ポピュリズム政党・みんなの党が原発継続を国民投票に
http://kurokawa-hakuun.hr-party.jp/2011/08/812.html
黒川白雲氏、ブログ転載
8月6日 広島市内のホテルで『鎮魂、そして平和への決断』シンポジウム
みんなの党は11日、福島第1原発事故を受け、
原子力発電継続の是非を国民投票で問う
「原発国民投票法案」を参院に提出しました。
「みんなの党」は、その党名通りのポピュリズム政党で
あると言えます。
最近の地方政治は住民投票などの"直接民主制"ブーム
ですが、国政にまで"直接民主制"が及んでいることを
見るにつけ、「国政のポピュリズム化」を憂う次第です。
アメリカ建国の父たちによる合衆国憲法の解説書で
ある『ザ・フェデラリスト』には、ポピュリズム的な
直接民主制こそが、専制政治への転落であると厳しく戒め、
次のように記しています。
「[共和制(代表民主制)においては]世論が、選ばれた
一団の市民たちの手を経ることによって洗練され、かつ
その視野が広げられるのである。
その一団の市民たちは、その賢明さのゆえに、自国の
真の利益を最もよく認識しうるのであり、また、
その愛国心と正義心とのゆえに、一時的なあるいは
偏狭な考え方によって自国の真の利益を犠牲にするような
ことが、最も少ないとみられるのである。
このような制度の下では、人民の代表によって表明された
公衆の声のほうが、民意表明を目的として集合した
人民自身によって表明される場合よりも、よりいっそう
公共の善に合致することが期待されるのである。」
(『ザ・フェデラリスト』アレグザンダ ハミルトン他著、
斎藤真・ 武則忠見訳、福村出版)
すなわち、代表民主制(間接民主制)は、直接民主制
よりも、その見識と愛国心、正義心において「よりいっそう
公共の善に合致することが期待される」のであり、直接
民主制へ回帰する流れは代表民主制の否定そのもので
あります。
かのモンテスキューも、『法の精神』(野田良之訳、岩波
書店)において、「人民はその代表者たちを選ぶためにのみ
統治に参加すべきである。これは人民の力のよく及ぶ
ところである。なぜなら、人間の能力の正確な程度を
知る人は少ないにしても、一般に各人は、自分の選ぶ者
が他の大多数の者より識見があるかどうかを知ることは
できるからである。」と述べ、直接民主制ではなく、
代表民主制の優位を説いています。
モンテスキューは、古代の共和制の「大きな欠陥」として、
直接民主制の存在を指摘していますが、その欠陥の
克服のために、代表民主制を挙げています。
日本国憲法前文の冒頭にある「日本国民は、正当に
選挙された国会における代表者を通じて行動し......」と
いう代表民主制の宣言も、この思想を汲むものです。
米軍基地問題、原発問題などの安全保障問題の判断
については、極めて国家的問題であり、エモーショナルな
議論ではなく、理性的かつ中長期的に国家の国防・
エネルギー戦略に基づいて検討を積み重ねて
いくべきマターです。
特に、原発問題は国家の命運を左右する重要な国策
であり、一時的な国民感情によって決定されるべき
ではなく、日本の未来ビジョンから演繹的にエネルギー
政策を考え、原発政策を決定すべきであり、
「原発継続か、全廃か」といった単純な「結論ありき」の
問題ではありません。
その意味で、米軍基地移転問題の判断を沖縄県知事選
や名護市長選に丸投げした民主党と同じく、みんなの党
も「ポピュリズム政党」の典型であり、国政の責任を
放棄しようとしているに過ぎません。