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「政教分離は誤解だらけ―歴史を知れば意外な真実」江夏正敏の「闘魂一喝!」

2022年08月16日 18時59分47秒 | リバティ 学園 幸福実現党 関連  

幸福実現党  
江夏正敏の闘魂メルマガ vol.189
2022年8月16日発行
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1、江夏正敏の「闘魂一喝!」
「政教分離は誤解だらけ―歴史を知れば意外な真実」
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今回のメルマガは「政教分離」をテーマにしました。日本国憲法における「政教分離」について、誤解が多いようです。
明治維新から戦後にかけて、どのような変遷をたどって戦後の「政教分離」にいたったのか。
そして、その本来の趣旨とは何かを簡単に復習してみたいと思います。
※書籍からの抜粋を、理解しやすく並べてみました。

●政教分離を誤解している学生たち。
学生に「政教分離とは、どういう意味でしょうか」というアンケートを取りました。
大半の学生は「政教分離とは『宗教団体が政治に参入してはいけない』という意味だ」と答えていました。
しかし、本当の政教分離とは、今の日本国憲法の解釈で言っても、「特定の宗教を国家が弾圧してはいけない」という意味なのです。
戦前「国家神道というかたちで、神道が国家とくっつき、ほかの宗教を弾圧した」という事例に基づき、「そういうことが二度と起こらないように」という意味で「政教分離」が言われているわけです。
(『祭政一致の原点』(抜粋)大川咲也加著 幸福の科学出版)

●明治維新の王政復古の理由。
戦前の日本においては、国家神道が非常に強い力を持っていました。それは、明治維新のときに天皇を立てて徳川幕府を倒したためです。新政府の“重し”のために天皇を持ってきたわけです。
明治維新は、実は新しい革命運動だったのですが、「『王政復古』と称して、昔からある天皇を持ってきて上に載せ、下だけ新しいものをつくった」という、いわば折衷様のやや中途半端な革命だったのです。
本当は、薩長等の地方藩による中央政府打倒の革命運動だったのですが、いかんせん、彼らには田舎侍の自覚があったので、
「われらのような田舎侍が、三百年も続いた幕府を倒してよいのか」という怖さは少しあったのだろうと思います。
そのため、天皇家を京都から引っ張ってきて上に載せ、それでできたのが明治政府なのです。

●欧米の一神教を真似した明治政府。
その意味で、「権威付け」として天皇制が役に立ったわけではありますが、その後、政府の関係者たちが欧米各国を見たところ、先進国には一神教の国が多いので、
「一神教のようにすると、近代的に見えるのではないか」と考え、天皇制を国家神道として一神教的なものにしようとしました。

●他宗を排除する明治政府―廃仏毀釈。
その結果、明治時代から「廃仏毀釈」という仏教の弾圧が行われ、ずいぶん、寺が壊されたり、仏像が釘やいろいろなものに変えられたりしました。
すり潰しては、釘にされたり弾丸にされたりしました。寺の御本尊は、そうとう潰され、あちこちで武器弾薬に変わりました。

●戦後の政教分離の意図。
その結果、敗戦が来て、その反省から、新しい憲法においては、「国家が特定の宗教を強く保護して、ほかの宗教を弾圧することがないように」という趣旨で政教分離が定められたのです。
つまり、天皇が実質上の権力を持たないようにするための防波堤として、政教分離が憲法のなかに織り込まれたわけです。

●憲法の政教分離は「信教の自由」を保障し、宗教弾圧を防ぐための防波堤。
したがって、日本における政教分離のもともとの考え方は、「いわゆる国家神道による、他の宗教への弾圧を禁止する」という趣旨なのです。
戦前においては、仏教もキリスト教も弾圧されましたし、神道であっても、教派神道といわれる、いろいろな種類の神道は、全部、弾圧され、禁止されていったので、「信教の自由」はありませんでした。
弱小の宗教や、新しく出てくる宗教を弾圧するのを禁止することが、この政教分離の趣旨なのです。
(『政治に勇気を』大川隆法著 幸福の科学出版)

●政教分離は「国家神道が他宗を弾圧してはならない」という趣旨。
憲法の「政教分離」の考え方も、「宗教が政治に口を出してはいけない。宗教が政治的行動をしてはいけない」という趣旨であってはなりません。
それは、「政府が、特定の宗教、はっきり言えば、国家神道と組んで、ほかの宗教を弾圧するようなことが、二度とあってはならない」という趣旨なのです。
(『政治と宗教の大統合』大川隆法著 幸福の科学出版)

●政教分離は「為政者が統制の道具として宗教を使ってはいけない」という意味。
日本国憲法は、「信教の自由」を認めながら(第二十条一項)、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定しています(同三項)。
この政教分離規定がかなり悪用された結果、宗教が悪いものであるかのように受け取られる傾向が強まりました。
しかし、それでは、「信教の自由」を認めていることにはなりません。
政教分離の趣旨は、そういうことではなく、「人々を統制する道具として宗教を用いてはならない」ということなのです。
「為政者が人々を奴隷のように扱うために、その『統制の道具』として宗教を使ってはいけない」ということが政教分離の意味であり、
「宗教は悪いものだから、公的な場から締め出す」というような意味に解釈することは間違いです。
(『救世の法』大川隆法著 幸福の科学出版)

●政教分離は宗教を保護し、自由な考えを護るため。
明治以降、外国の一神教のまねをし、国家神道を“一神教”として日本の国を支配しようとしたところ、数十年で、それは敗れたのです。
国家神道体制の下、国内においては、仏教もキリスト教も、それから、神道の他の諸宗派、いわゆる「教派神道」等も弾圧されていました。
国内を一つの宗教でまとめようとしていたのですが、戦後、占領軍が来て、宗教と国家の完璧な癒着関係を切り離そうとしました。それが憲法の「政教分離」の思想です。
それは、現行憲法上、「一つの宗教が国家の政治と完全に合体すると、ほかの宗教を完全に排除し、
また、人々の自由な考え方も排除してしまうので、そういうことが起きないようにする」という趣旨で定められているものです。

●「信教の自由」があれば「政教分離」は必要ない。
したがって、「信教の自由」そのものが保障されれば、むしろ、「政教分離」は必要がないものなのです。
本来の「信教の自由」があれば、国民に、信仰に関する「選択の自由」があり、宗教の自由市場のなかで、国民を幸福にさせる宗教が自然に選ばれていきます。
(《大川隆法政治講演集2009 第3巻》『日本の夜明けに向けて』大川隆法著 幸福の科学出版)

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2、編集後記
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「政教分離」という言葉だけから想像する意味と、
歴史をきちんと知った上での「政教分離」の意味は、
こんなに違うのですね。
思い込みで判断しないように、
自戒しないといけないと思いました。

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◆ 江夏正敏(えなつまさとし)プロフィール 
1967年10月20日生まれ。
福岡県出身。東筑高校、大阪大学工学部を経て、宗教法人幸福の科学に奉職。
広報局長、人事局長、未来ユートピア政治研究会代表、政務本部参謀総長、
HS政経塾・塾長等を歴任。
現在、幸福実現党・幹事長。
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