿線にはその鉄道の球団のファンが多い、というぐらいは当たり前だと思っていた。
しかし、事実はそうではなかった。「大阪だから」「関西だから」「巨人が嫌いだから」阪神ファンということの方が、世間では当たり前に語られていた。
その中で、「阪神沿線だから」「甲子園だから」阪神ファンになった私は、少数派どころではない、「派」すらない、圧倒的多数の中に呑み込まれる存在でしかなかった。
それを悲しいこととして実感したのは、本当に、つい数年前でしかないのだ。
何が悲しいのか、と言われるかも知れない。阪神ファンに生まれも育ちも理由も関係ないだろう、と言われれば、それはそれで正しい。
だが、阪神ファンが阪神ファンである理由が「阪神沿線だから」で止まらなかった事実は、「阪急沿線だから阪急ファン」「南海沿線だから南海ファン」「近鉄沿線だから近鉄ファン」が成り立たなかったことを意味する。
そしてそれゆえに、関西のプロ野球文化を間違いなく支えた3球団が消えて行ったのだ。
「大阪だから」「関西だから」という理由は、私を少数派に埋没させただけではない。関西のあるべき文化を殺したのだ。
それに、阪急があれば、近鉄があれば、せめてブルーウェーブがあれば、私の「ええなぁ」は理解されたかも知れない。ただ、球団を失ったファンに、この嘆きは響くだろうか。むしろ逆に憎悪を煽っても不思議ではない。
もはや、かつての私の心情が理解される日は来ない。永遠に来ないのだ。
今、私がプロ野球ファンとしての出自を語る時に、現時点で阪神ファンではない(少なくとも、その確率は極めて小さい)にも関わらず、「阪神ファンの保守本流」「3代続いた阪神ファン」と称することがある。
これは多分に相手の興味を惹くためでもあるが、同時に、自分とは出自が異なる阪神ファンとの差異化を図るというもくろみもある。
とみに、他球団や他球団ファンを見下す阪神ファン、粗暴な阪神ファンを見た時に、この差異化が自分にとって大きな意味を持つ。
君たちは偉そうにしているが、私のように鉄道と血によって規定された「阪神ファン」からすれば、君たちは言ってみればぽっと出に過ぎない。
私には阪神ファンとしての正統性がある。由緒がある。それは君たちがどれだけ騒ごうが手に入れることのできないものだ。
そう、私は阪神ファンとして「絶対的に正しい」。そして、君たちはどうあがいても正しくはなり得ないのだ。
それはお前の中での正しさだろう。そう言う人もいるかも知れない。それはそれで間違っていない。
そもそも日ハムファンとして「にわか」が、阪神となると選民意識を振り回すのか、と思う人もいるだろう。それもそれで正しい。
しかし、それでも私は「阪神沿線だから阪神ファン」にこだわるよりほかないのだ。その図式にしがみつき、図式に合わない者を、ときに見下すしかないのだ。
それは、本来あるべき「阪急沿線だから阪急ファン」「南海沿線だから南海ファン」「近鉄沿線だから近鉄ファン」という図式を守れなかった者、そして血として受け継ぐものを継げなかった者としての、最後の矜持である。
昔祖父と祖母が関西に出てきて、甲子園に住み、その甲子園で父が育った。その後父が母と出逢い、私が生まれ、私も甲子園で育つことになった。
祖父も、祖母も、父も、歩いて行ける球場にあるチームに強い関心を持つのは極めて自然な話。私はそんな彼らに、阪神タイガースのファンとして育てられ、彼らが求める通りに育った。これも今更な話。
甲子園球場は聖地でも何でもない、近くどころか家の窓から見える球場だった。
タイガースもまた、関西や大阪の名物でもなければ、反東京・反権力・反骨の象徴なんて大それたものでもなかった。私には、あくまでも「近所の野球チーム」だった。
そんなある日、もう小学生、たぶん低学年だった頃としか思い出せないが、学校の帰りにとあるポスターを見た。阪神・阪急・近鉄・南海の4監督のイラストが描かれたポスターだった。
それが何を宣伝しようとしていたのか、今となっては記憶をよみがえらせる術はない。ただ、それまでまともに認識したことがなかった「関西の他球団」が、この時初めて私の中で存在感をもったことは確かだろう。
阪神電車にタイガースがあるように、阪急電車にはブレーブスがあり、近鉄電車にはバファローズがあり、南海電車にはホークスがある。
なら、阪神電車の近くに住む自分たちが阪神ファンであるように、阪急電車の近くの人は阪急ファン、近鉄電車の近くの人は近鉄ファン、南海電車の近くの人は南海ファンなのだろう。
年端のいかない子どもの考えることである。文字通りナイーブな考えである。そしてあろうことか、私は成人してもなお、このおそろしく単純きわまる考え方から抜け出すことはなかった。
それどころか、「そうじゃないとおかしい」とすら思っていたふしはある。
しかし、このときすでに、阪神沿線の文化に浸かりきり、それ以外を身につけなかった私の感覚では「おかしい」ことに、関西はなっていた。
在阪メディアによって煽られる阪神人気。一方で南海は野村退団以後の低迷が完全に定着し、阪急は勝っても勝っても客が入らない。それでも新旧の名門たる2球団に対し、近鉄はさらに目立たない。
そして1988年、南海電鉄はダイエーに球団を譲渡。続いて、遠くの球場で死闘が行われている時に、阪急電鉄も球団を見切ったことが報じられる。
それでも、関西にはまだ近鉄が残っていた。翌年リーグ優勝を決めた時に思ったのは「ええなぁ、勝てる球団は」。
