理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

マスコミで報道されないような
情報と日記です(^▽^)/
世界と日本の危機を伝える・・

「人間より監視カメラ多い」「当局が密告奨励」 弾圧逃れた難民が証言、チベットのいま「日本人も知って」

2018年06月01日 00時00分00秒 | 政治・拡散記事・報道・海外

「人間より監視カメラ多い」「当局が密告奨励」弾圧逃れた難民が証言、チベットのいま「日本人も知って」

5/30(水) 7:00配信 http://news.livedoor.com/article/detail/14788135/  より  

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180525-00000007-withnews-asia&p=1

1950年に中国軍が進駐してから、多くの犠牲者を出してきたチベット。記者や外国人は自由に入れず、今どうなっているのか、定かにはわからないというのが実情です。そこで、隣国インドに逃れてきたというチベット難民の男性、ワンチュクさん(31)にチベットの現状を聞きました。以下はヒマラヤのふもとにあるインド北部のダラムサラという町で、「ぜひ日本人にも知ってほしい」と彼が語った証言です。(朝日新聞ニューデリー支局・奈良部健)

焼身自殺に黙っていられず

 チベットはヒマラヤ山脈の北側にある地域で、独立や自治を目指すチベット人に対する中国当局の弾圧がずっと続いています。
 ワンチュクさんは、四川省アバ・チベット族チャン族自治州というところに住んでいました。もともと遊牧が盛んなところで、チベット人が多く住んでいます。2011年3月、医学生だったワンチュクさんの人生を変える事件が起こりました。

 「ダライ・ラマ万歳!」「チベットに自由を!」
 街中を歩いていた時、叫び声が聞こえると、警察署前でチベット仏教の僧侶が焼身自殺しているのを偶然、目にしました。
 チベットでは活仏としてあがめられるダライ・ラマの写真を飾ったり、携帯に写真の履歴が残っていたりするだけで処罰されてしまいます。焼身自殺は、中国政府が抑圧的な統治を強め、デモなどが困難になる中で、抗議の意思を示す究極の手段となってきました。チベット亡命政府によると、2009年以降で150人超が亡くなっています。

 ワンチュクさんによると、このとき中国の警察は、周囲にいた老女やほかの僧侶に殴る蹴るの暴行を加えました。集団的に殴られ続け、ぐったりした女性も見たといいます。
 「医師になるために学校に通っていたので、できるだけ政治からは遠ざかっていました。でも、その時は我慢ができなかったんです」

 ワンチュクさんは、自分の見たことを携帯電話でインドに住む知人に知らせました。
 焼身自殺や中国への抗議デモを海外などに伝える行為が、犯罪として罰せられることは知っていました。チベット亡命政府によると、「法律として明確に禁じられてはいないが、中国政府はチベットの情報が外国に伝わることを恐れている」そうです。

 その後、ワンチュクさんは携帯電話やSIMカードを壊し、叔父さんの家に身を隠しました。
 通信記録から、海外に電話して事件を伝えたことがばれると思ったからです。当局に盗聴されているのは当たり前だと思っていました。
 数日後、近郊の都市に逃れようと、長距離バスのチケットを買おうとした道すがら、警察に逮捕されました。告げられたのは「不法な行為をした」という言葉だけでした。

監視、拷問、収監、行動制限…

 拘留所に移されたワンチュクさんに尋問が始まります。

 「絶対に何も言うまいと決めていたのですが、彼らは私のすべてを知っていました。どちらの手で携帯電話を持って、どんなしぐさで話をしていたかさえ、知っていた」

 道路や商業施設内など、町の至る所に設置されている監視カメラのせいだとワンチュクさんは気づきます。他のチベット難民は「チベットでは人間の数よりも監視カメラの数の方が多い」と話します。

 恐ろしい拷問もあったそうです。手足を縛られて電流がながれる棒で体を触れられたり、棒で殴られたりしました。耳を強打されて聴力は一時失われたといいます。
 「つらかったのは、寝させてくれないことです。寝ようとすると大声を出したり、殴ったりする」
 裁判はありましたが、自分で弁護士をつけることは許されませんでした。しかも、裁判が開かれたのは拘留されてから1年半もしてからでした。結局、3年間収監されました。

