チベットの悲劇
ねずさんのひとりごとより転載
チベットの悲劇
ねずさんのひとりごとより転載
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1557.html
上にある写真は、チベットでの女性の焼身自殺の模様です。
チベットでは、昨今、連続してすでに数十人が、こうして
焼身自殺を図っています。
中には子のいる若い女性さえもいる。
そもそもチベットといえば、仏教国です。
そのチベットの女性や僧侶が、次々と焼身自殺を遂げています。
仏教では、自殺は肯定されていません。
仏教の戒律は、殺生を厳しく禁じています。
にも関わらず、こうした焼身自殺が相次いで起こっています。
なぜそんなことが起こるのでしょうか。
もうひとつあります。
なぜ、このように悲惨な事件を、日本のメディアはまったく
報道しないのでしょうか。
日本のメディアが報じないのは、これらの焼身自殺が、チベットに
おけるただの失恋や人生に行き詰まった個人的理由によるの自殺に
すぎないとみなしているからですか?
けれどこうした「いまや支那領となったチベット」での、
相次いで起こる焼身自殺について、支那当局は次のように報じています。
「焼身自殺をする者はテロリストであり、ダライ・ラマ側が、
僧侶らの暴力的な行為を煽動している」
支那当局の発表ですら、これら焼身自殺は、政治的メッセージ
だと伝えているのです。
これらの焼身自殺は、個人的な理由によるものではない、ということです。
なんらかの政治的メッセージを伝えようと、あえて自殺という
手段を選んでいるのです。
それも、焼身自殺という悲惨な手段を選んでいるのです。
その、命をかけたメッセージを、なぜ、日本のメディアは、
まったく報道もしないのでしょうか。
日本人に、こうした悲劇が起こっているという事実を、キチンと
知らせているのでしょうか?
ダライ・ラマ法王日本代表のラクパ・ツォコ氏は、次のように語っています。
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支那当局のチベット人への弾圧は厳しさを増すばかりです。
もはや自由を求めるデモもできません。
しかし、何とかしてチベットの現状を訴えたい。
そういう思いからの行動だと理解しています
。
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親の生活保護がバレたお笑いタレントを、相変わらず図々しくもテレビに
出して、くだらない番組を作っている暇があるなら、
メディアは、こういう事実を、
きちんと日本人に伝えるのが使命ではないのでしょうか?
また、日本政府は、これらチベットにおける連続する悲劇に対し、何らかの
メッセージは出しているのでしょうか。
すでに欧州議会はチベット情勢について緊急決議を行なっています。
米国も、政府高官が中共政府に人権状況の改善を求めるコメントを
発表しています。
日本の政治家は、日本の内閣は、何をしているのでしょうか。
以下にジャーナリストの有本香さんが書かれた本件に関する記事を転載します。
日本のテレビ局、大手新聞社の方が、これを読んだなら、なんらかの形で、
すぐにチベット問題に関する特番ないし特集記事を組んでいただきた。
沖縄が支那の支配下に入れば、何年か後には、このチベットにおける悲劇は、
今度は沖縄の悲劇になるのです。
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【衝撃、チベットで相次ぐ僧侶の焼身自殺】
2011年11月30日(Wed)有本香 (ジャーナリスト)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1594
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全身から上がる大きな火柱と黒煙
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車道に直立したその体、その全身からは大きな火柱と黒煙が上がっている。
動画を見ると、周囲から悲鳴があがる中、全身を炎に包んだこの人はしばし
直立不動ののち、わずかに2、3歩前進したように見え、崩れ落ちた。
見出しのとおり、見た者を凍りつかせるこの画像・映像ではしかし、
男か、女かも判然としない。が、くるぶしまである衣の様子から、チベットの
僧侶であろうということは伺えた。
あまりにも衝撃的なこの画像と映像は、11月3日の白昼、東チベットの
カムゼ(四川省甘孜チベット族自治州)にあるタウ(道孚)という地区の
路上で、パルデン・チュツォという35歳の尼僧が焼身自殺を図った際の
ものと伝えられている。
自殺の理由は、今年に入って相次ぐ僧侶らの焼身自殺と同様に、チベット
で続く中国当局による宗教的自由および人権の抑圧に対する抗議の意志
を示したものとされる。
そもそも本コラムの読者の皆さんは、本年3月以降、チベットで僧侶の
焼身自殺が相次いでいる件をご存知だろうか。
18歳から35歳の僧侶ら11人が自らの身に火を放ち、少なくとも6人が命を
落とし、うち2人は尼僧だという情報を、果たして何人の日本人が認識
していることか。
この件、日本の新聞等でも報道はされたが、他のニュースとの兼ね合いも
あって扱いは大きくなく、生々しい写真や映像が出ることはむろんなかった。
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チベット仏教は殺生を禁じているのになぜ?
