理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

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自衛隊へ送られた一通の手紙

2012年02月14日 07時07分07秒 | 旧・政治・経済、報道

自衛隊へ送られた一通の手紙
http://blog.livedoor.jp/dodonpa_1/archives/2987311.html

2012年02月12日

 

 


「これ、読んでください……」


 石井3曹に封筒を渡した少女は、名前も告げずに
走り去っていった。
少女は、母親と思しき女性の運転する車でやってきて、
偶然近くを歩いていた石井3曹に手紙を渡したのである。
 そこには、覚えたてのたどたどしい文字でこう綴られていた。

 
〈じえいたいさんへ。


げん気ですか。
  つなみのせいで、大川小学校のわたしの、
   おともだちがみんな、しんでしまいました。
  でも、じえいたいさんががんばってくれているので、
   わたしもがんばります。
  日本をたすけてください。
  いつもおうえんしています。
  じえいたいさんありがとう。


   うみより〉

 
石井3曹は込み上げるものを必死で堪えた。


 「胸がいっぱいになりました……。あの頃は、発災から
1か月が経とうとしており、疲れもたまっていたのですが、
あの手紙で、『明日からも頑張るぞ!』と皆、勇気が
湧いてきたのです。そして自分たちのやっていることが
人々のためになっているんだ、とあらためて認識しました」
 
その後、この手紙は第14旅団長・井上武陸将補の陣取る
女川の指揮所に届けられ、たちまち各派遣部隊に伝わった。
 
井上旅団長は言う。
 「手紙を見た時は、もう体中の血が逆流するほどの思いでした。

『よし、どんなことがあっても全員を捜し出すぞ!』という
思いが漲ってきましたよ。うみちゃんは、どんな思いで
この手紙を書いてくれたんだろうと思うと……」

 少女が自衛隊に寄せた『日本をたすけてください』という
切実な祈りに全員が奮い立った。中には、手紙のコピーを
手帳に挟んで災害派遣活動に励む隊員もいた。同県利府町の
加瀬沼公園に宿営地を設営した北海道の第1高射特科群のある
中隊指揮所にも、この手紙のコピーがボードに貼り付けられた。
 
東日本大震災から49日目にあたる4月28日、飯野川第二小学校
の体育館で、大川小学校の犠牲者の合同慰霊祭が営まれた。
祭壇には74の可愛らしい児童の顔写真が並んだ。
その中には、いまだ行方不明の6人の児童の写真もあった。
 
その間も、第14旅団の隊員たちは、うみちゃんの手紙を胸に、
行方不明の児童を捜し続けていたのである。

http://www.news-postseven.com/archives/20110804_27510.html

転載

 

 

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