中国が西沙に学校建設、ベトナム猛反発に
「相手にするな。第二次世界大戦の勝利の果実」
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2014-06-16 11:51
中国・海南省三沙市政府は14日、三沙市初となる学校の建設を
永興島で始めたと発表した。ベトナムは猛反発したが、広西社会科学院
の孫小迎研究員は「あまり相手にする必要はない。
中国は第二次世界大戦の戦勝国としての、勝利の果実を確固たるものに
すればよい」と述べた。中国新聞社などが報じた。
三沙市は、スプラトリー諸島(南沙諸島)、パラセル諸島(西沙諸島)、
中沙諸島を統括する行政組織として2012年に発足した。他国と領有権を
巡り対立する“海外領土”だけを区画とする、世界的に見ても特異な「市」だ。
永興島(ウッディ―島)は中国が実効支配するが、ベトナムも領有権を
主張するパラセル諸島最大の島で、同諸島で唯一の滑走路がある。
島の住民は軍人、人民武装警察部隊、三沙市政府職員で、漁業の基地
にもなっている。 三沙市政府によると、14日午前、同市初となる学校
建設に着工した。完成は1年半後という。同島には軍人や警察官の子で、
学齢期の児童が40人いる。 市には「学齢期児童の人数と将来的な
発展計画」があり、学校は小学校と幼稚園の併設で、小学校は1年から
6年まで各1クラス、幼稚園は3年生という。 パラセル諸島の領有権を
主張するベトナムは、抜鉤建設に猛反発。新聞は「厳重なる挑発」など
とする論評を掲載した。 広西社会科学院の孫小迎研究員は永興島で
暮らす軍人や漁民などの子のために学校を建設するのは「中国の成果改革
の成果を享受させること」と主張。ベトナムの反応については「いつもそうだ。
争議がないのに争議を作りだし、争議をあおりたてる」との見方を示し、
「あまり相手にする必要はない。中国は第二次世界大戦の戦勝国としての、
勝利の果実を確固たるものにすればよい」と述べた。 パラセル諸島や
スプラトリー諸島は戦前、まずベトナムを植民地支配していたフランスが
領有した。第二次世界大戦中には日本が支配した。敗戦にともない、
日本は撤退した。孫研究員の発言は「もともと中国の島だった。
第二次世界大戦に勝利した中国が取り戻した」との意味と解釈できる。
ただし、例えば西沙諸島については、中国が早い時期から記録したり、
地図に組み入れてはいたが、ベトナムは17世紀ごろからフランス植民地
になるまで同諸島を利用し、主権を確立していたことが分かっている。
中国には、第二次世界大戦まで日本が支配していた「海外領土」を、
無条件で自国のものと主張する傾向がある。
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◆解説◆ 中国は、「辛亥革命から1949年までの正統政府は
中華民国政府。1949年の中華人民共和国成立からは、
中華人民共和国政府が中国の正統政府」と主張している。
ならば、対外的には「新政府は旧政府の言動について制約を受ける」
ことになる。例えば、新政府が発足したからといって、旧政府が外国と
締結した条約は、無効とはならない。 第二次世界大戦中に中国の
指導者である蒋介石がかかわった外交的声明としては1943年の
カイロ宣言がある。同宣言には形式上の不備があるとされるが、
国の指導者が関与した意思表明であることに違いはなく、現在の
中国政府も第二次世界大戦期における外交文書として扱っている。
同宣言は戦争の意義について「自国のために、何らの利得をも欲求
するものにあらず。また、領土拡張の何らの念をも有するにあらず」と
した上で、戦争の目的を「第一次世界大戦の開始以降に日本が奪取
したり太平洋における一切の島嶼を剥奪する」、「満洲、台湾、澎湖島の
ごとき、日本国が清国より盗取したる一切の地域を中華民国に返還する」
と表明している つまり、南沙諸島や西沙諸島などが、「日本が中国
から奪ったものであり、本来は中国領だったとは書かれていない。
中国と領有権を争う国の側にとって「第二次世界大戦の果実として、
南沙諸島や西沙諸島が中国のものになった」との言い方は、「国として
の公式見解だったカイロ宣言の『領土不拡大』に反する、言動の不一致だ」
といった反発を招き、中国への不信感をさらに増大させる原因になり
かねない。 なお、サンフランシスコ条約、日華平和条約では、台湾に
ついての日本の領土権の放棄が明記されたが、帰属先が中華民国とは
書かれていない。
このため、台湾独立論者などを中心に「台湾の国際的地位は未確定。
中国とは完全に切り離された、中華民国ではない台湾の国を作ってもよい」
などの主張もある。(編集担当:如月隼人
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終了。