去る12月28日,辺野古新基地建設のための計画変更をめぐって日本政府が沖縄県の意向を無視して承認を代執行した。
沖縄県はこれまでずっと「NO」を示してきたにも関わらず,司法という場によってその声は封殺された。
インターネットを見ると,「沖縄は法によって裁かれたことに従うべきだ」や「法治国家の日本にいる以上は判決に従え」などといった意見が目に入り,はらわたが煮えくり返る。
いつの時代も法が絶対的に正しいということはない。奴隷貿易が合法だった時代があることを見れば法の絶対性なんて言えないはずである。結局のところ,法はその時代の大多数による「正しさ」によってしか規定されないのである。いわば権力者のための法である。
ドイツの哲学者であるヴァルター・ベンヤミンは『暴力批判論』の中で「法措定的暴力」と「法維持的暴力」を唱え,法を措定し維持するためには権力者側からの暴力が正当化されることを論じている。すなわち,目的の正しさが先立ってそれに応じた手段が来るのではなく,手段の適法性によって目的を正当化するのである。
これは今回のケースを見ても明らかである。日本政府は司法という場で「勝った」ことにより,沖縄県の意向を無視して代執行することさえも「正しい」ことであるとする。
今後,沖縄はまた更に厳しい状況に立たされるわけであるが,希望を捨てることは決してしたくない。
多くの人は現実的なことを語り,基地が完全に沖縄から撤退することに半ば諦めを感じている。
しかし,私は理想論を持つことにこだわり続けたい。
自分たちの土地を,森を,海を,空を取られ,それを取り戻そうとする声さえも奪われようとしている。
むしろ,元あったものを取り戻そうとすることがどうして理想論になり得ようか。
私はこの声が出続ける限り米軍基地の無条件即時撤退を掲げる。
もう,これ以上おじーおばーたちの涙を見たくない。
根本にあるのは政治的なことよりも,沖縄を二度と戦場にしないという強い思いである。
未来の自分たちのためにも,子どもたちのためにも,できることはすべて尽くすつもりである。
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