対案も出さずに批判するなとか、批判の為の批判ばかりするとか、野党は対案を出せとか、また個人が政府、与党批判に対しても、周りから解決策はあるのか?対案を示せなどと、私の周りの議員や国民、市民の間からも多く聞かれます。私のブログ友も多くが、対案を示せ、解決策も示さずに批判するな、と威圧的な態度です。
みなさま、政府・与党の代弁者だったのか?と私は驚いていますが・・・・
そのたび、私は対案出すのは議員や政党の仕事。代案を示すのは政府や与党の仕事とコメントしてきました。
政府・与党が法案を提出、野党や国民から批判され、代案を提出するのが政府・与党の仕事であり、野党がウチならこうすると案を提出するのが対案です。それが議員、政党の仕事です。
批判があってその上でよりましなように、批判する側、野党の意見を取り入れて修正するか、あるいは国民の意見を取り入れて修正する、または、政府・与党側が代案を示す、場合によっては野党側が対案を出す。それが本来の議会制であるべき姿と思います。
政府与党は圧倒的な情報量で政策を立案しています。その多くの情報は野党にも公平に開示されているのか?野党が得られる情報はかぎられています。それで良い対案などできるわけがありません。また与党であってもほとんどが、政府官僚が作った法案です。だから政府与党が提出してきた政策の根拠を野党が質すのは当然のことです。これからも政府与党の政策が正しい政策となるようどんどん批判すべきであると思います。
例えば、一般庶民にとって人生で大きな買い物と言えば、住宅でしょうか。もし欠陥住宅を買わされたとしたら、当然のこと不動産会社や販売した会社、建設した会社などに苦情を言うでしょう。しかし当の業者はのらりくらりとしていたらどうでしょうか?住民は絶対に許さない、訴訟しても補償をと思うはずです。業者は文句(批判するなら)言うなら、住民に対して貴方が自分自身で家を作ってみろ(対案を出してみろ)と言われたら、どうでしょうか?それは建設業者の仕事ですから納得いかないと思います。
お店に服を買いに行った。どれにしようか?と決めかねていた。店員がこれは如何ですかと提案してきた。客はこれはちょっと自分には合わない(嫌だ)と言うと、店員は、ではこの服は如何ですか?と提案(代案を出します)します。次提示された服もデザインが嫌と言うと、次々と提案したり、似合っていますなどと説得したり、また好みを聞いたりします。もしここで、店員が嫌なら自分でデザインしてみろとか、自分で服を作ってみろといった場合どうでしょうか?納得できないはずです。
それと同じで、政策・法案を立案するのは官僚や政治家の仕事。○○法案に対して、また○○事業に関して国民、市民は賛成か?反対か?それだけで良いはずです。何となく賛成、反対でも良いと思います。
代案云々は政治家や官僚が考える事。その人たちはそれが仕事でしょう国民が理解していないで騒ぐなら、説明不足であり、逆に政府・与党が説明責任を問われるべきこと。地方は国の政策について反対、また批判だけでいいと思います。
それを対案を出せ。出せないなら盾突くな・・・国民、市民、団体、個人に対しても対案を出せ、出せないなら反対するなこれでは、もう民主主義ではないと思います。
国民が嫌だから反対や批判をするこれで充分でしょう、国民が納得いくように更なる代案を示す、あるいは修正案を示す。また説明、理解を求める事も官僚や政治家の仕事であるはずです。
それを市民に対案を示せでは民主主義の崩壊です。
国民は黙って政府の言う事を聞け、従え、では独裁体制です。
反対と声を上げた市民に対案はあるのか?対案を出せないなら批判するな。これが、議員や政党が市民、国民に向かって言う言葉だろうか?
批判より対案をというと言う事について、私はもう一つ気になることがあります。
政党間、国会議員同士ならともかくも。。国が地方に、また政党や議員が、一般国民や市民団体、或いは個人に対して、批判するより対案をと言う事について、非常に気持ち悪さと恐ろしさを感じます。
強盗に無理やりに物を盗られた、被害者が返せと要求する。しばらくして、強盗は、これはもう用済みだから新たなものを差し出せ。差し出したならこれを返そう。それに被害者は拒否、盗ったものを返せ、それだけだという。みなさんは、この被害者に対して新たなものを差し出して交換せよと言いますか?
それとも反対ばかりでは、前進しないし盗られたものも戻ってこない、新たに差し出すのが嫌なら、納得する対案を出すべきと言いますか?
極端な話ですが、(被害者やご家族には申し訳ございませんが)例えば北朝鮮による拉致問題、拉致被害者を全員返してほしければ、代わりの人を寄越せと、理不尽極まりない要求を北朝鮮がして来たとしましょう、どう思いますか?
代わりの人を寄越せ無ければ対案を出せと言ってきたらどうでしょうか?
普通の日本人なら怒り心頭でしょう。代わりの人を出せないからと対案を出しますか?
おきなわの基地も同じ事。普天間基地の辺野古への移設問題、反対するなら対案、代替案を云々は沖縄側が示す事ではないし、その必要もない。移設問題でも政府・与党は長年にわたり沖縄を騙し続けた。
当初、条件付きでやむを得ず辺野古移設に賛成した沖縄、その後、日本政府が一方的に約束を反故にした。また誤魔化しや嘘が次々発覚してきた。
沖縄側が新基地反対というと、国防はどうする? 危険性の除去、負担軽減はどうする?対案を出せないなら反対するな。これが基地建設の為に銃剣とブルドーザーで土地を奪われた人たちに向かっていう言葉か?
日本政府は土地を奪われた人たちは、外国へ移民せよと棄民政策をとり沖縄の土地を奪って於いて、住処を奪われた沖縄の人たちに向かって言う言葉か?
琉球国を侵略し併合、さらに日本防衛の為の捨て石、盾にして、さらに戦後日本独立と引き換えに、沖縄を身売りした。その沖縄の人たちに向かって言う言葉か?
どこまで日本政府は沖縄を愚弄し、侮辱し続けるのだろうか?
沖縄に対案を出せないなら反対するなと、よく言えるものだと思います。辺野古移設反対、普天間基地即時閉鎖と民意を示してきたにも関わらずこれがまかり通っている日本は本当に自由、民主主義国家?と疑います。
これを疑問に思わない国民も、欧米の議会制民主主義のものまねだけで精神性は、お上の言う事は何でもというハイ、ハイと従う封建的卑屈さから抜け出せていないのだと私は思います。
現在の野党に批判する力が無い。。政党間の批判力もない。それは大きな問題ですし、批判を絶対に受付無いという与党も大問題です。
日本人はとかく意見を言うと、否定された、批判された。軽い批判を誹謗中傷された。侮辱されたと言います。これを単に日本人気質と片付けてしまえば、国際社会で再び、外交失政を犯しかねないと思います。