http://888ichigo.blog.fc2.com/blog-entry-72.html 安田一悟の異次元歴史ミステリーさんより
ノストラダムスの予言は、まだ終わってはいない
2017/03/23
2017/03/23
「あれっー『ノストラダムスの予言』は、1999年7の月で終わった。あれだけ日本や世界を騒がせて、ほとんど外れたではないか。「何を今さら『ノストラダムスの予言』だ」と、思われる方が多くいらっしゃると思います。しかし著者は、全然外れたとは思っていないのです。なぜならば「人類を救う『別のもの』とは何か?」が、まだ分かっていないからです。この『別のもの』が分からければ『ノストラダムスの予言』を最終的に解いたとは言えないからです。
つまり著者は「『ノストラダムスの予言』は、拙著『アンゴルモアの大王』の冒頭にも書いたように、『パンドラの箱』である」と思っているのです。「パンドラの箱」とは、ギリシャ神話の、パンドラが、ゼウス神より預かった箱を開けてしまったために、いろいろな災いがふりかかってきます。しかし「最後は希望が残った」という話です。
そのようにノストラダムスは、いたずらに人類に「恐怖の予言」が降りかかってくることだけを警告したのではないのです。最後に残された「救いの予言」も語っていたのです。じつはこちらの最後の「希望の予言」の方がはるかに重要な予言なのです。
その「ノストラダムスの『救いの予言詩』とは何か?」というと、それは「もし『別のもの』が現れてくるならば、そこで、わが『恐怖の予言』は終わるであろう」という、きっぱりとした予言詩なのです。
すなわちノストラダムスの「希望の予言詩」の中で、人類を救う最大のキー・ワードは、この「Autre」(オートル)「別のもの」です。
では、その「『別のもの』とは、いったい何でしょうか?」
「別のもの」とは、ノストラダムスの「恐怖の予言」に対して「別のもの」ですから、「希望の予言」でなければならないはずです。それは「人類を救う3つの可能性」のことです。
「別のもの」とは、ノストラダムスの「恐怖の予言」に対して「別のもの」ですから、「希望の予言」でなければならないはずです。それは「人類を救う3つの可能性」のことです。
その「3つの可能性」とは何でしょうか?」それは、まず
1番目に、人類を救う「別のもの」は、「『太陽の法』と『金星の法』という「霊言」を駆使した教えが、ともに競い合うのですが、人々から、それが「別のもの」であるとしては理解されないであろう。しかし『偉大なる救世主の法』は『太陽の法』によって保たれるであろう」という「太陽の法」の予言詩にあります。
2番目に、人類を救う「別のもの」は、「1999年の7の月、天から『恐怖の大王』が降りて来るだろう。『アンゴルモアの大王』をよみがえらせるために。その前後、火星は幸せに支配するだろう。」(10の72)という「アンゴルモアの大王」の予言詩にあります。
3番目に、人類を救う「別のもの」は、「太陽の国にて、ヘルメスがよみがえり、そのヘルメスの繁栄に導かれて、黄金時代を迎えるであろう」という「ヘルメスの繁栄」の予言詩にあります。
この「太陽の法」と「アンゴルモアの大王」と「ヘルメスの繁栄」の予言詩にある3つの可能性のことです。
この「太陽の法」と「アンゴルモアの大王」と「ヘルメスの繁栄」の予言詩にある3つの可能性のことです。
もしこれらの「三つの『別のもの』が、現れてくるならば、人類の危機など恐れることは何もない」ということを、ノストラダムスは語っていたのです。
ですから「太陽の法」や「アンゴルモアの大王」や「ヘルメスの繁栄」の予言詩が、「いったい何のことであるか?」その正しい解読をしない限り、「人類を救う『別のもの』が現れたならば、そこに救いがある」という『ノストラダムスの救いの予言詩』を解明したことにはならないのです。
ですから「ノストラダムスの予言」を、たんなる人類の危機や恐怖などの不幸の予言と、とらえるのでは不十分であり、また誤解することにもなりかねません。
これらの「恐怖の予言」は、あくまでも人類に何らかの危機が及んでくることを警告するためのものであり、ノストラダムスの真意というのは、人類の救いとして「『別のもの』が現れてくるだろう」と言う予言詩に力点があるのです。
