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■ 来季契約について(公式・2009年10月2日)
毎年この時期は、優勝争いだ、Aクラスだと勢いのいい話題があちこちで聞こえる一方で、自らの意思に反してチームを去る選手が出てくる、辛い時期でもあります。
今年も第1次戦力外通告の時期となり、ファイターズは3人の選手、2人のコーチングスタッフと来季の契約を結ばない旨の通告をしました。
まず、金子洋平。
彼が入団した時の期待感は、今も鮮やかに残っています。
長打という魅力はもちろんのこと、プレー以外でも華のある選手として、どこまで伸びてくれるのだろうか、本当に楽しみでした。
ただ、素質はありながら一軍の壁をなかなか破れないうちに、次第に存在感が薄れてしまった感はあります。同じチームに中田が入り、霞んでしまった面もあるのでしょうか……
洋平に関しては、選手としての能力云々という以前に、巡りあわせで損をした気がしてなりません。
あるいは、貧打と言いながら長距離バッターをさほど重視しないこのチームとは、相性が良くなかったという気すらしてきます。
八千穂は去年の特に前半での活躍ぶり、そしてオフの契約更改で大台に乗ったと喜んでいたのが忘れられません。
地元選手とはいえ社会人出身の下位指名で、毎年厳しい立場に立たされていたわけで、ある意味では、今年戦力外になるのは、仕方ない面もあるのでしょう。
とはいえ、特に地元で応援してきたファンは、私以上に寂しさを感じているのではないかと思います。
今後現役続行を目指すのか、あるいは別の道を探すのかは分かりませんが、もし後者なら、ファイターズと北海道を結ぶ役割を果たしてくれれば、と虫のいい願いを考えたりもします。
津田は、選手として以前に、入団1年での背番号変更など、とかくいろいろな話がついて回ったのが残念です。
ここではそれらについては書きません。というより書けないんです。みんな練習態度がどーたらこーたらという話はするのに、具体的にどうだったのか、全然分からないから。
ただ、もし彼自身に問題があったのだとしたら、この際ドラゴンズに再教育をお願いすればいいでしょう。
同様に練習態度が悪いと言われ、あげく中田合コン事件の首謀者と言われた小山が、ドラゴンズに行ったとたん白い小山さんになったという実績があります。
それだけに、彼もうまくいけば、白い津田君となって渋い仕事ができるようになるのではと思います。
水上二軍監督と荒井二軍打撃コーチに関しては、正直なところ私も解任理由がよく分かりません。
確かに、去年の二軍はかなり厳しい状況ではありましたが、それは一軍で故障者が相次いだのが理由ですし、今年はかなり持ち直してきたように見えただけに……
と書き続けてふと思ったのは、あるいは、打者の育成が遅れてるせいなのかな、という考えが浮かんでは来ました。
鵜久森・市川もすでに5年目。佐藤も一軍に呼ばれるようにはなったものの、それ以上にはなってません。陽は外野転向がかえって仇となる危険もあります。
加えて、来期は幸雄さんが満を持してコーチに就任するとのこと。となれば、今がスタッフを入れ替えるタイミングだったのかも知れません。それにしても寂しい話ではありますが……
そしてもう1人。北海道(!)日本ハムファイターズの歴史を語る上で忘れてはいけない名選手が、グランドを去ろうとしています。
■ ハマの小魔神 横山が引退「幸せな部分も…」(スポニチ・2009年10月1日)
■ 戦力外通告のお知らせ(横浜公式・2009年10月1日)
2004年に横浜から移籍すると、クローザーとして大活躍し、タイトルも獲った「北の大魔神」横山道哉。
その後は劇場連発の末ひじを痛め、日本一になった2006年は働きを見せることができず、古巣に帰っていきました。
それだけに、(にわかの私がこんなことを書くのもヘンな話ですが)2006年以降にファンになった方々からすれば、どうしても印象に薄い選手かも知れません。
ですが、移転1年目というファイターズにとって何より大事な年に、プレーオフ進出を果たした原動力の1人は、間違いなくこの横山でした。
当時は西武・ダイエーが2強として君臨していた時代。ファイターズにとっては、プレーオフに進出し、ライオンズに最後まで食い下がっただけでも、画期的なことだったのです。
そして何より、私はそんなファイターズを見たからこそ、こうしてにわか日ハムファンとして、このチームを見続け、ブログを書き続けているのです。
その意味では、横山は今の私にとって恩人の一人だといっても過言ではありません。
ファイターズにとって原野に等しかった北海道。そこに種を蒔き、小さな小さな芽を育てていくのに必死だったあの頃。今や、誰が見てもその芽は根をしっかり下ろし、大きく育ちました。
だからこそ、北海道日本ハムファイターズのファンとして、横山道哉という選手を、わたしたちの歴史を作ってくれた一員として、覚えておきたいのです。
ありがとう、横山。あなたにもらった夢は、今もずっと続いています。
毎年この時期は、優勝争いだ、Aクラスだと勢いのいい話題があちこちで聞こえる一方で、自らの意思に反してチームを去る選手が出てくる、辛い時期でもあります。
今年も第1次戦力外通告の時期となり、ファイターズは3人の選手、2人のコーチングスタッフと来季の契約を結ばない旨の通告をしました。
まず、金子洋平。
