http://karapaia.com/archives/52259161.html カラパイアより
旧約聖書に記された古代イスラエル王国の年代に関する新しい証拠が発見される。その成立は紀元前11~10世紀。2018年05月08日
伝説のダビデとゴリアテの戦いなどを描いた旧約聖書の記述以外、紀元前10世紀に存在したという古代イスラエル王国に関する歴史的記録は長い間論争の的とされてきた。
最新の考古学的発見は、ダビデが全イスラエルを統一したという伝説を裏付けていた。
イスラエル、バル=イラン大学の考古学者アブラハム・ファウスト氏とヤイール・サピア氏がテル・エトンの発掘現場を放射性炭素年代測定法したところ、その成立が紀元前11~10世紀であることが判明した。
旧約聖書にあるダビデのイスラエル統一
統治者の住居として知られているその遺跡は、これまで数世紀遅く建設され、紀元前8世紀末のアッシリア捕囚までには破壊されたと推定されていた。
聖書に親しみのある人なら、ダビデという若い羊飼いがペリシテ人の巨人を打ち破り、イスラエル王国初代王サウルの尊敬を得て、やがてユダ王国南部とイスラエルを統一し、全イスラエルの王となった英雄譚をご存知だろう。
ダビデが死ぬと、その息子ソロモンが王位を継承し、イスラエル王国は繁栄するが、彼の死後、再び分裂した。
こうした聖書の記述以外には、王国の実在や伝説の人物たちの行動を示す確たる証拠はほとんど存在しない。ただ伝承と状況証拠を結びつけた結果、ダビデは紀元前10世紀頃にこの地を統治していたらしいと推測されていた。
旧約聖書におさめられた古代ユダヤの歴史書の1つ「サムエル記」によれば、ダビデ王は統一イスラエルの最初の王であり、王朝の創始者とある。
ダビデは実在した?
しかし自分を庇護した王と戦争を起こし、イスラエルとユダを武力統一したダビデのような人物が本当に存在したのだとしても、彼が制圧した地で複雑な行政を行った痕跡がなかったために、2つの別個の文化がいかにして統治されていたのかを知る手がかりもほとんどない。
テル・エトンはガザとエルサレムのほぼ中間に位置し、ユダ王国の遺跡としては最大規模の発掘現場である。その地層には、5500~4200年前の初期青銅器時代まで遡るさまざまな占有の痕跡が残されている。
どこかの時点でこの重要な行政施設が築かれたが、8世紀になるころにアッシリアの侵略があり、要塞と4部屋ある上流階級の人物が暮らした居宅は瓦礫に変わってしまった。
建物が最初に築かれた時期はこれまで謎であった。相互に連結させた切石積みの構造からは、これを作った文化について何がしかのことが窺えるだろう。
このために侵略以前は町が大いに繁栄していたと当然のようにみなされ、前の世紀には登場していたと想定されることが多かった。
ル・エトンの遺跡は紀元前11~10世紀のものであることが判明
ファウスト氏とサピア氏は、遺跡の床や基礎から発掘されたサンプルから炭やオリーブの種といった有機物と思われるものを抽出。
そして、これらを基礎の建設と関連づけられる根拠を見出すことで、床石が紀元前921年に置かれたことや、最初に建設されたのが紀元前11世紀末から紀元前10世紀第3四半期の間であることを特定した。
重要なことに、そのレイアウトはユダというよりはイスラエルの建築であることを示唆している。
これがダビデによるイスラエルとユダの統一物語をどの程度裏付けるのかについては、今後の議論を待たねばならない。だが研究者は限られた証拠に基づいて物事を想定してしまう愚を示す教訓であると話している。
Tel 'Eton Aerial View (Biblewalks.com)
テル・エトンを上空から撮影した映像Tel 'Eton Aerial View (Biblewalks.com)
研究は『Radiocarbon』に掲載された。
References:eurekalert / scitechdaily/ written by hiroching / edited by parumo