その一つ目が「偉大な救世主の法」である「太陽の法」です。
また二つ目が「アンゴルモアの大王」です。この「『アンゴルモアの大王』とは、いったい何だろうか?」ということですが、これがなかなか解読が難しいのです。
これから、その難解な「アンゴルモアの大王」の正体の解読に入りますが、このアナグラムを解く上で、まず述べておかなければならないことがあります。それは「『恐怖の大王』イコール『アンゴルモアの大王』ではない」ということです。
なぜならばノストラダムスは、この予言詩の中で、わざわざ「恐怖の大王」によって「Ressusiter」(よみがえらせる)という言葉を使っているからです。もし「恐怖の大王」と「アンゴルモアの大王」が同等の意味であるならば、ただの「よみがえる」という表現で済むはずなのです。しかし「よみがえらせる」です。
これはどう考えても「恐怖の大王」と「アンゴルモアの大王」が同じくされるものではないのです。同じように解釈するから「1999年の7の月に『
恐怖の大王』が天から降りてきて人類を破滅させるだろう。しかしそうならなかったので、ノストラダムスの予言は外れてしまったのだ」と誤って巷間に解釈されてしまったのです。これはひじょうに陥りやすいところなのです。
恐怖の大王』が天から降りてきて人類を破滅させるだろう。しかしそうならなかったので、ノストラダムスの予言は外れてしまったのだ」と誤って巷間に解釈されてしまったのです。これはひじょうに陥りやすいところなのです。
ではどのようなことか?と言いますと、「『恐怖の大王』が『アンゴルモアの大王』を『よみがえらせる』トいうことなのです。すなわち『恐怖の大王』に対抗するために『アンゴルモアの大王』が、よみがえって来る」というように解釈するのが正しいのです。
もっとはっきり言うならば「恐怖の大王」が、世紀末に降りてくる「闇」であるとするならば、「アンゴルモアの大王」とは、その「闇」とは正反対のもの、すなわち「闇」を打ち砕く「光」であり、人類の危機の時に、よみがえって来る「救世主」のことなのです。
すなわち、このノストラダムスの「1999年の7の月の予言詩」は、人類が「恐怖の大王」によって破滅させられるのではなくて、むしろその危機を打ち砕いていく『アンゴルモアの大王』がよみがえってくること」を強調した予言詩なのです。
ノストラダムスは、この予言詩の中で、「恐怖の大王」と「アンゴルモアの大王」という人類最大の危機と希望とを対比させて、そこに大きなドラマ性をもたせているのです。わたしたちは、そのことを見抜かなくてはなりません。ですから、この予言詩は、大変重要な意味を持っているのです。
それでは「『アンゴルモアの大王』の正体のアナグラムとは、いったいどんなものでしょうか?」これからその謎を解いていきましょう。
「アンゴルモアの大王」「Angolmois」のアナグラムは、「Mongoli・as」(モンゴリ-・アース)というように分解されて並び替えられます。
すなわち「Mongoli・as」(モンゴリー・アース)とは、「Mongoli」(モンゴリー)と、「as」(アース)というフランス語の二つの単語を組み合わせたものです。
すなわち「Mongoli・as」(モンゴリー・アース)とは、「Mongoli」(モンゴリー)と、「as」(アース)というフランス語の二つの単語を組み合わせたものです。
「Mongoli」(モンゴリー)というは、ずばり「モンゴル」という意味なのですが、「as」(アース)は、これも、もちろんれっきとしたフランス語で、英語で言えば「エース」で、「第一人者」という意味です。
ではこの「モンゴルのエース」、または「モンゴルの第一人者」というキー・ワードは、「いったい誰のことを指しているのでしょうか?」そのことを知るためには、ノストラダムスの生きていた時代のヨーロッパの世界観や歴史的な背景を知らなくてはなりません。