彼が入団した時の期待感は、今も鮮やかに残っています。
長打という魅力はもちろんのこと、プレー以外でも華のある選手として、どこまで伸びてくれるのだろうか、本当に楽しみでした。
ただ、素質はありながら一軍の壁をなかなか破れないうちに、次第に存在感が薄れてしまった感はあります。同じチームに中田が入り、霞んでしまった面もあるのでしょうか……
洋平に関しては、選手としての能力云々という以前に、巡りあわせで損をした気がしてなりません。
あるいは、貧打と言いながら長距離バッターをさほど重視しないこのチームとは、相性が良くなかったという気すらしてきます。
八千穂は去年の特に前半での活躍ぶり、そしてオフの契約更改で大台に乗ったと喜んでいたのが忘れられません。
地元選手とはいえ社会人出身の下位指名で、毎年厳しい立場に立たされていたわけで、ある意味では、今年戦力外になるのは、仕方ない面もあるのでしょう。
とはいえ、特に地元で応援してきたファンは、私以上に寂しさを感じているのではないかと思います。
今後現役続行を目指すのか、あるいは別の道を探すのかは分かりませんが、もし後者なら、ファイターズと北海道を結ぶ役割を果たしてくれれば、と虫のいい願いを考えたりもします。
津田は、選手として以前に、入団1年での背番号変更など、とかくいろいろな話がついて回ったのが残念です。
ここではそれらについては書きません。というより書けないんです。みんな練習態度がどーたらこーたらという話はするのに、具体的にどうだったのか、全然分からないから。
ただ、もし彼自身に問題があったのだとしたら、この際ドラゴンズに再教育をお願いすればいいでしょう。
同様に練習態度が悪いと言われ、あげく中田合コン事件の首謀者と言われた小山が、ドラゴンズに行ったとたん白い小山さんになったという実績があります。
それだけに、彼もうまくいけば、白い津田君となって渋い仕事ができるようになるのではと思います。
水上二軍監督と荒井二軍打撃コーチに関しては、正直なところ私も解任理由がよく分かりません。
確かに、去年の二軍はかなり厳しい状況ではありましたが、それは一軍で故障者が相次いだのが理由ですし、今年はかなり持ち直してきたように見えただけに……
と書き続けてふと思ったのは、あるいは、打者の育成が遅れてるせいなのかな、という考えが浮かんでは来ました。
鵜久森・市川もすでに5年目。佐藤も一軍に呼ばれるようにはなったものの、それ以上にはなってません。陽は外野転向がかえって仇となる危険もあります。
加えて、来期は幸雄さんが満を持してコーチに就任するとのこと。となれば、今がスタッフを入れ替えるタイミングだったのかも知れません。それにしても寂しい話ではありますが……
そしてもう1人。北海道(!)日本ハムファイターズの歴史を語る上で忘れてはいけない名選手が、グランドを去ろうとしています。
■ ハマの小魔神 横山が引退「幸せな部分も…」(スポニチ・2009年10月1日)
■ 戦力外通告のお知らせ(横浜公式・2009年10月1日)
2004年に横浜から移籍すると、クローザーとして大活躍し、タイトルも獲った「北の大魔神」横山道哉。
その後は劇場連発の末ひじを痛め、日本一になった2006年は働きを見せることができず、古巣に帰っていきました。
それだけに、(にわかの私がこんなことを書くのもヘンな話ですが)2006年以降にファンになった方々からすれば、どうしても印象に薄い選手かも知れません。
ですが、移転1年目というファイターズにとって何より大事な年に、プレーオフ進出を果たした原動力の1人は、間違いなくこの横山でした。
当時は西武・ダイエーが2強として君臨していた時代。ファイターズにとっては、プレーオフに進出し、ライオンズに最後まで食い下がっただけでも、画期的なことだったのです。
そして何より、私はそんなファイターズを見たからこそ、こうしてにわか日ハムファンとして、このチームを見続け、ブログを書き続けているのです。
その意味では、横山は今の私にとって恩人の一人だといっても過言ではありません。
ファイターズにとって原野に等しかった北海道。そこに種を蒔き、小さな小さな芽を育てていくのに必死だったあの頃。今や、誰が見てもその芽は根をしっかり下ろし、大きく育ちました。
だからこそ、北海道日本ハムファイターズのファンとして、横山道哉という選手を、わたしたちの歴史を作ってくれた一員として、覚えておきたいのです。
ありがとう、横山。あなたにもらった夢は、今もずっと続いています。
9回表の土壇場で木元が同点ホームランを放った歓喜と、その裏横山が打たれたサヨナラホームランの悔しさは忘れられません。
しかし同時に、あの激闘に勇気をもらったことも確かです。
弱小日本ハムでもここまでやれるんだ!と思いましたし、来年以降への希望も膨らみましたし。
横山はまさに今の北海道日本ハムファイターズの礎を築いた功労者だと思います。
思えばあのころチームを支えた選手達もだいぶ入れ替わってるんですよね・・・。
ちょっと前のことだと思ってたのに、時が立つのは早いものですね(^^;
翌朝の新幹線で日帰り遠征をしたんですよね(笑)
あれからもう5年も経つんですか……
先ほど木元が戦力外になったという報道を見たところです。
時の流れというのは、つくづく残酷なものではあるんですが、
だからこそ、あの時の記憶をずっととどめておきたいと思ってます。