昭和天皇とマッカーサーの会見秘話[HRPニュースファイル1467]
http://hrp-newsfile.jp/2015/2369/ 文/幸福実現党・政務調査会 佐々木勝浩氏
◆占領軍マッカーサー元帥を感動させた昭和天皇の言葉
昭和天皇の終戦の御聖断【前編】
http://hrp-newsfile.jp/2015/2356/
昭和天皇の終戦の御聖断【後編】
http://hrp-newsfile.jp/2015/2359/
昭和天皇の御聖断によって終戦を迎えた日本ですが、敗戦、占領、それは日本の歴史始まって以来の経験です。
そしてマッカーサー元帥率いる占領軍は、焦土と化した日本に怒涛の如くやってきました。
そのような中で昭和天皇は自分の命を省みず、マッカーサー元帥のもとを訪問されました。時は昭和20年9月27日のことです。
この昭和天皇の訪問の知らせを聞いたマッカーサー元帥の脳裏にはあることが浮かんでいました。
第一大戦直後、占領軍としてドイツへ進駐した父に伴っていった時のことを思い出したのです。この時も敗戦国ドイツのカイゼル皇帝が占領軍の元に訪れました。
カイゼル皇帝は占領軍にこのように言いました。
「戦争は国民が勝手にやったこと、自分には責任がない。従って自分の命だけは助けてほしい。」
まさに命乞いに来たのです。
これを思い出したマッカーサー元帥は、昭和天皇もまたカイゼル皇帝と同じく命乞いに来るのだろうと思ったのです。
ところが、昭和天皇の言葉は全く逆でした。マッカーサーは後にこの時の模様を次のように回想しています。
「どんな態度で、陛下が私に会われるか好奇心をもってお会いしました。しかるに実に驚きました。陛下は、戦争責任の問題を自ら持ち出され、次ようにおっしゃいました。」
『私は、戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また、私は、日本の名においてなされた、すべての軍事司令官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。私は全責任を負います。』
「これが陛下のお言葉でした。私は、これを聞いて、興奮のあまり、陛下にキスしようとしたくらいです。」
「もし、国の罪をあがなうことができれば進んで絞首台に上ることを申し出るという、この国の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後高まるばかりでした。」
(「天皇を讃えるマ元帥」昭和39年9月14日読売新聞)
最初、マッカーサーは、ノーネクタイで昭和天皇を迎えましたが、昭和天応がお帰りになる際は、まるで侍従であるかのように敬虔な態度で握手してお車を見送ったのです。
昭和天皇は、マッカーサーにこの会見の事実は決して他言しないという「男の約束」を交わし別れました。
昭和天皇は、約束通りその事実を誰にも語られませんでしたが、昭和39年になって重光外相の渡米の際、マッカーサーはその時の感動の思いを押さえられず、重光外相に話してしまったのです。
◆日本の奇跡
「王朝は敗戦を切り抜けることはできない」これが世界の常識です。
先ほどあげたカイゼル皇帝に限らず、ロシア、オーストリア、ハンガリー、セルビア、トルコ各国の王室は廃絶され、また一部は処刑されました。
第二次大戦時も先に書いた通り、ドイツのヒトラーは自殺の末路をたどり、イタリアのムッソリーニは民衆にリンチされ死体は何日間も逆さづりにされ罵倒、むち打ちされました。
イタリアのエマヌエレ三世は民衆の反感にあいエジプトに亡命、後を継いだウムベルト皇太子も亡命し王朝は消滅したのです。
また、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、ユーゴスラビア、アルバニアなとも共産政権樹立とともに王室は絶えました。
しかし敗戦した日本は今でも「天皇」が存続しています。これは、歴史の奇跡と言ってもいいのです。
なぜ「天皇」は存続できたのでしょうか。そこには2千年にわたる歴代天皇によって受け継がれてきた「天皇の徳」というものがあるからなのです。 これが日本の国体(国柄)というものです。
歴代天皇に受け継がれてきた「天皇の徳」、「日本の国柄」については、また機会をあらため紹介いたします。
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