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2011年という年は、ひょっとすると後世、中国における民族問題にとって
節目の年だったといわれるかもしれない。
それほどまでに今年、中国国内では、民族問題に絡んだ大事件がいくつも
発生した。
そして、またもや多くの無辜のチベット人、モンゴル人、ウイグル人が
命を落としたが、われわれはまたもや無力だった。
本稿では、チベット、ウイグル、南モンゴルという三民族地域で本年
起こったことのすべてに言及することはできないので、まずチベットで
相次ぐ僧侶の焼身自殺の件のみくわしく触れることとする。
僧侶の焼身自殺が相次いでいる件について、チベット亡命政府の駐日代表
である、ダライ・ラマ法王日本代表のラクパ・ツォコ氏に聞くと、次の
ように述べた。
「中国当局のチベット人への弾圧は厳しさを増すばかりで、もはや自由を
求めるデモなどもできません。しかし、何とかしてチベットの現状を訴え
たい、そういう思いからの行動だと理解しています」
氏をはじめ、チベット人は自殺を「肯定」してはいない。
殺生を厳しく禁じるチベット仏教で、自らに火を放つ行為は教えに背くことで
あり、僧侶ともなれば、呵責の意識はいっそう強いはずだという。
しかし、万策尽きたなかで「最後の手段」に訴えたのだ、中国政府がチベット人
への抑圧的な政策を改めなければ、今後もこうしたことは起きる、というのが
内外チベット人の一致した見方である。
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炎に包まれ、崩れ落ちるまで合掌した尼僧
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これに対し、もう一方の当事者である中国共産党当局は、
「焼身自殺をする者はテロリストだ」という、なんとも冷酷無慈悲な
コメントを放ち、例によって、「ダライ・ラマ側が、
僧侶らの暴力的な行為を煽動している」と付け加えた。
冒頭で紹介した尼僧の焼身自殺について、日がたつにつれ、より詳細な
情報が伝わってきた。
パルデン・チュツォは、タウ地区のドロチョ村出身、ダカール・チェリン尼僧院
の尼僧であった。
11月3日は、チベット人にとっての宗教的断食修行「ニュンネイ」の最終日に
あたっており、大勢の僧侶や市民による修行は、パルデンの尼僧院から車で
1時間ほど離れたナムギャル大仏塔内で行われていたが、パルデンは、その
大仏塔のそばの路上で焼身自殺を図ったという。つまり衆目集まるところでの
決行であったのだ。
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトには、パルデンが、
「チベットに自由を」「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を」などと叫んで自らに
火を放った、との情報が紹介されているが、別の筋では、パルデン・チュツォは
そのとき、「チベット独立」と叫び、炎に包まれ、崩れ落ちるまで合掌し続けて
いたとの情報も伝えられている。
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焼身者を殴り殺す警察官
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相次ぐ僧侶らの焼身自殺の発端は、3月16日であったとされる。
折しもわが国が、東日本大震災に見舞われた5日後、チベット北東部のンガバと
いう地方にあるキルティ僧院の若い僧侶が、焼身自殺を図った。
理由は、あの北京五輪が開催された2008年に、チベット全土に広がった抗議
行動を中国当局が武力弾圧してから3周年となるに際し、あらためて当局への
抗議の意志を表すためだったとされる。
ところが、現場に現れた警察官は、こともあろうに、火を消しながらも僧侶を
激しく殴打し、これが死の一因となったと伝えられた。
こうした情報は、チベット内に独自の情報ルートをもつ欧米メディアや
チベット亡命政府系のメディア、チベット支援の団体から発信されたもので、
中国政府や中国メディアからは伝えられていない。
このときキルティ僧院には約2500人の僧侶が暮らしていたが、警察の暴行は
当然この僧侶らの大きな憤りを招いた。
そして当局は僧院を「封鎖」するに至ったのである。
僧院の周囲を大勢の武装警官隊と人民解放軍が包囲し、食糧や生活用品を
運びこむことのできない状況が何日も続いた。
この頃、私の元へも、おもに米国のメディア関係者やチベット支援団体等から、
「このままでは、僧侶たちが餓死してしまう!」という、窮状を知らせる
メールが幾通も届いたが、そのレポートには驚くべきことが書かれていた。
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警察や人民解放軍に丸腰で対峙するチベット市民
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はじめ私は、中国当局が僧侶らを兵糧攻めにしているとのみ理解しかけたが、
実態は少々異なっていたようだ。
武装した兵士らが僧院を取り囲み、その周囲を、チベットの一般民衆、
