釈迦の本心一政治編 2010.8.20メモ、その2。
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/6cb480a1769fda9f0152a85b0e2a232bからの、続き
神仏や高級諸神霊の存在を無視し、人間だけが自我の塊の集団として、
この世の全てを思うがままに動かせると思っているなら大間違いである。
この世でいかなる大政治家、大学者、大思想家、大科学者であろうとも、
思想が神仏の心にかなわない、誤ったものであるならば、因果の理法から、
カルマの刈り取りが行われることになる。
来世で、その罪をあがなわなければならない。
今、私たちは、一人ひとりの心の原点に立ち返って、
心から心へ、魂から魂へ、教えを届けなければならない。
同時に、今のままであっては、この時代が救えないということも、
強く認識しなければならない。
世界を救えないというばかりでなく、この日本という土地に住む人々の
魂すら救えないということは、限りなく悲しく思われる。
私たちは、悪を放置することができません。私たちは邪悪なるものを、
はびこらすことはできません。私たちは、人々の心に悪を広げていく行為を、
黙認することができません。
この世の仕組みをつくっているのが政治であるならば、宗教もまた、
この世の仕組みが邪悪なるもののほうへ引っ張っていかれないように、
戦う仕事が待ち受けている。
この世において、悪しき思想のほうが多数化し、正しい思想のほうが
少数化している時代は、看過してはならない。
絶対、この世における、ユートピア価値革命、幸福維新が
成し遂げられなければならない。
言い訳や、愚痴や、不平や、不満の中で、自分たちを正当化するのは
止めようではありませんか。
私たちが今、考えねばならないことは「何ができるか」。
少しでもいい。一歩でもいい。
一掬(すく)いのものでもいい。
しかし、「何を一歩として踏み出せるか」、それを一人一人が
真剣に考えるべきときではないかと思うのであります。
宗教の、信仰の結果は、必ず政治の結果へと影響するものだと
信じるものです。
母集団の「幸福の科学」において、信仰心がまだ本物になっていない。
真理のつまみ食いをしている。
自分たちの都合の良いところだけを取り出して、自分たちの一部とし、
都合の悪いところは無視して、自らの計らい心でもって、聞かずにいる。
この世の枠組みを変えるべく、努力するのが政治。
決して、政治のシステムを、悪の再生産システムとし
て稼動させ続けてはならない。
我らは、必ずやその悪を粉砕し、戦車のごとく突き進んで
いかねばならないと思います。今、必要なのは、よりいっそうの
「信仰心」と「力強い行動力」であります。
言い訳をする余裕があるならば、その言論をもって人々に真理を教え、
人々の迷える心、悪しき心を粉砕するために使えということ。
この世のあり方も、きちっと見直していくことが、宗教の使命の一つである。
信仰を中心的な支柱として立ち上げ、
信仰を中心とした政治が行われる国家、宗教を尊いものだと奉じる
国家として、この国を変え、世界を変えていく力としなければならない。
続3へ