◆胎児は人か人未満か? 訴訟社会アメリカで起きた論争
リバティニュースクリップ 1/29 転載
http://www.the-liberty.com/
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◆胎児は人か人未満か? 訴訟社会アメリカで起きた論争
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=5545
過去の医療過誤事件における裁判の判決について、事件が起こった
地元「コロラド・インディペンデンス紙」の記者が改めて問いかけた
ところ、アメリカのネット上で注目されている。
2006年にアメリカのコロラド州で、肺塞栓症の女性が病院に運び
込まれたが、心臓麻痺を起こして間もなく亡くなった。
同時に彼女の胎内にいた妊娠7カ月の双子も助からなかった。
それに対して、女性の死は防ぎきれなかったことは仕方がない
としても、「胎児の命を救えなかったのは救命に当たった医師の
怠慢ではなかったのか」と亡くなった女性の夫が病院を
相手どって訴訟を起こした。
コロラド州の裁判所は「まだ生まれていない胎児は"人"と認められ
ないので人権はない。よって医師の責任は問えない」との判決を下した。
その後の議論の経過が、宗教に無関心な日本では考えられないもの
なのである。実は、その女性が救急搬送されたのが、全米で
非営利の医療施設を展開しているカトリック系の病院だったからだ。
夫側が「カトリックの教義では、胎児も人であると定めているはず」
と反論し、地元のカトリック教会の司教たちまでが巻きこまれて、
「係争中の案件について現時点では明言できないが、確かに
カトリックでは、受胎の瞬間から死の瞬間まで、人としての尊厳が
守られるべきだと説いている。遺族のために、病院側にカトリックの教えに
忠実な対応を誓わせるよう約束する」と声明を出す騒動に発展した。
産児制限や人工中絶を防ぐために強く主張されている
「胎児も人」の教義が、病院側にとっては裏目に出たということ
だろうか。
アメリカの裁判で「生命や人権の定義」に関して、宗教の教義や
倫理観を基礎に置いて議論をしようとすることは、日本でも見習う
べき面がある。しかし、伝統的なキリスト教は、人間の生命について
霊的な視点や正しい知識が不足しているために、不毛な論争に
陥ってしまうことも否定できない。
幸福の科学は、「人間存在の本質である魂は永遠不滅であり、
何度も転生輪廻を繰り返して魂修行をしている。
地上に生まれ変わって来るときは親となる人と約束をし、母親の胎内に
誕生した肉体に、およそ妊娠9週目くらいに魂が宿る」という、
生まれ変わりの真実を説いている。
つまり、前述の事例の「妊娠7カ月」では、すでに胎児には魂が
宿っていたことになる。
突然の母親の死によって、宿っていた新しい生命も生まれることが
できなかったことは悲劇であり残念なことであるが、本当に議論
されなければならないのは、亡くなった胎児の「人権の有無」ではなく、
亡くなった人たちの魂が再びチャンスを得て地上に生まれ変わって
こられるよう天国に還るための「魂のケア」が、医療の現場にも
必要だということだろう。(宮)
【関連記事】
2012年4月号記事
キリスト教に足りない霊的知識
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=3869
◆ネアンデルタール人のクローン製造を米科学者が計画 その是非は?
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=5544
ネアンデルタールと現代人のハイブリッドをクローン技術で作るため、
代理母を募集するという途方もない計画がハーバード大学で進め
られようとしている。ジョージ・チャーチ教授がドイツのシュピーゲル誌
のインタビューで語り、各紙が報じている。
チャーチ教授の計画によると、まずネアンデルタール人の骨の
サンプルから遺伝コードを分析して人工的にDNAを作り、ヒトの幹細胞に
注入、この細胞をヒトの胚に入れ、代理母の子宮に着床させるというもの。
教授は、ネアンデルタール人は高い知性を持っており、
「新ネアンデルタール人」創造は人類に大きな利益をもたらすだろうと
語っている。
確かに最近の研究では、ネアンデルタール人は、その原始的という
イメージとは異なり、様々な道具を使いこなし、知性も感性も豊か
であったということが判明している。ちなみに、ゲノム解析が進む
ことで、どうやら、現生人類(ホモ・サピエンス)と異種交配を行って
もいたこともわかり始めている。
ネアンデルタール人は人類の直系の祖先ではないとされていたが、
どうやらそうでもないようだ。
人間のクローンは各国で禁じられているが、ネアンデルタール人は
現代のホモ・サピエンスではないのだから法の適用外であると教授は
言っている。
ただ、こういった理屈は、適用される法の規定が欠けていると
いうだけの法の欠缺(けんけつ)と言えるかもしれない。
しかし、霊的な真実を言うと、問題の本質は、そのような
ことではない。人間の知性や感性など個性を決めるものは
遺伝子ではなく、肉体に宿る「魂」であるということだ。
肉体という器をどれほど精巧に作っても、そこに宿る魂が
知性や感性などを決めるのだ。
また、通常の生殖過程を経ない場合、動物霊が宿る可能性も
あるともいわれている。
この「実験」には、倫理性を問う疑問や批判もあがっているが、
正しい霊的知識がなければ、問題の本質は見えてこないだろう。
純)
【関連記事】
2004年9月号記事
「移植」に代わる先端医療を追う
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=198
◆【注目書籍】中国の気概があふれる一冊『2030年中国はこうなる』
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=5543
2030年に中国はどうなっているかを予測した本だが、驚くほど楽観的な本だ...
。
浮かばなかったわ。情けない
この場合は人ではないね。
「生き物を殺生するな!」が仏教の教え。
どんな魂でもこの世で修行する仕組みと教えられています。
胎児のまま殺しても殺されてもどちらも修行か。。。
いずれにしても本当の教えを知らないと辛い修行になりますね。
というのは知ってましたが、妊娠9週目くらいというのは
忘れてましたね。どうしてもいろいろな事情があり、中絶しなければいけないとなるとその前だといいんでしょうかね?
んー 完全肯定はできない問題ですね。かといって、
原理主義的になるのもどうかと。んー