http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/jcast-260188/1.htm
「二宮金次郎」が「歩きスマホ」を誘発する?
学校から撤去、「座って本読む」銅像も登場
2016年3月2日(水)18時35分配信 J-CASTニュース
薪を背負い、歩きながら本を読む――。勤労・勤勉の象徴としてお馴染みの「二宮金次郎像」が、時代の流れに合わせて姿を変えている。栃木の小学校に新しく設置されたのは、「座って本を読む金次郎像」だった。
今回、金次郎の座像が登場した背景には「歩きスマホ」の問題があるという。過去には、歩きながら読書する金次郎像に対し「子供が真似したら危険だから撤去すべき」との批判が保護者から寄せられた例もある。
「時流を考えれば、座像の方が『適切』だと考えた」
「座って本を読む金次郎」の像が2016年3月1日に設置されたのは、栃木県日光市・今市(いまいち)地区にある南原小学校だ。今市は金次郎終焉の地として知られ、地区内には民間も含めて20個以上の像がある。だが、金次郎の少年時代をかたどった「座像」が設置されるのは今回が初めて。
南原小学校に金次郎の座像を寄贈した地元団体「報徳道研修 いまいち一円会」はJ-CASTニュースの取材に、
「歩きスマホの危険性などが問題視される中、学校でも生徒に『ながら行動』をしないように指導していると聞きます。こうした時流を考え、本を読みながら歩く金次郎の像よりも、座像の方が適切だと考えました」
と答えた。その上で、「たとえ座っていたとしても、金次郎の勤労・勤勉の精神は生徒に伝わると思います」とも続けた。
また、同会が「金次郎像の姿を子どもが真似したら危険だ」との指摘を直接受けたことはないというが、以前からこうした意見を耳にすることはあったそうだ。確かに、ニュースサイト「毎日.jp」が12年1月25日に配信した記事によると、保護者から「(金次郎像のように)歩いて本を読むのは危険」という意見が滋賀県大津市の教育委員会に寄せられたという。
ただ、金次郎の「座像」が設置されるのは今回が初めてではない。栃木県の「二宮尊徳資料館」によると、児童が像の真似をすると交通安全上問題があるため、戦後に入って「座って本を読む金次郎」や「本ではなく草鞋を手に持った金次郎」など、新しいタイプの像が立てられたという。
金次郎は「歩きながら本を読んでいたわけではない」
16年3月1日放送の「あしたのニュース」(フジテレビ系)でも、全国の小学校で金次郎像の撤去が進んでいることが特集された。撤去の理由は、保護者などから「勤勉の精神が時代に合っていない」「ながら歩きは危険だ」といった声が上がったため。小学校を追いやられた金次郎像のなかには、なぜか居酒屋に寄贈されたケースもあるという。こうした報道に対し、ネット上では、
「ながら歩きは危険だけど、金次郎はそんなこと教える目的で学校にいる訳じゃない」
「何でもかんでもケチをつける暇な奴が多いんやな」
「呆れますな。 何でも無くせばいいってもんじゃないのに」
などと批判的な声が数多く寄せられた。一方で、「確かにあのポーズは歩きスマホを誘発する」「ずっと前から思ってた」などと、撤去に賛同する意見もゼロではなかった。
だが、そもそも金次郎が像のように歩きながら本を読んでいた事実はないという。そうJ-CASTニュースの取材に明かしたのは、金次郎の生地である神奈川県小田原市の「尊徳記念館」だ。
「原典といわれる『報徳記』を見ると、像の姿で知られるあの場面には『誦(そらんじる)』という表現が使われています。ですので、正しい解釈は『薪を背負って歩きながら、勉強した内容を暗唱していた』となります」
歩きながら読書する金次郎の姿が初めて描かれたのは、1891年に出版された子ども向けの伝記「二宮尊徳翁」(著・幸田露伴)の挿し絵だという。同館は「勤労・勤勉という2つのコンセプトを子どもに分かりやすく伝えるため、手に本を持った姿で描いたと思われます」と分析している。
――金次郎の功績を分かりやすく伝えようとした先人の配慮が、現代になって「大きな誤解」を招く要因となってしまった。何とも皮肉な顛末である。
慰安婦像を連想しちゃった~(´Д`)
http://the-liberty.com/article.php?item_id=11014
二宮金次郎像に異変 歩きスマホが危険なので座ります!?
2016.03.03
薪を背負い、歩きながら本を読む「勤勉さ」を象徴する像に異変が起きている――。
栃木県日光市にある小学校で、"座って"本を読む二宮金次郎(尊徳)像が設置された。同市は、金次郎が亡くなったゆかりの地。座像を寄贈した「報徳道研修 いまいち一円会」によれば、「『歩きスマホ』の危険性なども指摘される中、本を読み歩きしている立像ではなく座像にした」という。下野新聞がこのほど報じた。
SNSより
・ 歴史は神様と祖先の皆様の、子々孫々への「愛情の結晶」ですよね。二宮金次郎像とスマホ歩きの違いは、天と地、生と死、知者と愚者の「差」があります。成長の見込みの無い大人は、犯罪予備軍ですよね。(笑)
・ 私もそう思います。二宮金次郎の本を読みながら歩く像と、スマホに夢中になってる連中と同一視できない。二宮像は、これだけ時間を惜しむほど勉強し、えらくなりましたという見本です。
・これも日教組の反日教育の一環
・ 座らせてどうするんだ!!無知な発想だ!!
・僕らの小学校時代はどこの小学校にもありましたけどね。
・そんなことにしか力を注げないのかな~その精神を伝えればいいだろうよ!ほんまアホとしか言いようが無い、情けない。
・おいおい、そっちかい。そもそも、銅像のことは車のない時代だぞ。教師たちは、銅像が示すところの意味をきちんと教えているのか?
・教育界が、此処までアホ揃いかと思うと、子供を学校へ行かせる事を許否したくなりますね。
…まぁ、日本人の習慣や心、日本国の文化、歴史、言伝えを尽く消失させたい朝鮮崇拝日教組の糞共が言い出したのでしょうが、受け入れる教育委員会もアホ揃いです。
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偉い方々を認めず、引きずりおろしたい勢力の存在も感じますね。
日本人の心理の中にも少しどころか、かなりあるかなぁ。
人間臭くないと受け入れないみたいな。
度が過ぎると、どうかなぁと。
今までの尊徳像にこだわるのは形式主義だと思う
もし現代に尊徳の意見が聞けたら、「どうぞ、変えてもらって結構です」
と言うでしょう
原理主義に陥ってはイスラム教のように時代に取り残される
イノベーションし続けるにはやわらか頭とぬるま湯から脱皮するちょっとした勇気が必要
おそらく幸福の科学で従来のタイプの尊徳像が出たためこだわってる方も多いと思うがそれはそれ、これはこれ
個人の持ち物は個人の趣味なので従来のタイプでもよいし、学校に置く物はPTAで決めてもらえばよい
仕事中に仕事を休んで、スマホやタブレットでゲームをしても良いというメッセ-ジにもなりますかね。