「米大統領選、ヒラリー・クリントン氏、初の女性大統領へ」が、偏向報道である理由

11月に投開票されるアメリカ大統領選は、民主・共和両党がそれぞれの党大会を終え、正式に本選挙の火ぶたが切って落とされた。
民主党は大本命のヒラリー・クリントン前国務長官が、若者に革命ブームを起こしたバーニー・サンダース上院議員を抑えて、公認指名を獲得。サンダース氏の支持者らの間に反発はくすぶるが、副大統領候補のティム・ケイン上院議員とともに、本選挙に臨む。
対する共和党は実業家のドナルド・トランプ氏が、いくつもの「暴言」を批判されながらも公認候補の座を射止めた。しかし、党内は一枚岩とは言えず、トランプ氏自身も結束を高めるために腐心している様子がうかがえる。
それが表れているのが、副大統領候補選びだ。トランプ陣営は当初、予備選を最後まで戦った穏健派のオハイオ州知事、ジョン・ケーシック氏にアプローチしていた。トランプ陣営が「内政と外交を任せてもいい」とケーシック氏側に打診していたというから、同陣営がいかに必死に副大統領候補選びを行っていたかが伝わってくる(もっとも、内政と外交を任せてしまったら、トランプ大統領の手元に、仕事は何も残らないようにも思えるが)。
今回の大統領選は、クリントン氏とトランプ氏という、史上まれに見る低い好感度を誇る候補同士の対決で、どちらの党も分裂含みの状況と言える。ここであえて注目したいのは、日本のメディアが11月までの選挙戦をいかに伝えるかだ。
クリントン氏は、女性として初めて二大政党の候補者となったという自身の立場を大いに意識しており、党大会でもそうした演出を行った。そして、ファースト・レディー時代から日本でも広く知られている彼女が、女性初のアメリカ大統領になるのかどうかに注目している人々も多いだろう。だが、その点にばかり注目してしまうと間違いが起きる。
「女性だから」クリントン氏が大統領になるかに注目するなら、それなら、女性「ならば」誰でもいいのかということになってしまう。例えば、日本でも民進党の蓮舫氏といった全国的に知名度のある女性の政治家はいるが、彼女が女性だからといって「ぜひとも首相に」ということにはならない。政治家になるべき人物はまず、その性別や家柄よりも、政治家としての資質が問われるべきだからである。
政治家としてのクリントン氏はスキャンダルの山だ。しかも、国家の指導者としての資質を疑われるような内容のものばかりである。例えば、クリントン財団への海外からの献金の見返りに、外交政策を操作して献金者に便宜を図っていたという疑惑や、ハッキングの危険があったにもかかわらず私用メールで機密情報をやり取りしていた問題などがある。
こうした問題をわきにおいて、「女性初のアメリカ大統領誕生なるか」といった注目の仕方をするわけにはいかない。そして、「『暴言王』のトランプ氏に大統領になる資格はあるか」といった議論をするわけにもいかない。トランプ氏の発言には問題が多いとしても、それ以上に、自身が大統領にふさわしくないことを行動によって示してきたクリントン氏の政治家としてのキャリアの方に、目を向けなければならない。
“中立”とされる日本のメディアは、こうした点をいかにバランスしながら伝えるのだろうか。遠い外国の話と思うことなかれ。他国の大統領選で本当の争点をごまかしてしまうメディアは、きっと、自国のリーダー選びも同じように扱う。21人が立候補していながら、「主要三候補」しか存在しないかのような都知事選の報道が、その証拠の一つだろう。