考えてみれば、私はブレーブスに対しても、バファローズに対しても、ブルーウェーブに対しても、「ええなぁ、勝てる球団は」と思っていた(ホークスには申し訳ないが……)。
野球とは勝ち負けを競うスポーツであり、勝ち負けよりも「人気」がときに重要になることがどうしても理解できなかった私には、勝てるチームがただただ眩しかった。翻って阪神を見ては、情けない思いがした。
ええなぁ、阪急電車の人は。
ええなぁ、近鉄電車の人は。
阪神沿線の阪神ファンとしての思考しかなかった私には、つまりは関西の、大阪の阪神ファンですらなかった私には、ただ、他の沿線に住んで、強いチームを抱える人たちが、ただ羨ましかったのだ。
むろん阪急は先ほど述べた通り球団を切り捨て、新たな親会社に支配されることになり、やがては西宮を捨てて行った。
しかし、その先で生まれたのが、イチローというあまりにも強烈なヒーロー、そして「頑張ろうKOBE」であった。
「めざせ4割、イチロー打率、阪神勝率」
当時を端的に表した言葉である。ここでもまた、「ええなぁ、神戸の人は」。それしか思えなかった。
それから何年も何年も続いた暗い夜がようやく明け、阪神にもついに朝日が差してきた。智将野村克也すら立て直せなかった阪神が、闘将星野の下でついに蘇った。私は、それで生き直すことができた。
しかし、阪神に差した日は、関西に残る2球団に、これまで以上の影を落とした。そして、2つの球団は、その影から抜け出せないまま、死に追いやられた。
私が、ええなぁええなぁと思っていた、眩しかったはずの球団は、すべて姿を消してしまった。私にとって情けない存在であり、他に選択肢がないから、というレベルの球団の、まさにその存在によって。
かつて関西では4つの私鉄がそれぞれの球団を持っていた。私はそのうちの1つの沿線に住んでいて、だからこそその鉄道の球団のファンとして育て上げられた。
「阪神沿線だから阪神ファン」という図式は、「阪急沿線だから阪急ファン」、「南海沿線だから南海ファン」、「近鉄沿線だから近鉄ファン」という並行する図式があって、はじめて意味を持つ。
もちろん、どんなところにも少数派はいる。甲子園球場をその校区に含む学校にも、クラスに1人ぐらいは巨人ファンがいた。
が、それはそれ、これはこれ。少なくとも、沿線にはその鉄道の球団のファンが多い、というぐらいは当たり前だと思っていた。
しかし、事実はそうではなかった。「大阪だから」「関西だから」「巨人が嫌いだから」阪神ファンということの方が、世間では当たり前に語られていた。
その中で、「阪神沿線だから」「甲子園だから」阪神ファンになった私は、少数派どころではない、「派」すらない、圧倒的多数の中に呑み込まれる存在でしかなかった。
それを悲しいこととして実感したのは、本当に、つい数年前でしかないのだ。
何が悲しいのか、と言われるかも知れない。阪神ファンに生まれも育ちも理由も関係ないだろう、と言われれば、それはそれで正しい。
だが、阪神ファンが阪神ファンである理由が「阪神沿線だから」で止まらなかった事実は、「阪急沿線だから阪急ファン」「南海沿線だから南海ファン」「近鉄沿線だから近鉄ファン」が成り立たなかったことを意味する。
そしてそれゆえに、関西のプロ野球文化を間違いなく支えた3球団が消えて行ったのだ。
「大阪だから」「関西だから」という理由は、私を少数派に埋没させただけではない。関西のあるべき文化を殺したのだ。
それに、阪急があれば、近鉄があれば、せめてブルーウェーブがあれば、私の「ええなぁ」は理解されたかも知れない。ただ、球団を失ったファンに、この嘆きは響くだろうか。むしろ逆に憎悪を煽っても不思議ではない。
もはや、かつての私の心情が理解される日は来ない。永遠に来ないのだ。
今、私がプロ野球ファンとしての出自を語る時に、現時点で阪神ファンではない(少なくとも、その確率は極めて小さい)にも関わらず、「阪神ファンの保守本流」「3代続いた阪神ファン」と称することがある。
これは多分に相手の興味を惹くためでもあるが、同時に、自分とは出自が異なる阪神ファンとの差異化を図るというもくろみもある。
とみに、他球団や他球団ファンを見下す阪神ファン、粗暴な阪神ファンを見た時に、この差異化が自分にとって大きな意味を持つ。
君たちは偉そうにしているが、私のように鉄道と血によって規定された「阪神ファン」からすれば、君たちは言ってみればぽっと出に過ぎない。
私には阪神ファンとしての正統性がある。由緒がある。それは君たちがどれだけ騒ごうが手に入れることのできないものだ。
そう、私は阪神ファンとして「絶対的に正しい」。そして、君たちはどうあがいても正しくはなり得ないのだ。
それはお前の中での正しさだろう。そう言う人もいるかも知れない。それはそれで間違っていない。
そもそも日ハムファンとして「にわか」が、阪神となると選民意識を振り回すのか、と思う人もいるだろう。それもそれで正しい。
しかし、それでも私は「阪神沿線だから阪神ファン」にこだわるよりほかないのだ。その図式にしがみつき、図式に合わない者を、ときに見下すしかないのだ。
それは、本来あるべき「阪急沿線だから阪急ファン」「南海沿線だから南海ファン」「近鉄沿線だから近鉄ファン」という図式を守れなかった者、そして血として受け継ぐものを継げなかった者としての、最後の矜持である。