あの震災から1年。
早かったような、まだ1年しかたっていないのか…というような。
どっちでもあって、本当に不思議な思いです。
なんかいまだに整理がつかないというのが正直です。
昨日、今日と特集されてる震災関係のTV。
もう、どれを見てもぼろ泣き。
なんで泣いてるかわかんないんだけど、全然、止まりません。
私はそんなに怖い思いもしてないし、多少の不便はあったけど、どうしようもなかったわけでもなく、家の中だって皿が2枚割れただけだし、食べるのに困ったわけでもなく、仕事をうしなったわけでもなく…本当にラッキーな被災者だったのに。
でも当時は現地にいてよくわからなかった状況を1年たって知り、当時のことや、知人のことなども思い出して説明できない思いでいっぱいになります。
思い出したり、映像をみてると今ごはんを食べたり、好きなことをしてるのが、すごく申し訳ない気持ちになる。
当時もすごくそういう思いにとらわれた。
今日はごはんを食べるのが、本当につらい。
原稿しなきゃいけないのに、この日、そんなことをしててもいいのか…とか思ってしまって、すすまない。
てか、できない。
こんな罪悪感間違ってるのかもしれない。
でも…
ああ、支離滅裂ですね。
自分は以前と変わらない生活に戻ってますが、仕事がら、まだまだ大変な方々と毎日接するので、”復興”て言葉を聞くと、複雑な気持ちになります。
沿岸部は本当に大変なままです。
原発で非難された方も大変な思いをされてます。
それはもっとたくさんの人に知ってほしい。
そういう意味で、見るのはつらいけど、こういった特番は定期的にやって欲しいなと思う。
まだまだ支援が必要です。
それに忘れていい悲劇ではないと思うから。
実は私、大きな震災にあうのは2回目なんです。
1回目は小学校の時。
震源地沖にいました。
私は内陸部の人間なのですが、叔母が沿岸部に住んでて、しかも海まで2.3分の距離。
運悪く、その叔母のところに遊びに行ったときに大きな地震にあい、津波も経験しました。
地震直後、すぐに近くの高台に逃げ助かりました。
でもその高台から見た津波を一生忘れることはないと思います。
茶色の壁がものすごい勢いで迫ってきて、最初はそれが水だと思いませんでした。
人が何人も飲み込まれるのを見ました。
周辺にいた大人たちが「逃げろー」と必死に叫ぶ声も、人が波に飲まれた時もれるあきらめににた悲鳴も、一生忘れられないと思います。
私がいた数百メートル先で、遠足に来ていた小学生たちが多く津波にのまれ亡くなりました。
いまだに、なぜ、彼らがすぐに避難しなかったのかわかりません。
うちの叔母のようにたいしたことないと思ったのでしょうか?
(当時、家のことを気にする叔母を母と祖母と私と3人がかりで連れ出した)
今回の震災でも同僚の両親がおんなじような理由で逃げ遅れて亡くなったなぁ…
地震も怖いけど、一番、怖いのは津波だなぁと。