むとぅぶんちゅーぬどぅちゅいむにー

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卒業論文を提出して大学生活も残り2ヶ月

2024-01-29 20:52:00 | 日記
1月22日に卒業論文を提出した。
タイトルは「対抗暴力の(不)可能性ー1995年以降の目取真俊作品を読むー」とした。

いま、思えば私が目取真氏を知ったのは大学1年生の5月である。私の学部では1年次はいわゆる「リベラルアーツ」型の授業を受けるわけであるが、その1回の授業を担当した教員に薦められたのが始まりである。その教員は(今の指導教員であるのだが)哲学が専門でアナキズム研究もしており、その授業に興味を抱いた私は授業後に個人的に話を聞きに行った。そして、「漠然と沖縄のことをやりたいのですが、何かおすすめはありますか?」と知的に失礼な質問をした私に対して「目取真俊という芥川賞作家がいます。読んでみると何かヒントになるのでは」と答えてくれた。そして早速、目取真氏の『水滴』を手に取ってみると、これまで経験したことのないような読後感であった。その後も私は彼の本を次々と貪るように読んでいき、気が付けば今に至る。指導教員もまさかゼミに入ってきて最後まで目取真俊で書くとは思ってもいなかったらしい。

哲学ゼミであるにも関わらず、目取真俊という作家を最後まで扱わせてくれた指導教員には非常に感謝をしている。むしろ、その指導教員の研究者ネットワークで沖縄文学界隈の多くの人たちと繋がることができ、研究会や読書会にも参加させていただいている。

高校生のときは「英語ができる大学・学部に入りたい」との一心で勉強し、結果的に広島大学を不合格となって長崎大学の多文化社会学部に来た私であった。最初は「こんなはずじゃなかった」という気持ちに1ヶ月駆られ、大学生活に対して半ば冷笑的になってしまっていた自分がいた。もし、そのときの自分自身と話せるならばひと言だけこう伝えたい。「心を振るわされる、魂を揺さぶられるような文章が、この世には在る」。結果的に私は来たる4月から一橋大学大学院の言語社会研究科の修士学生となる。人生を大きく動かしてくれた、導いてくれた作家が目取真俊と言っても過言ではない。それほど私の中で夢中になれるものを見つけ出し、ずっと追いかけていたいと思える存在ができたのである。

彼の生き方や言葉には魂を揺さぶるものがある。文学研究という方法を通してこれからも豊かな精神であり続けたい。

12月28日 日本政府による代執行を経て

2023-12-30 11:59:39 | 日記

去る12月28日,辺野古新基地建設のための計画変更をめぐって日本政府が沖縄県の意向を無視して承認を代執行した。

沖縄県はこれまでずっと「NO」を示してきたにも関わらず,司法という場によってその声は封殺された。

インターネットを見ると,「沖縄は法によって裁かれたことに従うべきだ」や「法治国家の日本にいる以上は判決に従え」などといった意見が目に入り,はらわたが煮えくり返る。

いつの時代も法が絶対的に正しいということはない。奴隷貿易が合法だった時代があることを見れば法の絶対性なんて言えないはずである。結局のところ,法はその時代の大多数による「正しさ」によってしか規定されないのである。いわば権力者のための法である。

ドイツの哲学者であるヴァルター・ベンヤミンは『暴力批判論』の中で「法措定的暴力」と「法維持的暴力」を唱え,法を措定し維持するためには権力者側からの暴力が正当化されることを論じている。すなわち,目的の正しさが先立ってそれに応じた手段が来るのではなく,手段の適法性によって目的を正当化するのである。

これは今回のケースを見ても明らかである。日本政府は司法という場で「勝った」ことにより,沖縄県の意向を無視して代執行することさえも「正しい」ことであるとする。

 

今後,沖縄はまた更に厳しい状況に立たされるわけであるが,希望を捨てることは決してしたくない。

多くの人は現実的なことを語り,基地が完全に沖縄から撤退することに半ば諦めを感じている。

しかし,私は理想論を持つことにこだわり続けたい。

自分たちの土地を,森を,海を,空を取られ,それを取り戻そうとする声さえも奪われようとしている。

むしろ,元あったものを取り戻そうとすることがどうして理想論になり得ようか。

私はこの声が出続ける限り米軍基地の無条件即時撤退を掲げる。

もう,これ以上おじーおばーたちの涙を見たくない。

根本にあるのは政治的なことよりも,沖縄を二度と戦場にしないという強い思いである。

未来の自分たちのためにも,子どもたちのためにも,できることはすべて尽くすつもりである。


「共に生きる」という思い

2023-12-23 04:42:00 | 日記
12/11(月)に辺野古で座り込みを行った。
普段は長崎の大学に通っているため、年に1~2回の帰省の数日は貴重である。
帰省のときくらいは家でゆっくりしたり友人と泡盛を飲んだりしたいものだが、現在の沖縄の現状を見るとそういうわけにはいかない。
司法が機能しない沖縄において、非暴力直接行動は大きな力を持つうえに、辺野古の座り込み運動には非常に靱やかさがある。
みんなで歌を歌ったり、食べ物を持ち寄ったりして、共に生きる共同体がそこには、ある。
個々の思想に多少なりとも違いはあるだろう。
しかし、沖縄を二度と戦場にするわけにはいかないという思いは同じである。
その一つの思いが集まった人々によって表れているのが辺野古の座り込みの現場である。

生まれ育ったやんばるを戦争に利用されるわけにはいかない。
小さいときから、おじーおばーたちが戦争体験を話す度に涙してきた姿を何度も見てきた。
将来の子どもたちに同じ涙を流させるわけにもいかない。
いま、自分ができることを、微力たりともやっていきたいと思う。









辺野古での座り込みを終えて

2023-12-23 00:32:00 | 日記

2023/12/11(月)
辺野古での座り込み後に瀬嵩灯台跡から大浦湾を望んでいると、本や動画などで見たことのある方が。
目取真俊氏であった。
大学4年間で1番読んだ作家である。

夢にも思わなかった出来事である。
恐る恐る、「こんにちは、ご著書やブログを拝読しております。」と挨拶をすると、「そうですか。」と返ってきた。
お話するのは難しいかと思っていたら、「文壇の方ですか。」と尋ねられ「いまは学部4年でその道に進みたいと思っています。」と答え、「どこの出身ですか。」と訊かれ「本部です。」と答えた。
すると、数秒の沈黙があって、「同じやんばるから若い人間がこの世界に飛び込んできてくれて嬉しいですよ。」と。

その後は20分間ほど、大浦湾での土砂搬入の様子を見渡しながら2人でお話させていただいた。

大学1年生のときに目取真氏の『眼の奥の森』に出逢って小説で初めて涙し、「希望」に出逢って怒りを覚え、『虹の鳥』に出逢って自分の無力さに悶々とした。彼の文章に出逢っていなければ、私は別の道に進んでいるに違いないし、「沖縄」に対してこれほど考えや思いを巡らせることもなかっただろう。

辺野古の海は戦争のために在るわけではなく、
名護は戦争のために在るわけではなく、
やんばるは戦争のために在るわけではなく、
沖縄は戦争のために在るわけではない。

私の考えることやこれから書いていくことなどはこれっぽっちかもしれないが、目取真氏の言葉を拝借するならば、「たとえ蟷螂の斧にすぎなくても、それをふるっていたいと思う」。