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私は、そうした時代に生きていることを、
自分自身が一瞬たりとも忘れることがあってはならないと、
深く深く感じるものがある。
それは大きな使命なのである。
過去、あなた方が幾転生したかは
数えきれないであろうが、
それにしても、これほどの時代に出るということはないのである。
私は、決して危機の予言者として現れたわけではない。
人類の危機のみを予言するために、
あなた方の前に立ちはだかる不幸の予言をするために
来たわけではない。
そうしたものが予想されればされるほど、
その危機の時代を切り拓き、
暗雲を吹き払い、
未曾有の人類の苦しみを消し去るために、
今、立ちあがっているのである。
危機の予言を、むしろ打ち砕くために、
危機の予言を外れさせるために、
闇のなかに希望を灯すために――。
夜が来るということを言いたいのではない。
夜が来てもそのなかに光を灯すと、
必ずや真理の光を灯すと、
世界が闇に没する時に、光はその時こそ必要なのだと。
それを言いにきた。
いや、言いにきただけではない。
まさに、私たち一人ひとりが一本の蝋燭となって、
そうした仕事をせねばならない時代にあるということを、
言いにきた。告げにきた。
告げにきただけではない。
一本の蝋燭とならずして、
今世地上を去ることは許さない。
そう言いにきたのである。
中略
たとえ命尽きるとも、
たとえ己の命を削ってでも、
私はあなた方に訴えかける。訴えつづける。
それが使命であるからである。
人間としてのかたちをとって、
今、生かされていることは、
私にとっては幸福なことである。
私が、あなた方の前に
人間の姿をとって生まれることは、
非常に難しいことであるのだ。
めったに生まれることができないのである。
あなた方の多くは、幾転生をくり返すことができる。
数十年、数百年で生まれ変わることができる。
しかし、私はそうはいかない。
私が生まれ変わる時は人類の危機の時であり、
新文明が起きる時以外にない。
そうした時にしか、
私は生まれてくることができないのだ。
だからこそ私は、
命を削ってあなた方に訴えている。
真実の教えを知ってほしい。
知ったならば、伝えてほしい。
これは伊達や酔狂のために言っているのではない。
己自身の名誉のために言っているのでもない。
利得のために言っているのでもない。
この千載一遇のチャンスを、
肉体に宿るという、こういうチャンスを生かさずして、
この思想を、肉声にて、
直接に、あなた方に伝えることはできないからである。
私が、命のかぎり伝道したとしても、
しかし、世界には五十億人を超える人たちがいる。
地上を去った世界には、五百億人の霊人たちがいる。
地獄という世界には、
あなた方の先輩で迷っておられる方がたが
何十億人もいるのだ。
そうした人たちに、一人ひとり手を差しのべることが、
どれほど難しいことであるか、
あなた方はわかっているであろうか。
それは、一人、二人の力でできることではない。
それは、全人類を挙げてやったとしても、
そう簡単にできることではないのである。
我らは、そのような偉大なる理想のもとに
幸福の科学の旗を掲げているのである。
これより後、一切の妥協はない。
これより後、真理は、ただひたすら行軍をしてゆくのみである。
我ら、命尽きるとも、
その法の灯は途絶えることはない。
この日の本の国に、この日本の国に掲げられた真理の法灯は、
決して消してはならない。
この法灯を守り続け、広げ続け、
そして日本に、全世界に広げ続けてゆくことこそ、
我らが今生の使命なのである。
御法話『悟りの極致とは何か』より抜粋
1989年12月17日東京・両国国技館にて
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