多くの人たちが、今現在、自分の居る場所について
「このままでいいのだろうか?」
「この場所に居ることができるのだろうか?」
「どこか新しい場所へ移るべきか?それとも今のまま留まるべきか?」
と悩んでいる現実がありますね。
「生きづらさ」の根幹にあり続ける「居場所」の問題について書かれた本を
見つけたので、ご紹介したいと思います。
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居場所の社会学―生きづらさを超えて |
阿部 真大 | |
日本経済新聞出版社
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「自分にとっての居場所が相手にとっては居場所ではなかった、
相手にとっての居場所が自分にとっては居場所ではなかった、
たくさんあり居場所のなかでどれが自分の居場所か分からなくなった、
ひとつの居場所にはまりすぎて他が見えなくなった、
将来の自分の居場所が見えなかった」
と語る著者が、
著者の専門分野である労働社会学の問題と重ねて論じたのがこの本です。
著者は1976年生まれ。
団塊ジュニア、就職氷河期世代であり、
東京大学卒でありながら、
バイク便ライダー、飲食店でのバイト、塾講師などを経験した、
新進気鋭の社会学者です(現在は甲南大学専任講師とある)。
雇用の流動化が進み、
家族や家庭も必ずしも安心できる居場所ではなくなった現代において、
居場所はその人にとっての「いのちづな」である
ことを前提に、著者自身の経験から、
・ 誰かと一緒にいるからといって、居場所があるわけではない
・ ひとりでいることはスティグマ化(負のレッテルを貼られること)することもある
・ 居場所の拡張は間違うこともある
・ 過剰適応はよくない
と著者は言います。
また、周囲に人がいながらも、一人携帯電話をいじったり本を読むことで、
居場所を確保することを例にあげ、
・ 誰といなくても、そこは居場所となりうる
・ 一定の条件のもとでの「ひとりきり」はスティグマ化しない
と語ります。
働くメンバーが流動化している職場で居場所を確保するには、
・ 職場のマニュアル化によって、「ひとりの居場所」を守ることができる
のだと。
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かつて、ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ先生が、
枠からはみ出してしまう人たちに「魔女になろう」と言われていました。
『世界が一つの宗教に占有され、
生活や人の心すべてが弾圧されてしまった時代がありました。
そんな中「いや、そうじゃない、私は私として生きていくんだ!」と、
自らの存在を主張したのが魔女です。
この状況は現代と非常によく似ています。
「皆がそうなのだから、あなたもこうすべきだ」と無言で強要され、
そこからはみだそうものなら人生の落伍者とされる・・・。
そんな社会のおかしさに気づいた感受性の強い人たちが
「魔女」というキーワードに反応しているのかもしれませんね。
(今はなき雑誌MISTYより転載)』
「皆がそうなのだから、あなたもこうすべきだ」と強要された道からはみ出す人たちは、
自分の居場所を求めて、
心理学や哲学、社会学、精神世界、あるいは占いといった世界に興味を抱くのかもしれません。
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