当然丸腰の群衆が取り囲んでいるというのだ。
多くの民衆が周囲の道路を埋め尽くすことで、軍車両のキルティ僧院へ
の出入りを封じており、これに対し、当局が物資の搬入を止めていると
書かれてあった。
自らの体に火を放った者にも容赦なく銃弾を浴びせ、殴りかかる。
それほどまでに恐ろしい中国の武装警察や解放軍に、丸腰で対峙する
チベットの市民たち。
かの地で、チベット人の素朴なたたずまいや、ホスピタリティあふれる態度
に接したことのある私は、彼らの一体どこにそんな強さ、烈しさがあるのか、
と思うばかりである。
「私たち雪の国のチベット人は、軟弱ではない。宗教や文化の面で誇るべき
民族であり、その尊厳と信念において弱き者ではない」とは、
ダライ・ラマ14世法王の言葉だ。
チベットで抵抗運動が起こるたび、この言葉を思い起こさずにはいられない。
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『雪の下の炎』は今も……
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タウで焼身自殺を遂げた尼僧パルデン・チュツォに関する情報に
触れていて、2つのことを思い出した。
ひとつは、この非業の死を遂げた若い尼僧と似た名前をもつ
老僧パルデン・ギャツォ氏の書著のことである。
パルデン・ギャツォ氏は、中国当局によって30年以上もの間投獄され、
激しい拷問と強制労働を耐え抜いた末に解放され亡命、今もインドの
ダラム・サラで健在である。
私は2年前にインドで対面したが、その眼光に、苛烈な体験に堪えた強さ
を滲ませてはいるものの、穏健そのものといった風情の老僧であった。
彼の不屈の半生を描いた著書の題名が、『雪の下の炎』。チベット人は、
自国を「雪の国」と呼ぶが、その冷たい雪の下に、炎のように熱い思いと
魂が秘められている、との意味を込めつけられた題名だ。
一方、自身を燃やしてまで、「自由」を訴えたパルデン・チュツオに
ついて、事件後、タウへ潜入取材をしたロイターのレポーターは、
「もの静かで経典に通じた尼僧で、周囲の誰も、彼女が焼身自殺するとは
思いもよらなかった」と伝えている。
「雪の下の炎」は、老僧パルデン・ギャツォから、尼僧のパルデン・チュツオへ
たしかに継がれているのだ。
もうひとつ思い出したのは、昨年夏の意外なニュースである。
昨年7月6日、この日は亡命しているダライ・ラマ14世法王の誕生日だが、
タウのチベット人が、法王の誕生日祝典を盛大に行なったとの情報が流れた。
約1000人のチベット人が、法王の肖像を掲げて2キロの道のりを歩き、
ナムギャル仏塔の玉座に飾ったが、この折、政府庁舎前を通ったにも
かかわらず、当局が看過したというので記憶に残っている。
無理な弾圧をすれば、大きな混乱につながると当局が判断したのだろう
との推測がされたが、これすなわち、このタウという地域、あるいは
カムゼ全体、いやチベット全土が、半世紀を超える圧政を経てなお、
『雪の下の炎』燃えさかる地であることを意味する。
このような動静を受け、欧州議会はチベット情勢について緊急の決議を行ない、
米国では、政府高官が中国側に人権状況の改善を求めるコメントを発表している。
私たち日本人にできることは何か、いま一度考え直してみたいところである。
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このチベットで行なわれている弾圧と、実はまったく同様の弾圧行為が、かつて
支那人により、日本人に対して行なわれたことがあります。
66年前の出来事です。
詳細は「ねずブロメルマガ」
http://www.mag2.com/m/0001335031.html
で配信しますが、支那共産党は、戦前から戦時中、
そして現代にいたるまで、ずっと同じことをし続けてきているのです。
媚中、親中などと夢を見る前に、歴史と、そしていま現実に起こっている
出来事を、きちんと報道するのが、メディアの役割のはずです。
同時に、チベットがこうした悲惨な状態になっているのも、支那に共産党政権
というろくでもない政権があるからです。
そのろくでもない政権と親しくする政治家、気遣うメディアは、
ひとつあなのムジナにすぎない。
日本人なら日本人らしく、襟を正して、凛としなさいと言いたいのです
以上、転載、させていただいた記事です
俳優R・ギア氏 チベット人のハンスト支援
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/69ff4c21d993968b5d7e0dc25e1a46fa
チベットの「信仰の自由」を奪う中国に対して、日本政府は毅然として抗議せよ!
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/5382ad14db23af0970bbe78c88afe1d8
【チベットの悲劇を教訓に】
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/926d26390f867cde20d9d02248ca9b33
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