http://biz-journal.jp/2016/10/post_16792.html 2016.10.02 連載 連載 福島香織「核心に迫る」
中国、「民主の村」弾圧で村民と3千人の警察隊が血の抗争…習近平ら中央権力闘争が激化
文=福島香織/ジャーナリスト「Thinkstock」より
2012年に中国で民主的に自治を獲得したとして国際社会でも話題を集めた広東省汕尾市陸豊市東海鎮烏坎村に、再び風雲が立ち込めている。村の民主的選挙で選ばれた村長が今年6月、濡れ衣に近いかたちで汚職容疑で逮捕され、村人たちが85回にわたり村長釈放を訴えてデモを続けていたが、ついに9月13日、当局は3000人の警官を派遣して抗議活動の首謀者らの逮捕に踏み切った。 このとき、村民らが投石などで抵抗、警察側が催涙弾やゴム弾で鎮圧した結果、負傷者50人以上の流血の騒ぎとなった。現場では海外メディアは排除され、厳しい統制下にある。逮捕・拘束者は70人に上り、現地取材を試みた「香港01」などの記者ら5人も拘束され、強制退去させられた。
胡錦濤政権末期に民主的自治を勝ち取った村がなぜ今、このような目に遭っているのか。
烏坎の乱
この事件について理解するためには、まず2011年から12年にかけて起きた通称「烏坎の乱」から説明しなければならない。この村はもともと、共産党上級機関(陸豊市)から指名された村の党支部書記が牛耳る、よくある中国の農村だった。
中国の農村は村民直接選挙で選ばれる村長(村民委員会主任)と党上級機関から指名される党書記に支配される二重支配構造だが、実際のところは党書記が村長を兼任するか党書記の子分が村長になるなどして、党が農村運営の実権を持つ。烏坎村では、この党支部に牛耳られた村民委員会が村の農地使用権を勝手に広東省大手不動産業者らに7億元あまりで譲渡し、そこに暮らしていた村民には1世帯当たりわずか550元程度の補償金で立ち退かせ、ほとんどの利益を着服していた。この不正事件を発端に、党支部・村民委員会と村の若者の間に激しい対立関係が生じ、11年9月21日、村民3000人規模の抗議デモに発展、当局はこれを数百人の警官隊で鎮圧しようとするも、抵抗を受け、十数人が負傷する流血事件に発展した。このときの負傷者のうち2人は児童で重症を負った。対立はさらにエスカレート、村民側は自分たちで選挙を行って村民臨時代表理事会13人を選出し、旧村民委員会の解散を訴えた。
こうした状況に陸豊市・東海鎮側は、村の書記らを汚職容疑で更迭するも、村民が選出した臨時代表理事会は違法組織だとして、理事会副会長の薛錦波ら5人の理事会役員を逮捕した。村民はこれに不満の声を上げるが、当局は警官隊に村を包囲させて食料の流通や生活インフラを止め兵糧攻めで村民を締め上げる作戦に出る。
一方、薛錦波は逮捕された翌日、警察の拷問が原因で死亡し、村民の抵抗運動はさらに激しくなった。村民は当局の暴力と兵糧攻めに対抗すべく、インターネットのSNS・微博を駆使し、村内で起きていることを映像も交えて逐一発信。さらに、香港や外国のメディア関係者を当局の封鎖の網をかいくぐって村に引き入れ、事実を報道させた。
こうした作戦実行の主力は、90后(1990年代生まれ)の若者たちであり、当時中国各地で起きていた若者の労働争議や環境汚染反対運動などの社会運動の潮流とあわせて、「90后の反乱」とも呼ばれた。事態の悪化が周辺の農村に波及することを恐れた当時の広東省党委書記の汪洋(現・副首相)は、側近で当時副書記だった朱明国を現地に派遣、臨時代表理事会顧問の林祖恋と直接交渉を経て、陸豊市の頭越しに、臨時代表理事会を正式の組織と認める発表を行った。 こうして12年1月15日、陸豊市党委員会は臨時代表理事会顧問の林祖恋を正式に村民代表兼党支部書記に選出し、旧来の烏坎村党支部は解散させられた。このとき、新書記に任命された林祖恋は同年3月、村民委員会選挙で村長に選出された。この事件によって、その後烏坎村は主に海外から「草の根民主の村」と呼ばれるようになった。
再び弾圧
だが、この「民主の村」が今年6月以降、再び弾圧されはじめる。まず、村長の林祖恋が6月17日深夜、いきなり汚職で逮捕された。冤罪だとみられている。林祖恋は11年の烏坎事件の原因ともなった土地強制収容問題の解決を求めて、上層機関に陳情にいくことを同月19日の村民大会で謀り、同月21日にも陳情を実行する心積もりだった。逮捕はこの陳情行動を妨害することが目的だとされる。
村民は19日以降、村長釈放要求デモを繰り返し、村に進駐していた重装備の警官隊と対峙。だが上級機関の汕尾市政府の取り調べに、林祖恋は自分の罪を自白した。「法律知識が浅いために、建設プロジェクトの管理職務にあることを利用して、民生建設プロジェクトの発注の便宜を図るために巨額のキックバックを受け取ってしまいました」と述べたのだ。この自白の様子をビデオ撮影したものは当局に公開され、起訴、裁判を待たないで有罪印象を決定づけた。林祖恋の孫が人質として拘束されたため、嘘の自白をせざるを得なかったということが、のちに明らかとなった。
