今日の朝の会で話したこと
通りたい道があります。でもそこに人が立ってます。
その時に、
「そこ邪魔」
と言うのと
「そこ通して」
と言うのとでは、求めるものは同じなのに相手の受け取り方は全然違うと思います。
さらにそこには、+αの要素(口調や表情など)も相まってくるため、その違いはより顕著です。
同じ主張ならば、相手を不快にさせない言い方にした方がwin-winですよね。
むしろわざわざ人間関係をぶち壊しにいって、何か得することがあるならばそれはそれで聞いてみたいものです。
同じ環境に生活している以上、相手とハートフルな関係を築いておいた方が、住みよい環境に調整できるという意味において、自分にとってのメリットもあるはずです。
だから気をつけようね、ということなんですが。。。
これで終わらず、もうちょっとそれに付け加える形で話してみます。
先ほどの「邪魔だ」と「通して」の違いですが、「受け取る印象」の他にどんな違いが挙がるでしょうか。
様々な視点が挙げられるでしょうが、一つには、前者は「事象の説明」、後者は「主張」になっているという点が異なるということが言えると思います。
論理的文章(説明文といった方がイメージしやすい人もいるかな)の学習で言われた記憶もあるかと思いますが、
事実を説明した上に筆者の主張は成立する
ものです。今回の内容に合わせて簡潔に言うと、論理的文章のステップは、ざっくり
1.事象を説明する
2.それらをまとめて主張に昇華する
となります。1の段階を踏まえての2になるわけです。
これで言うと、「邪魔」は1であり、「通して」はそれを踏まえた2の主張であるということです。
ですから「そこ通して」と言えるというのは、心が優しいかどうかだけではなく、すぐに意見を生成し、主張にまとめあげることのできる、賢い人かどうかということに影響されると言えます。
みんなには、同じことを言うなら「邪魔だ」ではなく「通して」と言える優しい人になろうね、というのに加え、それができる頭の回転の速さをもった人になろうね、そのために頑張って勉強しようね、と伝えたいと思います。