凡将にあらず! 国民の英雄「乃木将軍」の霊言(1)
2011-11-24 (木)
幸福実現党観察日記さん、ブログ転載
幸福の科学と幸福実現党では数多くの霊言を出しているが、
霊言に出てきた人物像と、現代の一般的な評価が激しく
食い違うことがある。
個人的に、「乃木将軍」はその最たるケースの
一つではないか、と思うのだ。
……日露戦争の名将・乃木希典将軍。
大川総裁は、招霊時に「国民の英雄、乃木将軍よ……」
と呼びかけていた。
しかし、この、乃木将軍に関しては、当時と現代で
評価が正反対なところがある。
たとえば、日本には、「だーるまさんがこーろんだ」
という遊びがあるが、あのかけ声が、
「乃ぉ木ぃさんはぁ、偉いひとぉ-」
というバージョンがあった。
このかけ声について、今でも覚えている人たちが多くいて、
管理人の若い頃は何の気なしに聞いていたのだが、今、
その話を聞くたびに、
「ああ、思えば日本には、つい最近まで、子供たちの
遊び歌に歌われるまでに慕われた将軍が存在したのだのだなあ」
と感慨深く思われる。
夏目漱石の「こころ」も、乃木将軍の殉死が
物語の幕引きに使われていたし、ほかの小説でも
乃木さんの殉死はとりあげられていた。
(この殉死に関しては当時の言論界でも賛否両論で、
だいたい社会主義者は否定的だったと記憶している)
それらを読むたびに、
「明治天皇が崩御して乃木将軍が殉死した」ということが、
いかに激しく当時の日本人の内面を揺さぶっだことかが
理解できる。
乃木将軍は、戦が強いと言うだけでなく、その
人格が高く評価され、非常に愛されていたのだろう、
とわかる。
ところが、現代では、乃木将軍はそれほど
立派な人物というイメージがない。
逆に、「乃木将軍 凡将説」というのが非常に広く、
深く、行き渡っている。
そのため、当時の小説を読んでも、逆に
「なぜ凡将がこれほど慕われたのか」が、謎として
見えてしまうところがあると思うのだ。
……はたして、当時の評価と、後世の「凡将説」は、
どちらが正当な評価なのか。
これに関して、2010年9月15日に、実現党と
して収録された「乃木希典の霊言」は、ちょっとした
衝撃だった。
(書籍「秋山真之の日本防衛論」に収録)
霊言に現れた乃木将軍は、「凡将」どころか、
これまで霊言に出てきた軍人の中でもきわめて
立派な人物だったのだ
乃木将軍の霊は、質問者からの「凡将」「凡将」
という侮辱の思念を淡々とうけとめ、物腰は丁寧で、
雅やかな敬語をつかってはいるが、
乃木将軍『あなたが読んだ歴史書のなかには、
「凡将」「凡将」と何度もかいてあるのだろうからねえ』
乃木将軍「君は自分のほうが軍略は上だ、と
思っておるのだろう?」(←このあたりの切り返し
聞いていてたいへん小気味良い)などと流しながら、
乃木将軍「敗戦に耐える役割をする、上に責任が
かからないようにするのが将としての仕事」
と、いう。
ここには、自分が凡将の汚名を被ることで、
明治天皇への悪評を防がれたのをよしとするような
驚くべき無心さがある。
さらに、
乃木将軍「君たちには負けの責任を背負いつつ
戦っていく胆力、責任感、信者や世間への説得力がない」
「あなたがたには自分たちのミスジャッジを
隠蔽する癖がある。潔さが必要。そういうものを
一手に引き受ける人がいる」
(書籍「秋山真之の日本防衛論」より)
……等々、幹部連にとっては一番痛いところを語りづめである。
あの霊言こそ、乃木さんに関して
「後世の評価のほうが明らかな誤りであって、
当時の文化人や民衆の評価のほうが正当であった」
と、明確に示した、貴重な霊言だった、といえる。
だが、なかなかこの実像が広まらないなあ……と
思っていたところ。
もう先月になるが、とある雑誌で、ある意味、
霊言の「裏を取る」ような特集が組まれていたので驚いた。
まことに、つい数十年前に存在した英雄について
調べることは、国難にあって苦しむ日本人の心を励ましてくれる。
……というわけで、乃木さんの件に関して少し
更新させていただきたく思います。
。
そういえば、私の先祖もその旅順戦で亡くなってますが、当のその息子(祖父)からは乃木将軍を悪く言った言葉は決して聞きませんでしたが、司馬さんの小説を読んだ私の父のほうが低い評価をしていましたね。
さらっと読みすぎていました
書籍は深く読み込まないと・・・魂まで
染みわたっていませんでした。
人に伝えようと言葉にするとき、自分の未熟さがよくわかります。。心に落とし込む、読み方が必要みたいです