以来約3カ月、烏坎村は当局の厳しい監視下と統制に置かれた。そのなかで、村民たちは村長釈放を求めて約85回のデモを続けてきた。そして9月8日、林祖恋に懲役3年1カ月の実刑と罰金20万元の判決が言い渡された。当局は8日から10日まで抗議デモを行うことを禁止すると通達したが、村民たちはこれに抵抗。当局サイドは13日未明、いきなり3000人の警官隊を村に突入させ、デモの首謀者とみられる村民13人の逮捕に踏み切った。村民はさらに抵抗したので、警官隊はゴム弾、催涙弾を用い、負傷者は50人以上に上った。老人が血まみれになって倒れる様子などが映った生々しい映像が、一部インターネット上で流れ、その様子に天安門事件を思い出す人も少なくなかった。
村にはまだ武装警察が駐留し、村民との緊張関係が続いている。今のところ死者は出ていないが、村民の抵抗が長引けば、本格的武力鎮圧が起きるのではないかと国内外の人々が固唾をのんで見守っている。
中央レベルの権力闘争が飛び火か
なぜ中国当局は、今年になって烏坎村に対して、このようなアクションをとったのだろうか。12年の烏坎の乱終結からおよそ5年、「自治の村」とはいえ、林祖恋は党書記を兼務している党員であり、村の運営は必ずしも反党的ではない。土地問題の解決は村長兼書記としての任務であり、そのことで上級機関に陳情を行うことは違法でもない。
そもそも農村の土地問題の陳情など毎日のように全国で履いて捨てるほど行われ、ほとんど解決しない。烏坎の土地問題もそうして5年たっても放置され続けてきたのだ。汚職で逮捕というのは誰がみても建前にすぎない。本当の狙いはなんなのか。
これは推測でしかないのだが、やはり中央レベルの権力闘争が絡んでいるのではないか。
たとえば、米国が運営する多言語ラジオ放送『ボイス・オブ・アメリカ』の討論番組(9月16日)で在米華人学者たちがこんな意見を示している。
「中国では毎年数万の民間集団事件が発生しているが、習近平はこうした挑発行為を絶対容認せず、手段を選ばず鎮圧にかかる。催涙弾、ゴム弾を徒手空拳の村民に向かって発砲したのは、習近平の農民の乱の対する姿勢を非常に露骨に示している。これはかつての汪洋の“懐柔”処理方式を否定する意味もあり、新しい権力闘争のかたちであろう」(在米華人評論家・王康)
「(広東省党委書記の)胡春華がこのような大胆な手に打ってでたということは、すでに彼はプリンス(習近平の後継者、次期総書記の座)の立場を失っているということだ。中国共産党体制内にあっては、後継者というものは、かつての胡錦濤にとっての習近平のように、極めて慎重に目立たないようにすることが重要だ。胡春華のこのような対応は、(習近平に対する)服従の姿勢ではなく、挑発だといえる」(人権組織「公民力量」創始人・楊建利)
この烏坎村の武力鎮圧が習近平の指示であるか、あるいは広東省党委書記の胡春華かそれ以下の地元政府の独断であるかによって見方が変わる。はっきりいえることは、5年前に村民自治容認というかたちで決着をつけた汪洋のやり方を完全に否定するものであり、現在の広東省党委書記の胡春華は、この事件をどのようなかたちで処理しても、その責任を多かれ少なかれ追及される立場にあるということである。汪洋も胡春華も、共産主義青年団出身の「団派」と呼ばれる派閥に属し、習近平とは政治的に対立する立場である。なかでも、胡春華はその年齢や地位から、習近平が引退あるいは失脚した後、その後継者になり得るといわれており、習近平がもし長期独裁政権を目指しているとすれば、この胡春華を失脚させなければ枕を高くして寝られない
党中央人事が激変の可能性も
習近平政権発足後、広東省では東莞市の売春産業撲滅運動に始まって、大規模な反腐敗キャンペーンがいくつも展開され、摘発された腐敗官僚の数は全国で一番多い。それは胡春華を失脚させるために、習近平サイドがその粗探しをしているからだといわれている。
その習近平の狙いを察知している胡春華は、いち早く「腐敗ゼロ容認」のスローガンを掲げ、いかにも習近平の方針に従って汚職摘発に力を入れている姿をアピールすることで、その責任追及を逃れてきた。その姿から、一部では胡春華は団派から習近平派に鞍替えした、という噂まで流れるくらいだ。
だが、私が北京消息筋から聞いたところでは、胡錦濤・李克強を中心とする団派では、胡春華を守り抜く、という目的で一致しており、そのためにたとえば汪洋が泥をかぶることも覚悟の上だという。汪洋は胡春華の前任の広東省党委書記で、今、広東省で汚職が多く摘発されれば、汪洋書記時代に汚職が見逃されていたということになり、汪洋の責任が問われかねない。そういった習近平派と団派の権力闘争の文脈で考えると、汪洋の遺産とも呼ばれる「烏坎村の草の根自治」を胡春華に弾圧させるやり方は、習近平の胡春華に対する手の込んだ嫌がらせであり、今後、事件がどう転がるかによっては、党中央人事が激変しかねない事件なのだ。
しかしながら、党中央の政争に巻き込まれるかたちで村長が冤罪で実刑を受け、村民たちが一度手にした草の根民主を手放さねばならないというのは、なんと理不尽なことだろう。
人民の暮らしそっちのけで権力闘争に明け暮れるこの体制が変わらないかぎり、中国の安定と発展の時代が巡ってくるとは思えない。
(文=福島香織/ジャーナリスト)