チベット大弾圧に沖縄の未来を見る(1)
2012年07月25日
金城タツロー氏 ブログ転載
いよいよロンドンオリンピックが開催されますが、4年前の2008年には
北京オリンピックが開催されました。
ご記憶の方も多いと思いますが、その開催前3月にチベット自治区の
ラサ市でチベット独立を求めるデモが発生し、暴動にまで発展しました。
チベットは独立国家でしたが、1950年代に中国の人民解放軍から
侵略を受け、チベット自治区として中国の一部に組み入れられました。
その際に、チベット仏教の精神的支柱であるダライ・ラマ法王
(日本で言えば天皇陛下にあたるでしょう)はインドに亡命し
チベット亡命政府を作りました。
現在自治区と名づけてはいますが、自治権は事実上ありません。
漢民族(中国の支配民族)出身の共産党幹部がチベットの
宗教や文化を弾圧して共産主義思想を強制するため、自由を求めて
何度か暴動が起きています。
2000年代に入ると、漢民族の商工業者の移住が進められ、それも
抗議デモを拡大させる一因となりました。
中国政府は「ダライ・ラマ14世の策動だ」と非難していますが、
現地では「座り込みの抗議をしていた僧侶数十人に軍が暴行・発砲し、数
人が死亡したことに市民らの怒りが爆発した」というのが真相とされて
います。とすれば、暴動というより、「大弾圧」と言ったほうが良い
でしょう。
http://ishin0507.ti-da.net/e4001373.html
転載、させていただいた記事です
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↓続き
http://ishin0507.ti-da.net/d2012-07-26.html
2012年07月26日
チベット大弾圧に沖縄の未来を見る(2)
チベット自治区ラサで起きた大弾圧からほぼ半月後の2008年3月27日、
外国メディアの現地取材がようやく許可されました。
そのニュース映像の一場面を見た、ダライ・ラマ法王日本代表部
文化・広報担当官のルントック氏は次のように述べています。
(「正論」より)
『外国メディアの一行がラサのジョカン寺(大昭寺)に立ち寄った
時の場面です。エンジ色の僧服を着た30人ほどの若い僧侶が突然駆
け寄ってきて「中国政府の言っていることは嘘だ」
「チベットに自由を」と訴えました。ある僧は顔をこわばらせ、
ある僧は声を震わせ、ある僧は目に涙をうかべていました。
私は、このニュース映像を見て、胸が張り裂けそうになりました。
若い僧侶たちの勇気と、今後に待ち受けている過酷な境遇を思うと、
涙があふれて止まりませんでした。』
都合の悪い部分をすべて隠した上で、初めて外国メディアを受け入れた
はずの中国当局は、真実を明らかにした僧侶たちの決死の覚悟によって、
偽りに満ちた演出の仮面をはがされてしまいました。
中国政府は弾圧で流された路上の血を洗い流し、犠牲者の遺体を隠し、
平穏を装った街並みを公開することで、世界中の批判をかわそうと
したのでしょう。ルントック氏によれば、僧侶たちは、恥をかかされた
当局によって凄惨な刑罰に処せられるだろうということです。
それを知っているので、胸が張り裂けるほどの心の痛みを感じられたのです。
チベット自治区ではあの事件から4年がたち、今なお当局が厳しく
取り締まり、取材も自由にさせず、焼身自殺で抗議する僧侶や住民が
後を絶たない状況が続いています。
・
関連
http://sweet-pan.at.webry.info/200803/article_14.html
中国のチベット自治区の中心都市ラサ(Lhasa)で、
人民解放軍が市内3大僧院を包囲 した