 2014年に解放されると、外の世界は激変していました。中国政府によって道路や橋などのインフラが急激に整備されていたのです。

 ワンチュクさんは「政治犯」となり、医師になる夢はかなわなくなりました。一度烙印を押されると、あらゆる自由が制限されます。他の人の見せしめにするためだといいます。
 行動は制限され、家族の住むラサに行くこともできなくなりました。警察は毎日のように「いま何をしている?」と電話をかけてきます。

 チベット人の間でも嫌な雰囲気がありました。
 「中国当局がチベット人のスパイをつくり、こっそりダライ・ラマを拝む人や中国批判をする人の密告を奨励したからです。中国人がチベット仏教の僧侶になりすまし、本音を言わせて逮捕することもありました」

 かつて中国からの独立を目指して団結していた仲間がお互いを疑い、監視する恐ろしい社会になったとワンチュクさん。
 「チベット人どうしでも外で話すことはほとんどなくなっていました。余計なことを話すといつ誰に聞かれているか、わからないからです」

チベットについて話す決意

 その後も焼身自殺をする人は絶えませんでした。
 医師の夢はあきらめざるを得ず、家族にも会えない。もうここにいる意味はない――ワンチュクさんは約130万円ものお金を用意し、ブローカーに払いました。
 「政治犯」のためパスポートの取得も許されず、不法に中国を出るしかありません。

 ワンチュクさんはインドへの逃亡の経路も記者に語ってくれましたが、「後に続く人に迷惑がかかるので、報道しないでほしい」と言われました。ルートが公になると、周辺の警備が強化される恐れがあるからです。
 ワンチュクさんは言います。「インドではダライ・ラマの写真を堂々と掲げられるし、安全だし、自由もある。いつも抱いていた恐怖はここにはありません。でも、やっぱり家族に会いたい」

 「ワンチュク」はチベット人にはたくさんいる名前で、記事に出しても個人の特定はできないと話していました。ただ、顔写真を撮ることはできず、着ている服も別の人と交換した上で撮影させてもらいました。

 ワンチュクさんはこうも語りました。
 「チベットでいま何が起きているかを世界の人に知ってもらわなければ、状況は変わらない。だから取材にはちゃんと答えたいと思っています。でも、もしこれが中国側にばれたら、チベットにいる母や父がどんな目にあうか。あなたにこうして話していることが正しいことなのか、とても不安です」
 インドにはワンチュクさんのようなチベット難民が、およそ10万人いると言われています。

 チベット亡命政府のあるインド北部ダラムサラには、2007年までは年間2千人前後がやって来ていましたが、昨年は116人にまで減りました。国境管理の厳格化が背景にあるといいます。

 冬場は監視の目が届きにくくなりますが、この時期にヒマラヤを越えて逃れようとするチベット人たちには、滑落したり凍傷で手足の指を失ってしまったりする人が少なくありません。

夢はチベットの独立

 「いま夢はありますか?」

 そう尋ねると、ワンチュクさんは少し間をおいてこう言いました。

 「チベットが独立すること。そして、ダライ・ラマが長生きされることです」

 私は取材中、何度かチベット語で話しかけられました。それくらいチベット人と日本人は容姿がそっくりです。チベット料理には「モモ」という水餃子や「トゥクパ」といううどんのような料理があり、懐かしい味がします。

 会うことのできたチベット人はみなとても教育熱心で、子どもをアメリカやイギリスに留学させている家庭も少なくありませんでした。「いつかチベットのために尽くすことのできる人になってほしい」という強い思いからです。世界にチベットの実情を訴える力こそ必要だという考えがあります。

 ワンチュクさんの証言は、取材で事実であることが確認できたわけではありません。そもそも取材ができないからです。ただ、証言をすることで自分だけでなく、両親ら家族の身も危うくする恐れがあります。

 危険をおかしながらも、必死の思いで自身の経験を語るチベット人がいる。そんな事実を1人でも多くの人に伝えたいという、焦りにも似た気持ちでこの記事を書きました。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。