引き続き、2010年5月に行われた講演会で、
山田洋次監督がお話になった、渥美清さんのはなしを書いてみたい。
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渥美さんは、映画「男はつらいよシリーズ」の中では饒舌だけど、
私生活では無口で、人の話を聞くほうが好きな方だったらしい。
いろんな人の話を聞きながら、その人の心の中をのぞくのが好きだった。
人に対する好奇心があった。
(人の心の)のぞき方が優しいから、のぞかれたほうも嬉しい。
彼にはカウンセラーとして、天性の才能があった、
それはもう、努力とかそういうものではない、
「この人だったら、自分のことを理解してくれる」
と思わせるオーラを持った方だったそうだ。
監督が、渥美さんに、何か楽しい話をしようとしたら、
監督がまだ口を開く前に、渥美さんが笑い出したそうだ。
「まだ、何も喋ってないよ」と監督が言うと、
「監督は、何か楽しいことをわたしに言おうとしたんでしょう。
だから、面白いなあとおもって、笑ったんですよ」
といわれ、一緒になって笑ったそうである。
あの人にこの話をしたい、と思わせる何かがあった。
同じ思いを抱いて、共感しあえればいい、
何も言わなくても一緒に笑う、泣く、
そうやって40年もの間、
渥美さんと監督は寅さんの映画を作り続けてきたそうだ。
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渥美さんが、監督に最後に語りかけた言葉。
寅さんシリーズの48作目は、奄美大島でのロケだったそうで、
監督が一足早く奄美入りしたのだけど、暑さでめまいを起こし、
病院で点滴を受けたのだそうである。
その晩、渥美さんが奄美に到着し、監督の部屋にやってきて、
体調について聞いたあと、こう言ったそうである。
「あなたは、これからも大事な仕事をしなければならない人だから、
どうぞ体を大事にして、
いっぱい、いい映画を作っていってくださいね」
渥美さんご自身も、C型肝炎の闘病中で、
もう長くない、と医者から宣告されていた身を押して、
映画を撮り続けていたのだそうである。
自身のことよりも、監督の身を案じて、夜半に監督のお部屋まで来られたのだ。
監督は、深く感動され、
「もし、僕が死ぬのなら、この人のそばで、この人の腕の中で、
この人に看取られながら死にたい」
と思ったそうである。
「この言葉を、僕は渥美さんの遺言だと思って、生きています」
とおっしゃった。
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