蒼天離宮

Since 1983
Third time pays for all.

久しぶりだけど

2016-05-27 | 2016
久しぶりなのに、超暗いことから。

人は死んだら、どうなるのか?

久しぶりに、自分の新しい(もう何か月も経っているけど)PCのキーボードにイラついてる私。

一つだけ言えることは、死んだ人は帰ってこない。

まあ、それはいいとしよう。「きみまろ」が言っていた、向こうの世界が超~いいから、誰も帰ってこないんだって。

まあ、それもいいとしよう。

私は実家が真言宗だから、真言宗のお経であの世に送り出されるだろう。一応、無宗教だけど、それは私が死んだら、生きてる人がそれなりに考えて、何かしら対処してくれるだろう。

まあ私としては、葬式にはお金をかけて欲しくない。まあそれも、生き残った人にまかせよう。(そんなところにお金をかけるなら、今の私に新しい鞄とリックでも買ってあげたい)

まあ、葬式の話もいいとしよう。

死んだら、宗教ごとに違うところに行くのだろうか。これは私が初めて教会に行ったときに思ったこと。だってそのころはまだ子供で、仏教しか知らなかったから。

極楽と天国の違いもよくわかっていない。今でも。

極楽の反対語は地獄だけど、天国の反対は・・・煉獄?(これはスーパーナチュラルの観すぎ?)あれ、地獄ってあったっけ?あまり教会ではそういう話はしなかったな~。

でも死んだら宗教ごとに違う場所に行かされるのは正直つらい。会いたい人たちが違う宗教の時もあるから。

で、私が今、生きている理由。

それは死んだら死んだ人たちに会えると思っているから。

私がこんな無様な生き方をしているのは、死んだら死んだ人に会えると信じていたから。つい最近まで。

小学校5年生の時に小学校2年生だった弟を交通事故で亡くした。
その時、母が言ったことを覚えてる、いろいろ。

その中に死んだ弟を抱いて帰りたい、と母が警察に申し出たそうだが、内臓がぐちゃぐちゃで抱いて帰るのが困難だったそうだ。

今では、その時の母の気持ちがわかる。

車を運転していると、小学生低学年の子がよく横断歩道を渡る。それを何かと重ねるように見ている私がいる。

弟もあんなに小さかったんだな、と。

私が生きているのは、弟に会うため。一生懸命生きて、この世界であったことを伝えたい。この言葉、大昔に書いた私のエッセイにもあった。

あの時とまだ同じことを思っている。

親より先に死ねないとか、自殺はしないとか、罪を犯さないとかそういうことを心のどこかに刻んで生きている。

それは私より先に死んだ人たちに会いたいだめだ。人生はどうでも、最低でも会いたい人たちには会えるだけの魂でなくてはならないのだ、とは思っている。

超~ネガティブな考えでといえばそうだが、良く言えば哲学的か?

そう、今までの私は死んだ人に会えるためにがんばっていきていた。

弟に会いたい。近頃、年を取ったせいか、無償に弟に会いたい。自分の息子があまりにも大きくなってしまってつまらないからだろうか(今高校3年生だけど)。

そして親戚のおじさんにも会いたい。もう大好きなおじさんで夢に出てきては、うれしくて仕方ない。

最低でも今の時点でこの二人には会いたい。
もうすこしがまんしても、弟だけには会いたい。

「元気だった?」
「私はこんな風に生きてきたよ」
「お前の分まで親孝行たかな~?」
「犬を2匹飼ってたよ」

話し出したらいろんなこと話したい。

「事故の時、怖かったでしょ?」
「おねえちゃんってまた呼んでよ」
「お前にそっくりの息子を産んじゃって、あんたが大きくなったらこんなんだったかな~って想像したりしてね」

息子自慢もしたい。

なのに、人間は死んだらどこにも行かないで、弟にも会えなかったら、同じ墓の下に入れられても、意味がない。

花も墓も生きてる人間のエゴに過ぎないのだったら。花も墓も私には無意味。

弟に会えると思うから、花も上げるし、お線香もあげる。

弟に会ったときに、ちゃんと供養してたからって言えるから。
ちゃんと生きてたら、会えると思ってた。

なのに、今になってふと、弟には会えないかも、とよぎった。

死んで自分の想いがおばけみたいにこの世の中をふらふらするのは、遠慮したいし、死んで無機質になっても別にかまわないと思ってた。

死んだら、焼かれてカルシウムの塊になって骨壺なんていうものに、ぎゅうぎゅうに押されて生き埋め?にされるのも覚悟してるけど、別に自分の骨がどうこうなっても構わないけど、弟と楽しくおしゃべりできないのは、かんべんしてくれ。

神もブッタもキリストもどうでもいいけど、

まじで弟と笑いながらおしゃべりできないのは、かんべんしてくれ。

死んでから弟に会えないとわかったら、そりゃ~私だっておばけにもなるよ、絶対。

そう、こんな気持ちを馬鹿げてるけど、一言でいうと「後悔」っていうんだろうね。

小学校5年生のときから?言葉にできなかった気持ちは私が生きている間、ずっと私を苦しめて悩ませる。弟ともっと一緒に生きたかった。

自分ではどうすることもできなかった運命だけど、それでもけんかばっかりして、悪口ばっかり言って、あんなに小さかったのにって。

弟は実は、交通事故で死ぬ前に、幼稚園の時、交通事故で足を骨折したことがある。

やっぱり、車に引かれてね。命はその時は助かったけど、弟の足はギブスがはめられててね。ふと、私も幼心に、弟は一生歩けないんじゃないかってよぎったよ。

でもね、弟は台所にたってた私の横にギブスのまま立ってね、笑ったんだ。その時、私、泣きそうだったの覚えてる。

死んだ人に会えないのは仕方ないから、自分が死んだら死んだ人には会えるよね。
「そうだよっ、ちゃんと会えるよ」
っていう一言が欲しい。

それが私の生きる糧になる。今の私にはね。

まったく、どんなにお金があったって買えるものじゃないものが欲しい。

まったく、人間は貪欲だね。

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