そうしますと、ノストラダムスの生きていた十六世紀の初頭は、ルネッサンスと大航海時代の真っ只中だったということが分かります。その頃の時代背景を調べていきますと、この「モンゴルのエース」というキー・ワードを解く鍵として、浮かび上がってくるのが、あの中国の元朝のフビライに仕えたマルコ・ポーロが紹介した『世界の記述』(東方見聞録)に出てくる「東洋の伝説の王」である「プレスター・ジョン」です。
「プレスター・ジョン」とは、「十字軍遠征の時代に、当時の仇敵であるイスラム教国から聖地エルサレムを奪回するために、東洋からキリスト教徒の王が加勢に現れたが、目的を達成する事なく帰還したのだ」という伝説です。
この後「プレスター・ジョン王」からローマ教皇に書簡が届いたという噂が、ヨーロッパに広まり、その存在が、より現実味を帯びるようになってきます。しかしその後、キリスト教徒たちが待ち望んだ「東洋の救世主」である「プレスター・ジョン」は、皮肉にもヨーロッパの世界を脅かすモンゴルの大軍となって侵略してくるのです。
すなわちノストラダムスの生きていた時代は、その百年後ぐらいなのですが、当時のヨーロッパの世界観から言えば、「モンゴル」というのは、まさに「東洋」の代名詞であり、また「東洋」そのものだったのです。
以上「モンゴリー・アース」のアナグラムを解明するために、ノストラダムスが生きていた時代のヨーロッパの歴史をひもといて解説してみましたが、しかし考えてみますと、そうするまでもなく「モンゴルのエース」、「東洋の第一人者」と言えば、仏教を興した「釈迦」のことです。
釈迦
すなわち「西洋の第一人者」がキリスト教を興した「イエス・キリスト」であるとするならば、「東洋の第一人者」とは、インドの「釈迦」であるのです。それ以外に該当するような人物はおりません。
この「『釈迦』が、世紀末によみがえってくる」とは、東洋のある国に「『釈迦』が再誕してきて、人類の危機を救っていく『救世主』となっていくであろう」ということなのです。
ですから、この人類の危機の時によみがえってくる「アンゴルモアの大王」とは、これらの紛争や混乱を鎮めて人類に新たな希望を開いていく「釈迦」という「救世主」のことであり、けして「恐怖の大王」ではないと断言できるわけです。
さらに、この予言詩の後半には「その前後に火星は、幸せに支配するであろう」とありますが、この意味は「火星」というのは「マルス」、つまり「軍神」を意味することから、それが「幸せに支配する」ということは、これはいかにもノストラダムス的な反語を用いた言い回しでありますが、「世界各地で戦争や紛争が絶えないであろう」ということです。
ノストラダムスは「世紀末を境にして、人類には、この世の終わりかと思うような天変地異や戦争や経済不況などの危機が起こるであろう。しかしそれは二十一世紀へのパラダイム・シフトを産み出すための苦しみであり、揺さぶりであるので、その衝撃に耐えていけ。すでに人類の未来へ「救世主の降臨」として神の贈り物がなされているのだ。それを自らの手で探し出せ。ヒントは、もう私の予言の中に遺しておいたのだ」と、このように言っているように著者には聞こえてくるのです。
さらに三つ目の「別のもの」として「ヘルメスの繁栄で、黄金時代がやってくる」と言われる予言詩があります。現在、経済不況で苦しんでいる世界中の人々にとって、誰もが切実に望んでいる経済を再生してくれる「ヘルメスの繁栄」の予言詩をノストラダムスが遺しているのです。その「ヘルメスの繁栄」の予言詩とは、「太陽の国にて、ヘルメスがよみがえり、そのヘルメスの繁栄に導かれて、黄金時代を迎えるであろう」というものです。
ヘルメス
以上のように「太陽の法」と、「アンゴルモアの大王」と、「ヘルメスの繁栄」の三つのキー・ワードが、ノストラダムスの救いの予言詩「別のもの」であるということなのです。
ずいぶん肝心なことまでバラシてしまいました。正直に言って「ここまで明かしてしまってよいのだろうか?」という著者の葛藤もあるのですが…
もっと詳しくはアマゾン、アップル、楽天コボの電子書籍 『ノストラダムスの予言は、まだ終わってはいない』にて述べております。
詳細
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